単なるラブコメだった…(涙)
原作が綿矢りささん、監督が大九明子さんというのは「勝手にふるえてろ」と同じですね。ちょうど3年前に公開されています。
3年前となればさすがに記憶も薄れていますが似たような女性の話ですので比べてみますといろんなことが見えてきそうな映画です。
ラブコメ度アップは原作の変化?
どちらもラブコメのジャンルかと思いますが、この「私をくいとめて」の方がラブコメ度が上がっています。
「勝手にふるえてろ」の方は、主人公のヨシカ(松岡茉優)にやや人格崩壊的なところがあり、物語としてもシリアスっぽいところもありましたが、この映画のみつ子(のん)は単純に恋愛ベタという人物で、最後にはそれを乗り越えるという話です。
ですので133分というのはかなり長く感じます。それに映画のつくりもこちらのほうが雑です(ペコリ)。イタリア旅行も映画的に意味がありませんのでカットして90分くらいにしたほうがテンポが出ていい映画になると思います。
ヨシカ(松岡茉優)もみつ子(のん)も脳内にイマジナリーフレンドを持つ人物という意味では似ていますが、ヨシカの場合は脳内恋人の「イチ」という現実逃避型のイマジナリーであり、みつ子の方は、自ら「A」は自分自身だと言っているように、みつ子でなくても誰でも日々やっている心の葛藤を擬人化しているだけです。
映画ではその葛藤の一方である迷いや消極面を実際にみつ子が声に出して喋り、もう一方の積極的な面を「A」である中村倫也さんの声で入れています。
ヨシカの場合は現実の対人関係まで破綻しますのでかなりシリアスなんですが、みつ子の方の社会生活はほとんど問題がありません。ノゾミさん(臼田あさ美)という本音で喋れる先輩がいますので、みつ子の抱える問題が何かと言えばパートナーとなる異性がいなく自らおひとりさまを自虐的に自認しているということです。
綿矢りささんの本は「蹴りたい背中」を読んでいるだけですので、それとこの2本の映画からの想像の話ですが、それらに共通することは、恋愛において、異性に対する脳内イメージと現実とがうまく合致しない物語ということかと思います。
その点でウィキペディアの経歴を見ますと、「勝手にふるえてろ」が2010年の作品、そして「私をくいとめて」が2017年であり、その間の「2014年12月、2歳年下の国家公務員の男性と結婚。2015年冬に第1子を出産」しています。
ヨシカは社会的な対人関係にまでおよぶ悩みを抱えていましたが、みつ子の悩みは異性に対するものだけであり、そしてそれを乗り越えています。
作家の現実面がそのまま作品の主人公に現れているのだと思います。
ネタバレあらすじとちょいツッコミ
黒田みつ子31歳、ひとり暮らしの会社勤めです。
ただ、会社の職種もみつ子の業務もよくわかりません。その点でもこの映画がパターン化されたラブコメだと分かります。現実的な社会性がなく、たとえば、会社で上司からお茶出しを指示され、先輩のノゾミさんと二人で雑談をしながら準備をし、会議室へ行きひざまずいてお茶出しをし、その席にいる関連会社の多田くん(林遣都)に恋をするというシーンなど典型的です。
みつ子は自宅マンションに帰ると、声に出して「A」と会話します。「A」はアンサーのA、自分自身であり、みつ子の問い掛けにみつ子の心の声が答えます。
Aの声を中村倫也さんがやっていますが原作でも男性なんでしょうか。この設定で随分物語自体が変わりますね。それにみつ子とAの会話のレスポンスがよすぎてちょっと鬱陶しいです(笑)。この会話のテンポを変えるだけでも映画の印象が変わりそうです。
ある日、みつ子は町中で多田くんに出会い、お互いにぎこちないやり取りではありますが食事に誘います(ということでもなかったような…)。とは言っても、多田くんが玄関先まで来てみつ子がパックに詰めた料理を持って帰るだけの関係が続きます。
先輩のノゾミさんとは本音で話ができる関係です。ノゾミさんはユニークなキャラで社内でも浮いているカーターに密かに恋しています。
みつ子には学生時代の親友皐月(橋本愛)います。皐月は2年前(だったか?)にイタリア人と結婚してイタリアに行っています。今でもSNSで頻繁にやり取りしています。
年末年始の休暇にイタリアへ行きます。皐月の夫やその家族が明るく迎えてくれます。皐月のお腹には子どもがいます。幸せそうにみえる皐月も毎日が不安で家から出ない生活が続いている(ようなこと)と言います。
このイタリアパート、いります? みつ子が飛行機を苦手としていることを示すためなんでしょうか。そうだとしてもちゃんと行き帰りひとりで乗っているわけですし、みつ子のキャラクターに何かを付加しているわけでもありませんし、いらないでしょう(笑)。
それに皐月の設定もなんだか中途半端でまったくわかりません。みつ子をおいて先に結婚してしまったことで二人の間に何かあるとか、皐月の不安感を結婚に対する一般的な不安感にひろげてみつ子の迷いに重ねようとしたとか、そんなことであれば意味もあるのでしょうが、皐月のイタリア語も適当で夫と会話できているんだろうかとか、そっちのほうが気になってしまいます。
とにかく、イタリアパートは完全なる手抜きです。
イタリア旅行の前だったか後だったか忘れましたが、みつ子は自宅での食事に多田くんを誘い、天ぷらを一緒に食べます。それだけです(笑)。
そのお返しに多田くんがレストランでの食事に誘い、フレンチだったかイタリアンを一緒に食べます。それだけです(笑)。
この関係ならもう付き合っているということでしょう。もちろんその場の空気ということもありますので人それぞれではありますが、この映画の関係ならどう考えても二人は付き合っています。それでも言葉にしないと自信が持てない人たちの話ということです。
ノゾミさんがカーターに告白したいがために、大晦日のイベント、東京タワーに階段を登るイベントに多田くんと一緒に来てと誘ってきます。
そしてその日、東京タワーの階段で多田くんが告白します。そして付き合うことになります。
(記憶がはっきりしませんが)二人でドライブに行った先で雪になりホテルに泊まることになり、二人はぎこちなくも抱擁し、多田くんがみつ子の衣服に手をかけようとすると、みつ子は「ちがう」(だったかな?)と声をあげ混乱します。結局その夜は手を握りあって眠って終わります。
後日、ノゾミさんがカーターと付き合うことになったと言います。みつ子は多田くんから沖縄旅行に誘われます。
脳内イメージの中のみつ子は浜辺にいます。Aが実体を持ちます。中村倫也さんではありません(笑)。みつ子とAの会話があり、最後にAは海に消えていきます。
その後、みつ子と多田くんのシーンがあったんだっけ…ラストシーンの記憶がまったくありません(笑)。いずれにしても付き合うことになるという話です。
という書くほどもないあらすじでした。
で、なんなんだ、この映画は?
結局映画としては見るべきものはありませんが、唯一この映画で意味があるとすればのんさんでしょう。
芸能ネタとして顔や名前は知っているという程度ですが、この映画はのんさんの映画です。
この映画のみつ子は綿矢りささんそのものじゃないかという感じがします。綿矢りささんという作家は作家本人の意識が作品の人物に反映されるのではないかという考えからしますと、「勝手にふるえてろ」のヨシカは男目線的に美し(ヴィジュアルではない)すぎます。
おそらくそれは松岡茉優さんという俳優の持っているものから来るのだと思いますが、綿矢りささんの書く女性は、自意識が強く、他人の背中を蹴りたくなるほど他者に対する思い入れの強い人物という点においては、この映画ののんさんは原作のみつ子に極めて近いのではないかと思います。
まったくの想像です。