ジョージ・クルーニー監督の真面目さはこういう映画には向かない(気がする)
脚本にジョージ・クルーニーとコーエン兄弟がクレジットされていますのでどういうことだろうと思いましたら、もともとコーエン兄弟の脚本があり(ウィキペディアでは1986年)、まあ言ってみればお蔵入りしていたものをジョージ・クルーニーが手を加えて映画化したということらしいです。
率直なところ、お蔵入りさせておいたほうがよかったと思います(ペコリ)。
さすがにコーエン兄弟ならもう少し映画としての完成度も上がるとは思いますが、そもそもの脚本の持つ時代性やテーマが今の時代には無理でしょう。
監督:ジョージ・クルーニー
それでもなお映画化しようとした熱意が、現在起きている人種差別に対するジョージ・クルーニーの怒り(的なメッセージ)であるとすればそれは敬意を表されてしかるべきだとは思いますが、いくらなんでもこの映画の中の人種差別はあまりにも単純で、逆に言えばもう過ぎ去ったことのように見えてしまいます。
それにこの映画、人種差別は、軸となる物語の背景としてしか扱われていません。
軸となっているのは、夫による妻の保険金目当ての殺人事件です。それも最初から偽装殺人であると分かるようにつくられていますのでサスペンスというわけでもありませんし、ラストにクライム的な要素はあるにしてもハラハラドキドキ感を出すことにこだわってもいません。
じゃあ、何をもって見る者の集中力を持続させようとしているのか、それがわからないんです。だからダメなんですけどね(笑)。
確かに映画は、1957年にペンシルベニア州レヴィットタウン起きた人種差別事件を題材にしている(公式、現代に通じるマイノリティ問題)とのことで、サバービコンという人工的に造られた郊外タウン、それはまだまだ人種分離法が残っているような時代の白人コミュニティである上に、白人の中でもおそらく努力してえられる中流階級の夢なのでしょうから、二重の意味で差別意識の強い社会なわけで、そこに黒人のマイヤーズ一家が引っ越してくるわけですから、まったく遠慮のない(という言い方も変ですが)偏見と差別意識にさらされます。
日々白い目で見られることはあたりまえ、そのうち直接的な嫌がらせや隣との間に壁をつくられたり、ラストには、白人たちの差別行動は暴動に発展し、車が放火され、家のガラスが割られたりします。
マイヤーズ一家には10歳位の男の子がいます。そして、映画の軸となる物語のロッジ一家にも同じくらいの男の子ニッキーがいます。
ふたりは仲良くなります。これだけです。
映画の主たる物語であるロッジ家で起きる保険金殺人事件と、その隣家で起きている暴動にまでなる人種差別事件の関わりがこれだけです。夫ガードナー(マット・デイモン)なんて隣のことにふれる台詞など一切ありませんし、殺された(殺した)妻の姉マーガレット(ジュリアン・ムーア、妻ローズと二役)との間で話題になることもありません。
保険金殺人の顛末は単純です。ガードナーはそこそこの企業の財務部長です。妻ローズは交通事故のため車椅子生活です。姉マーガレットが同居して、ニッキーの面倒や家事をやっています。
ある夜、ロッジ家に強盗が入り、ローズが殺されます。強盗が狂言であり、ローズ殺害が目的であることが分かるようにつくられています。すぐにマーガレットがローズの後釜に座ります。マーガレットは、ローズがそうであったように髪の毛をブロンドに染めます。
この展開を見ても分かるように、この脚本は間違いなく喜劇です。ブラック・コメディです。そう考えれば、脚本にコーエン兄弟の名前があることも納得できますが、それがなぜこういう映画になってしまったのか、不思議です。
で、物語の続きですが、保険金殺人の動機はこれまたありふれた借金です。保険会社の調査員が調査に来ます。対応したマーガレットがカマをかけられバレてしまいます。ガードナーは調査員を殺します。
一方、ローズ殺害を請け負った男たちは、ガードナーが報酬を払わない(ないから払えない)ことやニッキーが自分たちの顔を見ていることから、ニッキーとマーガレットを殺そうとやってきます。
この映画、それぞれの人物の内面を描くことをしていませんので上っ面しか分かりませんが、マーガレットは単純にガードナーと一緒になることを願っているだけの人物で、ジャマになってきたニッキーを殺そうとサンドイッチとミルクに大量の睡眠薬を混ぜて食べさせようと仕組みます。
余計なことですが、アメリカじゃ、(あの時代)お腹が空いていては眠れないでしょうと、夜中に、ジャム(ピーナッツバターじゃないの?)を塗りたくったサンドイッチを食べさせようとするんですかね?と率直な疑問(笑)。
で、クライマックス。ここに隣家が白人の暴徒に襲われるタイミングを合わせ、しかしまったく絡みはなく、ガードナーが、殺した保険会社の調査員を捨てに出た間に殺人犯が侵入し、マーガレットは殺され、ニッキーも危機一髪、成り行きは省略しますが、駆けつけた叔父に助けられ、叔父と殺人犯は死に、ガードナーとニッキーが残ります。
返り血を浴びたガードナーはニッキーを諭します。お前はまだ子どもだ、子どもにはわからない大人の世界がある、それを理解すればお前は死なずにすむ、どちらを選ぶ? て、お前、親か? それ以前にそれでも自分は生きて何が楽しい? って思いますが(笑)、まあ、とにかく、そんなようなことを喋りながら、マーガレットがニッキーのために用意したサンドイッチを食べ、ミルクを飲み干します。
という映画です。
どうやら、1957年のレヴィットタウン起きた人種差別事件を題材にした映画を撮ろうと考えていたジョージ・クルーニーが、コーエン兄弟の「Suburbicon」という保険金殺人事件を描いた脚本があることを知り、ふたつをくっつけたということのようです。
結論は、脚本家の力不足でしょう。誰? ジョージ・クルーニー? グラント・ヘスロフ?
なんかもう少し方法はあったんじゃないの? ガードナー一家を仮面家族にするのなら隣家の黒人一家とも仮面の付き合いをさせるとか、クライマックスの暴動シーンにガードナーの殺人を絡ませるとか、いずれにしても、ジョージ・クルーニーさん、真面目すぎるんじゃないでしょうか。暴動シーンでも、白人の警察官を必死で暴動を抑える側に回らせていました。
そうそう、マット・デイモンもキャスティングミスです。「ダウンサイズ」と同じで、抜けきれないので何をやっても真面目キャラになっちゃうんでしょう。