1982年のメキシコのセレブ妻たちの映画を日本でやる意味ある?
「グッド・ワイフ」でググりましたら、何だこりゃ? テレビドラマが無茶苦茶ヒットします。同タイトルのアメリカのテレビドラマあるんですね。それに日本版のリメイク版まであります。まったく知りませんでした。
釣りタイトルだったようです(笑)。
ただ、知らない私は釣られたわけではありません。これはメキシコ映画ですが、最近では中南米の映画が公開されることが少なくなっていますので見てみようと思ったわけです。
原題は「Las niñas bien」で Google翻訳では「元気な女の子」、英題は「The Good Girls」となっています。原題のニュアンスはわかりませんが、どのタイトルもしっくりこない映画です。
内容はメキシコのセレブ(嫌いだけどイメージしやすいから使うか…)な妻たちの話という、なんともしょうもないものでした(ペコリ)。それこそアメリカのテレビドラマがやりそうな(知らないけど)ネタじゃないかと思いますし、正直、なんでこんな映画をいま日本でやるの? もっといい映画があるでしょ! と言いたくなります(笑)。
ただ、意外にも映画のつくりはこの手の話で想像してしまう安易なつくりではなく主人公であるソフィアの心情を追うことを心がえている風であり、アレハンドラ・マルケス・アベヤ監督には期待できそうな感じがします。
1982年生まれですから現在38歳、この映画が長編2作目ということで、メキシコ・アカデミー賞の主演女優賞、衣装デザイン賞、メイクアップ賞、音楽賞を受賞しているそうです。
物語は、セレブな妻たちのコミュニティがあり、そこで女王的存在として振る舞っていたソフィア(イルセ・サラス)が、1982年のメキシコの債務危機による夫の事業の失敗により豪邸を差し押さえられて没落(ちょっと違う)していくまでを描いています。
国家の債務危機という時代背景はほとんど描かれません。時々テレビのニュースが流れたり、どうやら夫は父親が築き上げた事業の二代目で、映画のスタート時には父親のブレーンだったと思われる人物が社長をやっていたものの危機になって逃げられ、その後社長の座につくもうまくいかないようで意気消沈して家でゴロゴロする様子が描かれるだけです。
ソフィアにもそうした状況はわかっているのですが、生活スタイルを変えることもしませんし動揺する素振りも見せません。プライドということで気を張っているのかもしれませんし、そもそもソフィアにとっては想像できないことなのかもしれません。ソフィア本人の家も裕福そうでした。
そのあたり、映画手法としてはソフィアの心情を追うスタイルはとってはいるもののソフィアはいつもキリッとしており、ラスト前のワンシーンを除いて崩れたり人を頼ったりするシーンがありません。
ですので、そうしたソフィアの生き様を見せようとしているのか、実はセレブが堕ちていく悲哀を描こうとしているがうまく描ききれていないのかよくわかりません。ただ公式サイトが言う「裕福な夫の“妻”として生きる女たちのマウンティング合戦」をやろうとしているようにはみえません。
ソフィアは、高価なドレスを買うもカードが使えないと言われたり、じゃあ小切手でと小切手を切るも後に不渡りになったり、使用人から今週分の給料をもらっていないと言われたりと、おそらくセレブにとっては精神をずたずたにされる(わからないけど)ようなことでもさほど動揺はみせませんし、たとえばその後ひとりになった時に気持ちが崩れるようなシーンもありません。
ですので、ソフィアの心情を追う手法としてはいろいろやっているのにその肝心のソフィアの人物がみえてこないというのがこの映画が面白くならないところだと思います。
社会情勢に合わせてセレブ・コミュニティのメンバーも入れ替わるのでしょう。アナという新入りがいます。ソフィアはそのアナが嫌いなようで自分の誕生パーティーにも呼びません。
この映画、セレブな妻たちの間の会話で名前がいろいろ出てくるんですが誰のことをいっているのかさっぱりわかりません。最後まで見ますとこのアナが実は重要人物だったんだとわかるのですが、前半では一体誰のことを言っているのかわかりませんので、冒頭のソフィアの誕生パーティーに呼ばれておらず、何やら誰かれはセンスが悪いだの不倫だの(違うかも)と言っていたのはこのアナのことだったんだろうと思います。
で、このアナが重要人物というのは、ソフィアがコミュニティの中で没落していくのに代わってのし上がってくるのがこのアナということです。
ラスト近く、もうソフィアが差し押さえられる云々の頃だったと思いますが、アナが催したファミリーパーティーの場でソフィアに、なぜあなたはいつも偉そうなのと喧嘩を売っていました。
ただこのときもソフィアは喧嘩を買うわけでもなく怯むわけでもなく顔色も変えずにアナを見返していました。
このあたりがこの映画がなにを見せようとしているのかわからないところです。
そしてラスト前、具体的に描かれていませんがおそらく何もかも失ったときではないかと思いますが、アナの誕生パーティーに呼ばれ、カードも使えず小切手も不渡りだった真っ赤なドレス(現金払いか?)を着てパーティーに向かいますが、途中で車がエンスト、外は雨、行かなきゃいいのにと思いますがそれはセレブじゃない人の発想らしく(笑)、ソフィアは小走りで向かい、途中でハイヒールの靴を脱ぎ、やっとアナ宅に到着します。結局中には入らず、使用人に自分のバッグをアナへのプレゼントだと渡して雨の中帰っていきました。バッグにもちょっとした曰くがあるのですが省略です(笑)。
このときでさえボロボロにはみえませんでした。俳優さんの持っているそうした雰囲気なのか演出なのか、やはりここでもよくわかりません。ただ、全体通してソフィアのメイキャップは変化させて情けなさみたいなものを出そうとしていたようには思います。ああそれとどのシーンかは忘れましたが、時代が時代ですからスーツでもドレスでも戦闘服のように大きな肩パットが入っているのですが、その肩パットを取るシーンがありました。
そしてラストシーン、これがまたよくわからないシーンで、ソフィア夫婦とアナ夫婦の会食シーンです。ソフィア夫がアナ夫に助けてもらったのかもしれません。
この時、アナ夫がソフィア夫のカフスを見ますとなんとそれは自分がなくしたカフスではありませんか、というカットがあります。実は例のファミリーパーティーの時にソフィアが盗んだものなのです。
なぜそんなものを盗んだのか、なぜ夫にそれをつけさせているのか、なにをやろうとしているのかまったくわかりません。
やっぱり、なぜ今この映画をわざわざ日本でやるの? と言う以外にはなさそうです。