理解するより感じる映画、監督の才能は感じるが難しい
1971年にノーベル文学賞を受賞したパブロ・ネルーダさん? 知らないなあと思ったのですが、「イル・ポスティーノ」で映画化されたあの詩人でした。
で、この映画は、その「ネルーダが逃亡した謎の1年である1948年にスポットを当て」ており、各地をさまよい逃亡するネルーダとそれを追う警官ペルショノーを軸に、詩人パブロ・ネルーダという人物のある一面を浮かび上がらせようとしています。
ただ、いわゆる「物語」になっていませんのでなかなか一筋縄ではいきません。
監督:パブロ・ラライン
詩人として1971年にノーベル文学賞を受賞したチリの国民的ヒーロー、パブロ・ネルーダは共産主義者であった。芸術を愛し、女性を愛し、酒場を愛する享楽主義者であり、何よりも貧しい人々に寄り添う博愛主義者だった。しかし、生涯の大半をチリ政府から追われる逃亡生活に費やした。(公式サイト)
はっきり言って、映画としては難解です。何がどうなってどうなるのかなんてことを理解しようとして見ていますと、おそらく10分、15分で嫌になってしまうのでしょう。
この映画を字幕で見て感じることは無理かも知れません。
まず、ラストの一部を除いて、追う警官のペルショノー(ガエル・ガルシア・ベルナル)のナレーションが入ります。そのナレーションの語りが、おそらくネルーダさんの詩をかなり引用しているのではないかと思いますが、抽象的かつ叙情的で、画を見つつ読んでいてはなかなかストンと入ってきません。
さらに、編集がかなり入り組んでおり、確かに流れに違和感はないのですが、言葉のやり取りはつながっていても、画が全く別の設定であったりします。これ、言葉では分かりにくいと思いますが、ある2人が話をしているとして、何となく会話はつながっているのですが、別の場面が挿入されて編集されているのです。
結局のところ、物語を追いかける映画ではないということです。
そもそも追跡者ペルショノーは架空の人物であり、さらに言えば、映画の中でも本人が語っているように、ネルーダによって創作された人物なわけです。
つまり、映画内のネルーダ(ルイス・ニェッコ)本人の「女性を愛し、酒場を愛する享楽主義者」的な人物像も、ペルショノーのただ執拗にターゲットを追い詰めようとする人物像も、そしてまた全編語られるペルショノーによる語りも、すべて実在したパブロ・ネルーダその人に迫ろうとする試みだということです。
ですので、この映画を楽しもうとするならば、事前にパブロ・ネルーダさんの詩を読み、歴史を知り、そして出来ることならばスペイン語を勉強して(笑)見るべきだと思います。
パブロ・ラライン監督、これが始めてではなく3年ほど前に「NO」を見ています。前作ではさほど感じませんでしたが、この映画を見てとても才能を感じます。
ただ、理解するよりも感じる映画ですので、上に書いた様々な点において相当ハードルは高いです。