人は都合よく記憶を書き換えるってことですが…。
「めぐり逢わせのお弁当」のリテーシュ・バトラ監督の2作目です。見てはいませんが、タイトルとざっとした内容は読んだ記憶があります。
IMDb によりますと、リテーシュ・バトラ監督はインド出身で、それ以前にショートを数本撮っているようなんですが、製作国がエジプトやアメリカとなっており、「めぐり逢わせのお弁当」もインド、ドイツ、フランス製作ですし、この映画もイギリス製作です。どういう経歴でどういう活動基盤を持っている方なんでしょう?
この映画では、俳優もかなりの面々がキャスティングされています。
監督:リテーシュ・バトラ
上の画像の女性は現在のベロニカ役のシャーロット・ランプリングさん、男性はトニー役のジム・ブロードベントさんです。どちらも多くの映画に出演されているベテランです。
映画は、老年となったトニーが、あることをきっかけに、ほろ苦くも甘い思い出として記憶されているベロニカとの初恋が、実はさほど美しいものではなく、自分自身の恥ずべき行為によってベロニカや当時の友人を傷つけていたのだと思い返し心改めるという、トニーにとってはかなり都合のいいハッピーエンドの物語です。
過去は自分自身に都合のいい記憶で書き換えられるということだと思いますが、ただ、それはそうだとしても、なんだかしっくりこないことも多く、あれこれググっていましたら、2011年のブッカー賞を受賞している「終わりの感覚」という原作があるとのことです。
- 作者: ジュリアンバーンズ,Julian Barnes,土屋政雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/12/01
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原作のタイトルは「The Sense of an Ending」ですか…。映画の原題もそうですね。やはりもっとシリアスで深い話の予感です。これは読んでみないといけないですね。
読んでみました。
率直なところ、トニーが記憶している過去もそうなんですが、映画が実はこうだったと言っている過去も、60年、70年生きてきた人間を変えられるほど説得力のあるものとして描かれているとは思えません。人間そんなに簡単には変わりません(笑)。あるいは、原作のトニーはもっと落ち込むことになるんじゃないでしょうかね。そうじゃないと小説としては心に残らないでしょう。
とにかく、トニーが過去と向き合うことになったきっかけはこういうことです。
トニーのもとに弁護士から、学生時代に付き合っていたベロニカという女性の母が、学生時代の友人であり、自殺したエイドリアンの日記をトニーに残しているとの手紙が送られてきます。
トニーは、なぜエイドリアンの日記をベロニカの母が持っていたのか、ベロニカは今どうしているかと不可解な気持ちを抱き、自分自身の記憶を辿っていくわけですが、その過程をトニーが元妻のマーガレット(ハリエット・ウォルター)に語っていくことで自分自身も過去に向き合うという進め方をしています。
トニーとマーガレットは離婚しており、娘がひとり、今シングルマザーとして臨月を迎えようかという状態で、私の印象としては、映画は、ベロニカとの記憶よりもむしろ今のこの3人の関係に比重が置かれて作られているのではないかとさえ思いました。
つまり、トニーとマーガレットが離婚していること自体にも何らかの、多くはトニーに問題があったと示しつつ、トニーに過去と向き合わせるということです。
また、トニーの性格や生き方の、誰にでもありそうだけれどもちょっと嫌だなといった行いをちらっちらっといくつか入れています。たとえば、郵便配達人にぞんざいな口をきいたり、手紙の送り主である弁護士との面談で、自分あてに残された日記を渡さない弁護士に、元妻は王室の顧問弁護士だと脅しのようなことを言ったり、レズビアンのカップルが人工授精で妊娠していることに、自分は偏見などないよとわざとらしく言わせたり、カフェで子どもが騒いでいる時に思わずうるさいと怒鳴ったりするシーンを入れています。
とにかく、トニーがマーガレットに断片的に語ったところによれば、パーティーでベロニカと出会い、そのミステリアスなところに惹かれ積極的に迫ります。しかし、ベロニカはキスはいいけどそれ以上はダメよと勿体ぶり、まずトニーを家族に会わせます。トニーは泊りがけでベロニカの家族に会いに行くのですが、この家族がやや奇妙に描かれており、特にベロニカの母親がトニーを誘うような素振りを見せたりします。トニーも満更でもない描き方がされています。
その後、二人は付き合うようになりますが、ある時、友人のエイドリアンから、ベロニカと付き合うことになったので許してくれ(こんな感じだっかな?)と手紙を受け取ります。トニーは二人を祝福する手紙を送ります。
これがトニーの記憶です。
そして、映画が進むにつれ明らかにされる真実(かどうかは分からないけど)はこういうことです。
トニーが弁護士に日記を渡すように申し出るも、日記は(確か)ベロニカが持っているとのことで、何とかベロニカの所在を突き止め、会いたいと連絡します。ベロニカは日記は処分したと告げ、それ以上何も語ろうとしません。
ある時、トニーは、障害のある青年と手をつないで歩いているベロニカを目撃し、後をつけ、その青年が誰かを知ろうとします。トニーは、その青年がベロニカとエイドリアンの子どもだと考えたわけです。
そして、真実(おそらく)が明かされます。その青年はエイドリアンとベロニカの母との子どもであり、ベロニカの弟に当たるというのです。
映画が言うにはこういうことです。
トニーがエイドリアンからベロニカとのことを打ち明けられた時、トニーが送った手紙は、決してふたりを認めるものではなく、嫉妬にかられてエイドリアンを罵る恥ずべき内容だったのです。細かい内容は記憶していませんが、ベロニカを侮辱し、ベロニカの母をも自分が誘われているように感じたことでいつでもやれる女だといったようなことを書いてエイドリアンに送りつけたわけです。
トニーは今、その手紙をベロニカから受け取り唖然としつつ自分が恥ずべき記憶を封印し都合のいいように書き換えていたことを知るのです。
その悪意ある手紙とエイドリアンの自殺が直接的に関係があるかは映画ではよく分かりませんが、いずれにしても、エイドリアンはベロニカの母と関係を持ち妊娠させてしまったことで自殺したということのようです。
ということで、トニーは自分自身の愚かさに気づき、マーガレットにも謝罪し、娘にも◯◯(何だったか忘れた)し、ふたりから許されるのです。
そして、すっかりいい人になったトニーは、郵便配達人にもやさしく対し、コーヒーまで振る舞うのです。
確かに、あの手紙を書いたことを忘れてしまえる人間なら、こういう結末もありかも知れません。
でも、おそらく多くの人にとっては、自分自身の行った嫌な過去は決して忘れることは出来ないでしょうし、逆に年齢を重ねれば重ねるほど、その過去が蘇って苦しめられるものだと思います。