父娘のつながりに救いを求めてはダメでしょう????田恵輔(吉田恵輔)監督の「よし」は「????」なのか、「吉」なのか、どっちなんでしょう?
公式サイトでも混在しています。これ、どっちでもいいわけじゃなく、検索に引っかからなくなるんですよね。
今作は古田新太さん…
????田恵輔監督の映画は「ヒメアノ~ル」から「犬猿」「愛しのアイリーン」「BLUE/ブルー」と見続けています。別にハマっているというわけではありませんが、なんとなく見なくっちゃという気にさせる監督ではあります。
人間の持っている悪意みたいなものを使ってドラマを作っていく監督で、でも、だいたい最後は常識的なところでまとめようとする傾向が強いです。
それに、俳優の使い方、というよりもキャスティングと言ったほうがいいかもしれませんが、とてもうまいです。そういう意味では俳優を活かす監督ということでしょう。
今作では、古田新太さん、うまいのは当然ですが、存在感ありますし、本当にこんなやつがいたら嫌ですし、怖いなあと思います。
こういう濃いーキャラの人物を作り出すのがうまいですね。「犬猿」の江上敬子さん、「愛しのアイリーン」の木野花さん、そしてこの映画では古田新太さんということです。
物語にはあざとさが感じられ…
古田新太さんが演じている添田充、たしかにこういうヤツはいるけれども、さすがにここまではしないだろうという人物です。いや、いるとしたらこの映画のようにあの程度のことで改心はしないでしょうし、おそらく犯罪行為までいくんだろうと思います。
娘が万引きを疑われて逃げ、交通事故にあって死亡するという、その父親です。
万引きをした、かどうかははっきりしませんがそれが重要ポイントではありませんので映画もそこには突っ込んでおらず、スーパーの店長青柳直人(松坂桃李)への添田の執拗な逆恨み的攻撃が描かれていきます。
添田は、娘が万引きなどするはずがない、青柳が娘に性的な目的を持って事務所に連れていき、娘は抵抗して逃げ出したに違いないと、ところ構わず、誰彼構わず、暴言を吐いて青柳や経営するスーパーを攻撃します。
で、映画が描いているのはその二人とともに、その事件を取材するメディア、主にテレビのワイドショー的なメディアスクラムや取材データの悪質な切り取りによる事実の歪曲を前面に押し出しています。
ただ、描き方があざといです。
正直なところ、そういう描き方はもうわかりましたので、じゃあなぜそういうことが起きるのかに迫る映画であってほしいと思います。いくらメディアの悪質さを描いても、それこそ私たちはそんなことはしない、あれは私たちとは違うのだという言い訳をしているようにしか思えません。なぜ人はワイドショーを好むのか、なぜつくる側は(おそらく)いけないこととわかっていながらやってしまうのかとの疑問をもった映画にしなければ、まったくもって同罪です。
だって、この映画の製作には電通も入っているでしょ。
あざとさと言えば、スーパーの店員に草加部麻子(寺島しのぶ)というあからさまに正義を振りかざして周りの人を傷つける人物を置いているのも同じことです。
草加部は自分の正義が社会の正義だと他人にも押し付ける人物ですので論外であるにしても、人が正しいと思って行動することを茶化すだけではなにも生まれません。
学校の対応の描き方もあざといです。添田の要求に折れて生徒からいじめに関するアンケートを取り、それをそのまま添田に見せていました。あの校長先生、やけに現実感があるなあと思って見ていましたが、あのうまさがあざといということです。俳優さんのことではありません、描き方のことです。
そうやって考えてきますと、本筋もあざといですね。
添田の人物像は、本音ではわかっているけれどもそれが表には裏腹に出てしまういう、かなり古いタイプの男の定型だと思います。前半はとにかく歯止めの効かなさが表現されていますので、これは根っからの横暴さを持つ男かと思っていましたが、映画が中盤に入り、娘の事故の加害者となった女性が自殺したあたりから突然変化します。
その女性の自殺の直接的な理由は、心底自分の過失を悔やんで幾度も添田のもとに謝罪に赴くのですが、添田は、許す許さない以前に話を聞こうともせず、ただ怒鳴り散らすだけです。結局、その女性は耐えきれずに自殺してしまいます。添田はその葬式に行きます。すでにこのこと自体に弔問の意志があるわけですから何かしら自分自身を悔やんでいるんでしょう。でも、娘の母親には、俺は絶対に謝らないぞと強がりの暴言を吐いてしまいます。それに対し、相手の母親は怒るどころか、涙を流しながら謝罪を繰り返し、娘を許してやってほしいと懇願するのです。
これをあざといと言わずしてなんというかという展開です。
添田はそれ以降変わっていきます。花音の遺品を調べ始めます。ぬいぐるみのポシェットからマニキュアや口紅(かも)が大量に出てきます。映画はそれが万引きしたものであるとは言ってはいませんが、添田はそう思ったのでしょう。こっそり捨ててしまいます。
花音は美術クラブに入っており、絵の具やパレットなど画材が残されています。添田はそれを使って絵を描き始めます。その様子を見た野木(藤原季節)に茶化されるのですが、その一枚に青空に白いものが描かれた絵があります。これ、なんすか? と尋ねる野木に、バカヤロウ、雲だよ、イルカに似た雲を見たことがあるんだよと答えます。
そしてラストシーン、教師が花音の描いた絵が学校に残されていたと家まで持ってきます。添田はその三枚の絵を一枚ずつ見ていきます。そして、最後の絵を見た瞬間、おっ、と小さく感嘆の声を漏らします。その絵は青空にイルカに似た雲が描かれている絵なのです。
添田と花音は同じ雲を見て、同じように印象に残ったということなんでしょう。ここから導き出されるものは、親子はどこかでつながっているということ以外にないです。
添田は、少なくともふたりの死、花音と加害者の女性の死に深く関わっています。さらに添田が責め立てた青柳は自殺未遂をし、スーパーも閉店せざるを得なくなっています。
それを親子愛の幻想で帳消しにしてしまうオチなんてのはまったくもってダメでしょう。
ネタバレあらすじ
独善的で横暴な添田
添田充(古田新太)が野木龍馬(藤原季節)と漁に出ています。添田は独善的で、人の意見をまったく聞かず、日常的に言葉は乱暴、優しさを感じさせるところなど微塵もありません。野木にも怒鳴りまくっています。野木は漁師仲間にもうやめたいと愚痴っています。
添田の娘花音(伊藤蒼)が学校の先生に自主性がないと注意されています。
添田は離婚しており、花音と二人で暮らしています。花音は母親松本翔子(田畑智子)とは頻繁に会っているようで、添田には黙って携帯も持たされています。
ある夜、夕飯の時、花音は添田に思い切って何かを相談しようとします。しかし、添田は娘にも乱暴な口しかききません。花音はなにも言えなくなってしまいます。さらに携帯を持っていることを知られ、こんなものまだ早いと外に投げ捨てられてしまいます。
花音の死
青柳直人(松坂桃李)が経営するスーパー、花音が化粧品の前に佇んでいます。花音がマニキュアに手を伸ばした瞬間、青柳がその手を掴み事務所に連れていこうとします。逃げ出した花音、後を追う青柳、そして、路上に飛び出した花音は車にはねられ、さらに対向車のトラックに引きずられ見るも無残な姿となって死亡します。
添田の青柳に対する執拗な攻撃が始まります。ただし、その行為は乱暴ではあっても陰湿なものではありません。理不尽なものではあっても真正面からの攻撃です。
青柳は実際にかなりのショックを受けているようで、ただひたすら謝り続けます。しかし、いくら謝っても、土下座しても、土下座など誰でもできると添田の怒りは増すばかりです。
添田の言い分は、娘の花音が万引きなどするはずがない、青柳が性的な目的をもって言いがかりをつけたに違いないということであり、まったく聞く耳を持っていません。
両者、マスコミの餌食となる
そうした対立関係がテレビのワイドショーの絶好の餌食となり、レポーターが執拗につきまとうようになります。当然ながら、添田の暴言は添田の粗雑さを見せる材料となり、また、青柳の方も取材映像が意図的に切り取られ変質者であるとのレッテルが貼られたりします。その影響から両者に対して匿名の陰湿な攻撃が始まります。それがせいでスーパーも立ち行かなくなります。
すでに書きましたが、青柳のスーパーの従業員草加部麻子(寺島しのぶ)は、ただひたすら謝り続けるだけの青柳に、あなたは間違っていないのだからちゃんと主張しなくちゃだめよと発破をかけます。草加部はボランティア活動にも熱心であり、人の役に立ちたいと思っている人物で、ただそれが行き過ぎて教条的になっています。
添田の攻撃は学校にまでおよび、仮にマニキュアを万引きしたとしてもイジメにあって無理やりしたに違いないと調査を要求して引きません。生徒たちからのアンケートを要求し、直接生徒と話すと言って聞きません。
というような混沌とした状態が映画の7割方(の印象)続きます。
添田の改心
これ、どうやって収拾つけるのだろうと思って心配になり始めたころ、上に書きました事故の加害者の自殺から添田が変化していきます。それはそれでいいのですが、それまでに広げてしまったあれこれはどうするんだろうと思いましたら、そのまま放りっぱなしで終わっていました。
学校との交渉もそれ以降なにも描かれず、校長が実はと言い出した青柳の痴漢行為の件もどうなっちゃったのと忘れ去られてしまい、青柳の方は、これまたあっさりとスーパーを閉めてしまい、10人くらいいた従業員はどうなったんだろうと、それなりに登場させていましたので本筋ではないにしても気になってしまいます。それに、あの正義を振りかざして、結果的に青柳を追い詰めることになる草加部はどこへ行っちゃったの、その行方はともかく、少なくとも意図を持って批判的に登場させていたわけですから、ちょっと批判しておきましただけではまずいでしょう。テレビのワイドショーも同じことです。
で、変わり始めた添田は、すでに書きましたように花音の画材で絵を描き、花音の読んでいた漫画を読み、娘のことを知ろうとし始めます。そして、四十九日の法要の際でしょうか、元妻の松本に、申し訳なかった、悔しかった(だったかな?)んだと頭を下げます。松本は添田の手にそっと手を重ねて許していました。
後日、添田は道路工事の警備員となった青柳で出会います。そして、お前はずっと謝ってくれた、俺も謝りたいが今は謝らない(こんな感じだったと思う)と、遠回しに謝罪します。
そしてラストは、上に書いたイルカの雲のくだりです。
添田を断罪せず終わっていいのか
映画だからいいようなものの、これが現実なら添田は許されません。人の命をふたりまでも奪い、スーパーの経営者を自殺未遂にまで追い込み、その従業員の職を奪い、それなのに、本人はやっぱり自分と娘はつながっていたんだと満足するということが許されることはないでしょう。
映画的に言えば、添田は一生自責の念に苦しむべきであり、それを暗示させて終わるべきだと思います。