最初で最後のキス

青春残酷物語、ビタースイートじゃないよ。

「イタリアでスマッシュヒット! 16歳の恋と友情をビタースイートに描いた青春映画」なんてコピー、間違っちゃいないですし、確かにそうなんですが、見終わってみれば、ビターどころか、かなり後味の悪い、残酷で救いのない、といっても批判ではなく、ため息しか出ないようないい映画でした。

公式サイト / 監督:イバン・コトロネーオ

イタリアの地方都市ウーディネの16歳、高校生3人の物語です。物語の背景として、都会ではなく地方ということが若干関係していますので、どこかとググってみましたら、イタリア北部、オーストリアやスロベニアとの国境近くの人口10万人くらいの都市です。

3人のうちのひとりがゲイであることに対して保守的という意味での地方ということかと思いますが、日本と比べてみれば、その点だけにおいてはとんでもなく開かれた印象ですし、そもそも16歳という年齢にしても、日本じゃ大学生でももっと幼いのではないかと、いやいや、今のその年齢の実際を知っているわけではありませんが、自立という点では、これはもう文化や社会性の違いという他ないくらい年齢は関係なく個々が自立しています。

そのゲイであるひとりがロレンツォ(リマウ・グリッロ・リッツベルガー)です。ただ、映画はゲイであることを取り立てて描こうとしているわけではありません。ロレンツォは、自分の性的指向が男性に向いていることを隠そうとしていませんし、そもそも自分にとってそれが自然なこととして気にしている様子もありません。つまり、周りがゲイであると特別視することはあっても、ロレンツォ自身は、そうしないと自己が保てないことはあるにしても、そんな視線はお叶いなく、自分が自由な人間であることを常に外に見せることで、まわりからの偏見をはねつけようとしています。

映画は、ロレンツォが、両親の車の後部座席でヘッドホンをつけて窓の外を見つめたまま、母親の問いかけにも気づかないシーンから始まり、ああ今どきの子なんだなあと見ていましたら、そういうことではありませんでした。

ロレンツォは施設(孤児院?)で育ったようで、今、里親となる両親とともに新しい家に向かうところです。両親が、部屋はあなたの趣味で飾っていいのよと、まあ普通の気の使い方ではあるのですが、そう言いますと、ロレンツォは、服がいっぱいあるからクロゼットが足りないかも、でも気に入ったよ(適当に台詞は作った)、といった感じでマイペースです。

初登校の日、車の窓から「ブルーはヤリマン、ブルーはクラスの男子全員をXxXってる」などという下品な落書きを目にしながら学校へ向かいます。母親が「ひとりで大丈夫?」と尋ねますと、「生きるため、勇敢になるために、生まれた」(予告編から)と、この時点ではまだ映画自体がよくわかりませんので、カッコイイのかどうなのか判断しかねるような台詞を吐いて降りていきます。 

そして校門(はないけど)前にすくっと立ったロレンツォは、何を思ったのか突然シルバーのジャンパーを脱ぎ捨てます。下は蝶柄のプリントのシャツです。一瞬、はあ!? と思ったのですが、そこに音楽が入り、一気にミュージカルシーンとなります。ロレンツォは歌い踊りながら教室へ向かいます。まわりの同級生たちもノリノリです。ロレンツォのシャツからはあたりに(アニメで)蝶が飛び立ちます。

音楽はこれでした(多分)。


The Brand New Heavies “Sweet Freeek” from the new album “Sweet Freaks”

こうしたミュージカルシーンは、このあとも2、3シーンあり、現実ではないがロレンツォ(たち)がこうあればいいのにと思っている、妄想というものとはちょっと違いますが、ここではロレンツォが自分はポップスターであることをイメージしているわけで、言い方を変えれば、予想される周囲の偏見に対して、ある種武装しているようなイメージのシーンだと思います。

ですので実際には、ノリノリの同級生たちは、ロレンツォの服装を始めとする彼の持っているゲイ的空気感を白い目で見ているということになります。

このシーンでロレンツォのキャラもわかってきますし、監督のセンスもわかります。私はこういうセンス、好きですね(笑)。 

教室です。ロレンツォの席は車の窓から見た落書きの本人、ブルー(ヴァレンティーナ・ロマーニ)の隣です。 

互いに感じるものがあるのでしょう。帰り道、「ゲイの友達は初めてよ」というブルーに対し、「落書き見たけど」と、何のこだわりもなく話ができる仲になります。ブルーは、「皆のあこがれの先輩とつきあってるから焼いているのよ」「その彼とその友人たちと4Pしたの」と、一瞬、はっ!? と思うようなことを言います。

で、その、はっ!? と思うことは、ほぼラストまで何も語られませんし、その彼も出てきません。これ、脚本の妙だと思うのですが、嫌な感じのするこの件は、もうひとつのさらに嫌な感じの事件とともに、なんとも後味の悪いエンディングへとつながっていきます。

この映画、女性の声のナレーションから始まります。最初は、ある女性が懐かしき青春時代を振り返っているらしいことしかわからないのですが、次第に、その女性はブルー本人であり、何年後かはわかりませんが、大人になったブルーが(映画の中の)今を振り返って書いていることがわかってきます。で、その内容が何か影を帯びた感じがし、過去を振り返り何かを諭すような、書いている本人に後悔があるような、そんな掴みどころのない、でも、かなり悲観的な感じがするものなのです。

これ、最後に明らかになるのですが、と言いますか、私が見間違えているかもしれませんので、あるいは最初からそのように描かれていた可能性もあるのですが、実は、大人になったブルーではなく、現在のブルーが書いている日記のようなものなのです。

つまり、この映画、映画のラスト時点から語られているブルーの回想のようなものであり、その内容は、ビタースイートなんてものではなく、後悔に満ちた痛々しくも切ないものなのです。

3人の内のもうひとりはアントニオ(レオナルド・パッザッリ)、バスケットの選手であり、そこそこ力もあるようですが、なぜか皆から疎んじられ常に除け者にされます。映画ではもう少し違った表現だったと思いますが予告編によると「トロい」と言われています。ただ、見た目、そうは見えませんのでミスキャストかもしれません。

そうした設定なのは、おそらく劣等感からくる自信のなさでしょう。アントニオは兄を亡くしており、その兄に対してかなりの劣等感を持っています。兄の何が優秀であったのか何も語られませんのでわかりませんが、アントニオは、両親が兄の代わりにアントニオが死ねばよかったと思っていると思い込んでいます。

父親と狩りに行くシーンが2、3度出てくるのですが、おそらくこのシーンは、アントニオが兄ほどうまくなく、それを父が苦々しく思っていると、アントニオ自身が感じているという意味合いのシーンなんだと思います。ただ、映画のつくりのせいか、字幕のせいか、見る私のせいか、全体からは浮いた感じのシーンで、意味合いがよくわかりませんでした。

アントニオは、夜、自分の部屋で兄の亡霊と会話をします。これもアントニオの劣等感の表現だと思いますが、当然、その兄はアントニオ自身の妄想ですので、アントニオがこうありたい、こうすべきと考えていることしか言いません。

アントニオは、ブルーに好意を持っています。

でも遠くから見ていることしかできません。兄の亡霊はそんなアントニオを勇気づけたりしますが、これもアントニオ自身が勇気を持って告白したいと思っていることの現れです。この兄の亡霊との会話が最後に決定的に悪い方に働いてしまいます。

やっと3人が揃いました(笑)。

この3人、三角関係です。アントニオがブルーに好意を持っているのは書きましたが、ロレンツォはアントニオに好意を持っているのです。ブルーは、ロレンツォの気持ちは知っていますが、アントニオの自分に対する気持ちには全く気づいていません。

この奇妙な三角関係がラストの悲劇的結末への導火線となります。

ただ、映画は、そうした悲劇的結末が待ち受けているなどとは微塵も感じさせずに、ほぼ8割方まで進みます。3人に対する偏見や差別を執拗に描く映画ではありませんし、特にロレンツォとブルーは闘う存在ですので、むしろ陽気な青春ものとして進みます。

意気投合したロレンツォとブルーが、ブロンディの Sunday Girl にのって教室内を踊り回るシーンがあります。


Blondie – Sunday Girl – HD

こうした青春の自由なエネルギーに立ちはだかるのは教師たちです。ロレンツォの父親が学校に呼び出されます。 この父親、ちょっと出来過ぎなくらいな人物で正論で持って教師たちに相対します。教師たちもたじたじ、このシーンもちょっとした見どころです。

ロレンツォの両親がロレンツォを大切に、そして自由に育てようとしていることがよくわかります。こんなシーンがありました。ロレンツォが父親に、普通はもっと年少の子どもを引き取るのになぜ16歳の自分を引き取ったのかと尋ねますと、父親は単に「気に入ったから(こんな感じの台詞だったと思う)」と答えます。

青春時代というのは必ず両親への反発を感じるものです。多くの場合、その反発には理由などありません。そういうものです。

ブルーがそうです。ブルーの母親は夫に失望していると、夫やブルーが感じている人物で、若い頃の夢であった小説家を目指して小説を書いている人物です。ブルーはそのことを知っており、出版社からの、残念ながら…の手紙を母親が手にする前に破り捨ててしまうことを繰り返しています。

ある時、母親が小説とは別にネットにブログを書いていることがわかり、そこにブルーのことを含め家族のプライバシーが書かれていることを知ります。

映画の中では、このことが決定的ということではないのですが、思春期にあってはこれはもう大変なことで口も利かなくなります。

アントニオの両親は、アントニオの兄の死から立ち直っておらず、それがアントニオに複雑な感情を抱かせています。特に父親はアントニオに兄の代わりを求めているようなところがあり、アントニオは相当なプレッシャーを感じているのでしょう。

アントニオがロレンツォたちと親しくなるのは映画の中頃からです。周りから疎んじられているアントニオに声を掛けることで一気に親しくなります。ロレンツォがアントニオに好意を感じているのは早くからわかっているのですが、その気持ちが前面に出て親しくなるのではなく、あくまでも周り(社会)からはみ出しているという共通点が強調されています。

ある時、3人は自分たちを疎外する同級生たちへの仕返しとして、ネット上に暴露系の放送局を開設します。映画自体が陰湿ないじめや同級生間の争いをテーマにしていませんので、こうしたこともコミカルな雰囲気とノリで進み、結局、それがばれて3人は停学になるという、まあ、クラシカルな描き方になっています。

当然3人はそんなことでめげたりはしません。停学をいいことに街(どこ?)へ繰り出します。そのシーンは、レディガガの Born This Way を使い、ブティックでのファッションショーもどきのミュージカルシーンとして描かれます。


Lady Gaga – Born This Way (A Very Gaga Thanksgiving)

3人は川へ泳ぎに行きます。水着に着替えようと裸になったアントニオに、ロレンツォがそっと近づき、静かに後ろから抱擁しようとします。映画の展開としてはやや唐突なのですが、ある意味、青春ってそういう唐突さを持っているということなのでしょう。

アントニオはロレンツォをはねのけ、走り去ってしまいます。多くのことが未分化で渾然としているこの年齢の心理です、アントニオは混乱し悩み始めます。

このあたりから映画の空気は一変、不吉な空気が漂い始めます。

同時に、ブルーにも何か起きそうな予感を感じさせます。件の母親のブログがこのあたりだったと思いますが、さらに、例の皆の憧れらしい先輩が、おそらく都会の大学へでもいってるのでしょう、町に帰ってきます。どう見てもプレイボーイ(今はなんて言う?)系で、ブルーは遊ばれているとしか思えません。

まあ、皆の憧れの先輩が自分の彼であるという優越感などいろいろ屈折した気持ちがあるのでしょう、早速会いに行き、「何人と浮気したの?」とブルーにしてみれば冗談半分にでもそういう言い方をするしかないのでしょうが、先輩は「やっぱり君が一番いいよ。いつもあの時の動画を見ているよ」と答え、スマートホンで、ブルーが言っていた件の4Pの動画を流し始めます。

それは、おそらく先輩の家のプールでしょう、ブルーと先輩がキスなど戯れているところから始まり、周りには先輩の友人がいます。友人たちがブルーに近寄ってきて体をさわり始めます。ブルーは止めてというのですが、次第に行為はエスカレートしていきます。

映画は、動画ではなく、それを見つめるブルーをアップで取り続けます。その表情をどう表現すればいいのか言葉が見つかりませんが、屈辱、怒り、悲しみ、後悔、人間のあらゆる感情が詰まったような表情です。

集団レイプです。

なぜブルーが、4Pと自らも望んだことのように言っていたのかは難しすぎて言葉が思い浮かびませんが、この映画の3人にはこうした言葉では表現できない、人間の心の動き、おそらくそれらは、社会というものを認識し始め、それらと自分との齟齬のようなものを感じ始める思春期に最も表に出やすい様々な感情ではないかと思いますが、そうしたものが全編に見え隠れしています。

レイプであったと認識したブルーは母親の胸で泣き崩れます。その後の展開は、日本だったら、もちろんイタリアの実際はということも含めてですが、どうなるんだろう? どうするんだろう? と考えてしまいます。映画は、母親とブルーが警察で告発するシーンとなります。

この映画、2,3日前に見たものなんですが、今でもあのブルーの顔が浮かんできます。

で、この件、その後どうなったか、映画は語っていません。なぜなら、さらに悲劇的なことが起きたからです。

ロレンツォとアントニオです。アントニオは混乱したままです。ロレンツォはアントニオの誕生日にプレゼントを持ってバスケット場に向かいます。アントニオはロレンツォを突き飛ばし何度も足蹴にします。

ロレンツォのプレゼントは街へ繰り出した帰りの電車の中、ロレンツォが撮った3人の写真だったのです。

夜、アントニオはロレンツォに謝りに行きます。ロレンツォはアントニオにキスをします。ロレンツォは、アントニオとキスをしたとご機嫌です。この時のアントニオは突き飛ばしたりはしていません。アントニオの気持ちは、この後の展開を考えれば、何かを語るのは難しすぎます。

アントニオはさらにさらに混乱し、兄の亡霊と会話します。

翌朝、かなり思いつめた表情のアントニオ、学校へ向かいますが遅刻です。教師がもう入れられないと校門が閉められています。踵を返そうとしたアントニオに、教師が、これが最後だぞと校門を開けてくれます。

このシーン、かなり丁寧に描かれています。アントニオの心の揺れということでしょう。

そして教室、アントニオを目にしたロレンツォが笑顔で近づきます。

アントニオは取り出した拳銃を発射します。ロレンツォは倒れます。

何の情報も入れずに見に行きましたので、一瞬何が起きたのかわからないくらいでした。

最後にもうワンシーンあります。

ブルーがパソコンに向かいキーボードを打つ映像にナレーションがかぶります。そこそこ長い文章ですが、要点は、あの時ああしていなけばという内容で、それが映像として描かれます。つまり、川のほとりで、ロレンツォがアントニオを抱擁しようとした時、アントニオが、今はその気になれないと答え、何事もなく、3人が水遊びに戯れるシーンということです。

これは余計だと思いますが…。

最初で最後のキス(字幕版)

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  • 発売日: 2019/06/26
  • メディア: Prime Video
 
Un Bacio

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