子宮に残された2重螺旋は双子の夢を見る
フランソワ・オゾン監督は、ほんとに映画の志向性がわからない監督です(笑)。
前作「婚約者の友人」を見て、やっとフランソワ・オゾン監督がわかったぞと思ったのもつかの間、今作はかなりミステリー色が強い上に、性愛表現がかなりの比重を占めますし、ラスト近くには一瞬オカルトかと思わせるようなシーンもあったりと、フランソワ・オゾン監督らしさとは何かがますますわからなくなる映画でした。
でも、やっぱり映画づくりはうまいですね。ラストのラストまで男のほうが双子だと違和感なく見せておいて、最後の最後に、実は双子(の可能性)は女の方でしたとひっくり返し、それでもそんなバカなと思わせないのです。
クロエ(マリーヌ・ヴァクト)は原因不明の腹痛に悩まされており、それが原因なのか精神的にも不安定で、精神分析医ポール(ジェレミー・レニエ) の診療を受けることになります。
冒頭のシーンには、クロエが肩まである黒髪をカットする場面があり、その時のカメラ目線の鋭さが象徴的に効いていて、その後のクロエの思い込みの強い行動も割と違和感なく見ていけます。
診療のシーンでは、医師であるポールが、クロエが話しやすいように水を向けるわけでもなく、ただ見つめているだけというのはちょっとばかり違和感がありましたが、その後のクロエの不安増幅のためと双子の兄ルイとの対比だったんでしょう。
正直なところ、あの診療で心の病が快復したり不安が解消するのかとは思いましたが、きっと愛の力だったんでしょう(笑)。ただ、伏線となっていたのが、クロエが話した、自分は父親を知らないし、望まれた子ではなく、母親を憎んでいるという生い立ちで、これがラストにまさかの展開となります。
二人は、幾度か診療を続けるうちに何となく(といった感じで)互いに離れがたくなり、映画的にはあまり愛情を感じさせる描写もなく愛し合い一緒に暮らすようになります。
ただ、クロエは、ポールは(診療で聞いているから)自分のことを何でも知っているのに、自分はポールのことを何も知らないし、ポール自身も何も話さないことから本当に愛されているのかと不安を感じるようになります(多分)。
ある日、クロエはポールの私物の箱を内緒で開け、パスポートの名前が違うことを不審に思います。また、ある日、街でポールにそっくりの男を見かけ、その男もまた精神分析医であることを知ります。
そうしたことが、一旦は快復したと思われた腹痛を再発させ、精神的にも不安定になっていきます。
クロエは、ポールには内緒でその男ルイの診療を受けることにします。診療手法はまったくの正反対で、と言いますか、正直なところ悪徳医師のような感じ(笑)で、強圧的で強引です。結局、クロエの妄想ですのでどんな風でも構わないのですが、レイプまがいのシーンもあり、その時点ではこりゃ犯罪ですわと思って見ていました(笑)。
クロエはもうやめようと思いながらもルイにどんどん惹かれていき、それに乗じてルイもますます強引になっていきます。
このあたりで中程だと思いますが、ここまではあまり面白くはありません(ペコリ)。ただ、後半はミステリー度も増し、サスペンスタッチも加わり、結構集中して見られます。
ポールとルイが双子であり、同じ学校(高校くらい?)に通っていた時の出来事が原因で、ポールはルイを憎み、遠ざけるようになったということがわかってきます。
クロエがルイに、そのあることを問いただしますと、ルイはサンドラに会ってみろと言います。サンドラの所在を探し出して訪ねてみますと、サンドラは母親とともに暮らしており、ただ、やせ細って寝たきり状態です。
こういうことのようです。
学生時代、ポールとサンドラは付き合っており、それに対しルイは、双子の対抗心からなのかポールのふりをしてサンドラを誘い出しレイプします。
ポールは、それを知り、ルイよりもむしろサンドラを責め、それ以降会わなくなったと言います。
ルイは、サンドラは性的な点においても自分の方に興味があり、サンドラが求めたことだと言います。
サンドラはピストル自殺を図り、障害が残り寝たきりになります。
もちろんこれらは徐々にわかっていくわけで、さらに、クロエが妊娠していることも加わり、DNAが同じなのでどちらの子供かわからないなどという、あ、そうなんだ的な話もあって、えー、これ、オチは何? 的にかなり引き込まれます。
で、映画の展開としては、クロエとポールとルイ3人による妄想セックスシーンやクロエが男性性器(道具)をつけてポールとXXXセックスする、多分あれは設定としては現実シーンだと思いますが、そうした性愛表現がエロさはなく描かれ、クライマックスへと向かいます。
どういう展開からだったかは曖昧ですが、クロエがポールと? ルイとでしたっけ? 結局ひとりなんですからどちらでもいいですが、とにかく、言い争って興奮状態になり、大きくなり始めたお腹が裂けて何かが出てくるシーンがあり、エイリアンか?オカルトか?とちょっと引きそうになった瞬間、見事にぽんぽんぽんと話が進みます。
サンドラの母親(ジャクリーン・ビセット)がクロエが入院した病院に駆けつけます。は? と思っていましたら、病院の先生が説明してくれました。
クロエの子宮から取り出された腫瘍(のようなもの、かなりでかく、ややグロ)を見せ、これはクロエの母親の胎内で当初双子であった一方が未成熟のままもう一方の胎児の子宮の中に残ったもの、つまり、寄生性双生児(的)な事例で、クロエは双子で生まれてくる可能性があったということです。聞くところによりますと、(この際関係ありませんが(笑))ブラックジャックのピノコもそうした設定の存在らしいです。
で、完全にネタバレしますと、ルイの存在はもとより、ルイとのセックスも、サンドラも、サンドラの母親も、そして学生時代のピストル自殺の話も、すべてクロエの妄想であり、それは、クロエの子宮に残された、もしかしたらこの世に存在したかもしれないもうひとりのクロエ、さらに言えば、長い間母親の間に横たわってきた愛憎の塊かもしれないそれが、双子妄想となってクロエに見させた悪夢ということです。
ただ、クロエにとってこの事実は、新たに自分が母親の子宮の中で双子のもうひとりを食べてしまったのではないかとの妄想となり、ラストシーン、退院した後のクロエとポールのセックスシーン、クロエは暗闇の中にもうひとりのクロエを見るのです。
などと断定はしてみましたが、所詮映画ですから、それが正しいかどうかに大した意味はなく、何が本当で何が妄想かわからないまま、見事にラスト数分で何となくわかったようにさせてくれた、そのことこそが映画だということです。
この際、猫や隣の住人の思わせぶりは映画をふくらませるためだったと忘れておきましょう(笑)。
そうしたことがあるにしても、考えてみれば、フランソワ・オゾン監督はまとめ方がうまい監督ということが言えます。どの映画も、何かが引っかかりつつも何となくすとんと落ちたような気がして見終えさせてくれます。