ナースコール

フロリアを演じるレオニー・ベレシュさんの看護師所作の見事さに驚く

英題は「Late Shift」、遅番の看護師の一日を追った現実感あふれる映画なのに、これがまた無茶苦茶サスペンスフルなんです。人手不足の病院で「ナースコール」が鳴りまくり、なにか起きるんではないか、いやきっとなにか起きるに違いないとハラハラドキドキがとまらない映画です。

ナースコール/ 監督:ペトラ・フォルペ

ネタバレあらすじ

原題はドイツ語の「Heldin」で英語の「Heroine」にあたります。「ヒロイン」というのはかなり皮肉を込めたタイトルなんだろうと思います。というのも、スイスでは、というよりも日本でもそうですし、おそらく世界中が同じ問題を抱えていると思われる看護師不足によって肉体的にも精神的にもオーバーワークを強いられている一人の女性看護師を追い続けている映画です。

監督はスイスのペトラ・フォルペ監督、現在55歳で日本での公開は初めてのようですが、IMDbには2000年くらいからのキャリアがあります。

主演は「ありふれた教室」のレオニー・ベネシュさんです。

レオニー・ベレシュさんの看護師所作がすごい

現実の看護師の一日かと見紛うばかりの現実的な映画ですので細かい部分での筋というものにあまり意味はありません。とにかく、ひっきりなしに鳴るナースコール、わがままな患者、身勝手な付き添いの親族などなど、私ならものの1分でキレています。

でも、何があっても、どんなに患者がわがままでもキレちゃいけないのが看護師という仕事です。

看護師フロリア(レオニー・ベレシュ)の一日が始まります。その日は遅番(Late Shift)です。一人が病気で休み、もう一人の同僚と二人で満床の病棟をみなくてはいけません。シフトに入るや即座に早番の看護師のサポートに入っての手際良さや、顔を合わせる患者たちに声を掛ける様子はフロリアが有能な看護師であることを示しています。

この映画の映画としてのすごさはフロリアを演じているレオニー・ベレシュさんのまったく淀みない看護師としての動作と行動です。とにかくすごいんです。点滴交換、血圧測定、体温検診といった基本的な作業はもちろんですが、注射の準備作業、

看護師の注射準備は、6R(正しい患者・薬・用量・目的・用法・時間)のトリプルチェック、手洗い・手指消毒、無菌操作での薬剤吸引(アンプル・バイアル)、シリンジ・針の接続、空気抜き、ラベル貼付が基本。指示書と薬剤を照合し、清潔なトレーに準備します。
(Gemini)

まで完璧(だと思う…)なんです。また、そうした具体的な作業だけではなく、作業の合間の何気ない間合いさえも、もう看護師そのものなんです。

カメラワークも相当考えられています。まさか稼働中の病院で撮影というわけにもいかないでしょうからどうやって撮ったんだろうと思いましたら、取り壊し予定の病院で撮影されたそうです。また、25年間 ICU で勤務している(現役という意味のよう…)看護師がレオニー・ベレシュさんのコーチとして入っていたそうです。

ちょっと脇道、タイトルのこと

上の情報は「Loud and Clear」によるペトラ・フォルペ監督へのインタビューによるものですが、その中にインタビュアーのちょっと珍しい質問がありましたので引用しておきます。

I’m interested in knowing if you had any input and/or feelings about the title of the film translating to different things in different languages.

映画のタイトルが他の言語へ翻訳される場合に原題とは異なった言葉に翻訳されることについて意見や感想があればお聞きしたいと思います。

インタビュアーは具体的にドイツ語の原題は英語の「Heroine」を意味する「Heldin」だが、英題では「Late Shift」、フランスでは「on the front line(最前線で)」を意味する「En Première Linge」であると付け加えています。

ペトラ・フォルペ監督はドイツ語タイトルは「ヘロイン(heroin)」じゃなく「ヒロイン」だと説明しなくちゃいけないとジョーク(じゃないかもしれない…)を交えつつ、

the women who do these nursing jobs are female heroes! I wanted to keep it that way.

看護師の仕事につく女性はたちは女性のヒーローであり、そうあり続けてほしい。

との思いを込めた原題だと答えています。

邦題の「ナースコール」の話は出ていませんが、このことで思うのは、「Heldin」にしても「Late Shift」にしても「on the front line」にしても言葉の主体は看護師にあります。一方「ナースコール」は視点が客観にあります。概して邦題にはこうしたケースが多いように感じます。原題が主人公の思いや映画のテーマそのものであってもそれを客体化し、結果として情緒的なタイトルにしてしまいます。

そして、看護師不足の末に

話を映画に戻します。

この映画はやや短めの92分です。その2/3くらい、1時間ほどはレオニー・ベレシュさんの神業的看護師所作を追い続けており、さすがに肉体的にも精神的にも疲労がたまり笑顔もひきつり気味になってきます。

ミスが起きます。ある患者がアレルギー症状を発症します。フロリアの緊急処置と駆けつけた医師の処置によって危険状態は脱しますが、実はそのアレルギー症状はフロリアが医師から指示のあった鎮痛剤を間違えて患者に投与したことによるものなのです。

さらに、ある患者が同室の患者の様子が変だと知らせてきます。意識がないとみたフロリアはすぐさま心臓マッサージを始め、医師を呼びます。しかし蘇生することなく亡くなります。フロリアは巡回の順番が最後だったと涙をためて悔やんでいます。

個室に入っている男の患者がいます。おそらく社会的地位もありそれなりに裕福なんでしょう。態度が横柄です。映画終盤に入る前に2シーンほど、対応が遅いだの、ジャスミンティー(だったか…)を頼んだのに違うお茶がきただのと文句をいうシーンがあります。男はサイドテーブルに時計を置き、何分掛かっただのとネチネチと言い募っています。

フロリアの精神状態が沸点を越えます。フロリアは男の時計を取り窓から投げ捨ててしまうのです。男は4万フラン(スイスフラン、800万円くらいか…)の時計だぞと怒りを越えて呆然としています。

その後、フロリアは屋外に時計を探しに行きますが見つかりません。そして、あらためて男の病室にいき、この件は明日上司(もう少し具体的だった…)に報告し、4万フランはいつまでかかるかわからないが弁償しますと謝罪します。

男は泥だらけのフロリアを見て、自分にはもう時計は必要ない、君にあげる、気づかせてくれてありがとうと答えています。もう先は短いと思っているのでしょう。映画はそうだと言っているわけではありません。

フロリアが男の病室から出てきますと一人の患者がフロリアに時計を手渡します。我々観客は、すでにその患者の手に時計があることを知っていますのでどうするんだろうと見ていたということです。

フロリアの遅番の勤務は終わりました。夜勤の看護師に引き継ぎ、バスで帰路につきます。疲れ切ったフロリア、隣の席に女性が座ります。その女性の首にはフロリアがその日亡くなった患者に巻いたスカーフが巻かれています。フロリアはその女性の肩に頭をもたれかけます。

幻なのか現実なのかは重要なことではありません。フロリアのその時の思いが現れた画ということです。

感想、考察:ドラマ臭くなり過ぎていないか

映画としてはとてもよく出来ています。レオニー・ベレシュさんの神業的演技、流れるようなカメラワーク、緊張感のある演出、ドラマとしての最後のまとめ方、たしかにこれがサスペンスものであれば文句のつけようのない出来です。

実はこの映画ととてもよく似た映画を過去に見ています。

レア・フェネール監督の「助産師たちの夜が明ける」です。フランス映画で、新人助産師2人を軸に人員不足による助産師たちの過酷な労働環境を描いています。同じようにほぼすべて病院内の慌ただしい人の動きでつくられた映画です。ひとりを追い続けているわけではありませんがカメラワークや編集はとてもよく似ています。また、テーマも助産師の待遇完全をはっきり打ち出しています。

そのレビューでは過酷さの描写が過剰であること、そしてその結果としてドラマ臭く感じると書いています。

実はこの「ナースコール」でも同じことを感じています。

問題は人員不足による過重労働という構造的な問題であり、一看護師の問題として矮小化して描くようなテーマではありません。

いくつか奇妙な描き方がされていることがあります。

事務室(かどこか…)からフロリアに、緊急の入院患者がいる、病床は空いているかと電話が入ります。このこと自体が実は変なんですがそれは置くとして、フロリアは満床だと答えています(手一杯だったか…)。しかし、結局フロリアは受け入れています。

また、医師との面談を求める患者がいます。忙しく動き回るフロリアに2度3度と請求してきます。その都度、フロリアは事務室(ナースステーションか…)にその旨を伝えています。その後、帰ろうとするその医師を見かけたフロリアは後を追い、患者が面談を求めていると言います。医師は手術続きで疲れていると答えます。フロリアが10分でいいと言っても帰ろうとします。フロリアが患者には話を聞く権利があると強く言いますと、医師は私には帰る権利があると言い捨てて帰ってしまいます。フロリアは患者から責められることになります。

これらは一看護師であるフロリアが対処すべきこととして描くことではありません。それに同じシフトに入っているもう一人の看護師がフロリアと同じような状態にあるように描かれていないことも気になります。

こうしたドラマづくりをどう考えるかです。私はこの過剰さが映画にマイナスになっていると思います。さらに言えば、そうした過剰さで見るものの感情を揺さぶり、最後に時計の件やバスの中の描写で溜飲を下げさせるという手法はとてもドラマ臭くありきたりに感じます。