クレオの夏休み

クレオのカーボベルデの夏は楽しさと寂しさと…

劇場で本編の前に流れる予告編を見ていて、いい表情が撮れているなあと目が止まった映画です。その6歳の少女クレオを演じているのは、撮影当時5歳半のルイーズ・モーロワ=パンザニちゃん、日本の公式サイトには「パリの公園で遊んでいたところをプロデューサーにスカウト」されたとあります。

クレオの夏休み / 監督:マリー・アマシュケリ

カーボベルデ(カーボ・ヴェルデ)といえば…

ルイーズ・モーロワ=パンザニちゃんの表情、特に笑顔にこちらの顔もほころびます。ああ、それにナニーのグロリアを演じているイルサ・モレノ・ゼーゴさんもよかったです。

セーゴさん(と呼べはいいのかな…)も演技未経験ということなんでしょうか、同じく公式サイトには「本作のリサーチでアマシュケリ監督がナニーの女性たちと会って話をしていた中で出会い、本作への出演が決定」とあります。

セーゴさんはカーボベルデ出身とあり、それに映画の中でもグロリアはカーボベルデからフランスに、いわゆる出稼ぎだと思いますが、働きにきているという設定で、ん? カーボベルデ? 聞き覚えがあるなあと思い GoogleMap で場所を調べてみれば、以前も調べた記憶があり、何だろうと思いましたらペドロ・コスタ監督でした。

私が見たのは「ホース・マネー」という、ポルトガルで暮らすカーボベルデ(カーボ・ヴェルデ)の移民たちの苦難の記憶を映像化したドキュメンタリーで、かなり抽象的な映画です。この「クレオの夏休み」とは正反対のような映画です。

ペドロ・コスタ監督は他にも「ヴァンダの部屋」「コロッサル・ユース」「ヴィタリナ」でカーボ・ヴェルデからの移民の物語を撮っています。

カーボベルデの夏は楽しさと寂しさと…

カーボベルデつながりで話が無茶苦茶それてしまいました(笑)。

クレオは6歳、父親と暮らしており母親はいません。クレオの生活環境など背景はまったく語られません。クレオはナニーのグロリアを母親のように慕っています。ある時、グロリアの母親が亡くなった(だったと思う…)と知らせが入り、カーボベルデへ帰ることになります。グロリアはもうパリには戻れない(理由は語られない…)、遊びに来てねとクレオに言い残して去っていきます。

夏休み(幼稚園ということでしょうか…)、クレオはひとりでグロリアに会いに行きます。グロリアには臨月といった感じの妊娠中の娘ナンダと12、3歳(くらいかな…)の息子セザールがいます。

しばらくは楽しいばかりのシーンが続きます。グロリアのもとで満たされた様子のクレオですが、どことなく何かが起きそうな空気を漂わせながら進みます。

ひとつはセザールのクレオへの嫉妬(のようなもの…)が明らかにされます。セザールはグロリアが長くフランスへ出稼ぎに出ていることもあるのでしょう、クレオに母親を取られたと感じています。クレオは父親からお金を預かりグロリアに渡しています。そのお金をセザールが盗んでしまい、グロリアが誰がとったの?! とクレオとセザールを問い詰めます。

そのシーンだけで終わっており、その後どうなったのかはわかりません。他にも中途半端に終わっているシーンがいくつかありましたので、さすがに難しいシーンではいい画が撮れなかったのかもしれません(完全に想像です…)。

そしてクライマックスです。ナンダに子どもが生まれます。これは映画のわりと早い段階に生まれており、クレオも可愛いなどと言いながら楽しい日々があり、しかし、やがてグロリアがその赤ん坊につきっきりになりクレオに構えなくなりますと、クレオはその赤ちゃんに死ねばいいのにと言ったりします。そしてある日、グロリアが昼寝をしているときに子どもが泣き始めます。クレオは子どもをあやし、グロリアが寝ているんだからと黙らせようと赤ん坊を激しくゆすります。グロリアが起きてきて何をしているの!と叱ります。

家を飛び出したクレオは海辺に行き、崖の上から海に飛び込みます。これには前ぶりがあり、セザールたち数人が飛び込んで遊んでいるところをクレオが見ているシーンが入れてあります。

率直なところ、あの高さから飛び込んだら死ぬでしょうとは思いますが、とにかく、その後の水中のシーンはアニメーションで描かれています。結局、セザールがクレオを助け出します。

で、どことなくセザールとも打ち解けたようなところがあり、もちろんグロリアは大人ですからしっかりとクレオを抱きしめて愛しているよと伝えるのです。

そして、カーボベルデの楽しい夏休みも終わり、クレオはパリへ帰っていきました。

これは映画ですので、グロリアはまた遊びに来てねとは言いません。それを言ったら、お盆に帰省した孫とじーじばーばの別れになってしまいます(ゴメン…)。

気になるどアップ映像…

それにしても、なぜあんなにどアップ映像ばかりで撮るのでしょう。引いた画ですとなかなか思うような画が撮れないのかもしれませんね。

中途半端に終わっているシーンが多いことや、率直なところ内容が薄いのも同じことで、背景や他の人物が入りますとドラマの流れに沿った画じゃないと使えなくなりますが、アップの画であればどのシーンでも使えます。

もうひとつ気になるのは、5歳、6歳の子どもに「死ねばいいのに」と言わせるのはどうなんでしょう。これもクレオのアップですので、そこに赤ん坊がいるわけではなく、その台詞だけを言わせているんでしょうが、最近はこういう子どもの使い方が気になってしまいます。

マリー・アマシュケリ監督はこの映画が初の単独長編監督作品です。2014年に「Party Girl」と言う映画を3人の監督で撮ってカンヌ国際映画祭ある視点部門に出品されカメラ・ドールを受賞しています。