(ネタバレなし)物語や人物像を知って見たほうがより理解でき楽しめる映画
昨年2017年のベルリンで審査員グランプリ(銀熊賞)を受賞しています。
監督のアラン・ゴミスさんはセネガル系フランス人とのことです。パリ生まれですのでフランスで教育を受けて育っているということだと思います。
映画の舞台はコンゴ民主共和国の首都キンシャサ、一見ドキュメンタリーのような印象を受けますが、監督自身が脚本も書いているドラマです。
映画のつくりは「ローサは密告された」に似た印象です。
監督:アラン・ゴミス
欧米目線ではないアフリカ(といっても広いが)の映画という感じがします。おそらく、アラン・ゴミス監督にそうした、コンゴ(あるいはセネガル?)の眼や、そして言葉(何々語という意味ではなく)で撮りたいとの意識が強いのではないかと想像します。
それだけに、一見しただけでは分かりにくい部分も多く、物語を知って見たほうがより映画を楽しめると思います。
フランス語で「幸福」という意味の名前を持つフェリシテは、キンシャサのライブハウス(?)で歌っています。
常連にタブーという男がいます。私はこの人物を理解するのに手間取りましたが、最初からこの人物を分かっておけば結構楽しめる映画だったかもしれません(笑)。タブーはかなり酒癖が悪く、酔っ払って客にちょっかいを出したり、相手構わず口説こうとしたり、喧嘩をしたりします。
ある朝、フェリシテの家の冷蔵庫が壊れます。なぜか、タブーが修理屋として出入りするようになります。この冷蔵庫、何かを直せばまた別の箇所が壊れるといった具合で映画の最後まで直ることはありません。これ、笑いがとれるシーンですが、知っていても笑えますし、読めるように作られていますのでネタバレというわけではありません。
またある日(同じ日だったかもしれない)、フェリシテの息子サモがバイク事故で病院に担ぎ込まれます。このサモも理解するのに手間取りました。確か台詞はなかったと思いますし、何かを拒絶しているように見えましたが、映画的にはさほど大きな意味はなく、そういうものかと思って見ればよかったと後悔しています(笑)。
で、病院からは手術が必要で、そのためにはかなり高額(だと思う)な現金が必要だと言われ、フェリシテは必死にお金を集めようとします。フェリシテがどうやってお金を集めようとするかは映画を見ての印象を大切にした方がいいと思いますのでネタバレなしでいきます。
結局、手術は間に合わず、サモは片方の足が切断されてしまいます。フェリシテはショックを受け、気落ちして、歌も歌えないようになってしまいます。このあたりも、フェリシテの力強い顔立ちに惑わされて、私はうまく理解できずに迷いながら見ていました。
サモは退院し、タブーの手助けもあり、家に戻ります。その後は、フェリシテとタブーの物語と思って見ていけばいいと思います。
というのが基本の物語なのですが、もうひとつ分かりにくいのが、2シーン目だったか3シーン目だったかにオーケストラの演奏シーンが唐突に入ります。これ、物語の出演者とは関係がなく、劇伴の演奏シーンと思えばいいです。それに演奏がかなりひどいです。(ペコリ)
アルヴォ・ペルトの「フラトレス」だったらしいのですが、アルヴォ・ペルトの曲ってどの曲も入りが無茶苦茶静謐なんですよ。オーケストラの最初のシーンがその曲であったかどうかははっきりしませんが、今確認したところでは全く違う曲ですね(笑)。
それに、映画的にも、なぜアルヴォ・ペルト?とやや疑問を持ちます。
で、このオーケストラのシーンはその後も何シーンかあり、おそらく、音楽的にはフェリシテのバンドとの対比として使われているのだと思いますが、映像的にも、フェリシテが意識の上で迷い込む夜のシーンとセットになっています。
この幻想的なシーンはかなり暗くて見づらく掴みづらいです。フェリシテの夢?と思わせたり、「死」を想起させるシーンもあるのですが、(私には)もうひとつストンとこなかったです。
フェリシテが歌っているバンドは、カサイ・オールスターズと言って結構有名なバンドのようです。フェリシテをやっていたヴェロ・ツァンダ・ベヤさん、もちろんそのバンドの歌手というわけではありませんが、あれは生声なんですかね?
Kasai Allstars – “Drowning Goat (Mbuji Mayi)”
ということで、フェリシテが生きている世界はかなりハードでタフな社会であることが強く伝わってくる映画です。
白紙の状態で見れば理解30~50%、事前に情報収集してみれば理解70%、残りの30%はコンゴで暮せばという映画かと思います。