見なくてはわからないリアリティとダイナミズム
革命のダイナミズムとはこういうものかも知れない。
というのが、この映画を見てまず最初に思ったことです。戦争は突発的にでも起きますし、ある一人の意志で起こすこともできますが、革命はそういうわけにはいきません。
ある集団、階層、階級に共通した「怒り」がベースになければ革命は起きません。
最初から最後まで「怒り」が渦巻いた映画です。
「レ・ミゼラブル」
ヴィクトル・ユーゴー(ユゴー)のあまりにも有名な小説のタイトルですが、この映画はその現代版でもなく、翻案版でもありません。映画の舞台となっているのがモンフェルメイユという、ジャン・ヴァルジャンがファンティーヌとの約束を果たすためにコゼットを迎えに行き始めて会う街であり、そして映画のラスト30分のクライマックスを小説でもクライマックスとなっている「六月暴動」にかけているのだと思います。もちろん、そのタイトルが「悲惨な人々」「哀れな人々」(ウィキペディア)を意味していることもあるのでしょう。
この映画の暴動の主役は子どもたちです。そして打倒されるべき権威は大人たち、それは常日頃から敵対する警官だけではなく、自分たちの保護者でもあり、それゆえに抑圧者でもある自分たちの集団のボスも含まれます。
公式サイトによれば、モンフェルメイユという地域は、「移民や低所得者が多く住む危険な犯罪地域」なんだそうです。映画でもそのように描かれていますし、そうした地域の2日間にわたる出来事だけを追っています。
警官3人が車で巡回に出ます。
ステファン(ダミアン・ボナール)はシェルブール(と言っていた)から異動してきたばかりです。チーフはクリス(アレクシス・マネンティ)といい、かなり古株なんでしょう、その地域の事情をすべて把握しているようで、住民にも抑圧的ですし、地域のボスとの裏取引もやっているある種悪徳警官のようです。そしてもうひとりはグワダ(ジェブリル・ゾンガ)、キャラクターとしてはあまりはっきりしておらず、クリスに従っているという感じです。ただ、暴動のきっかけをつくるのがこのグワダで、子どもをゴム弾で撃ってしまいます。
経緯はこうです。
映画が始まってしばらくは、クリスの横暴さを見せるシーンが続き、(この地域に対しては)新米であるステファンの戸惑いが描かれます。街を歩いている女子3人を呼び止め、ヤクをやっているだろうとかと絡み、それを動画に撮ろうとするスマホを叩き落として壊してしまったりします。ステファンはもういいだろうと止めに入っていました。
確かに街はスラム化しており、古びた共同住宅は廃墟化しそうですし、街の住人たちはどこか殺気だっているようにみえます。子どもたちもそうで、イタズラの度を超えそうなところがあります。
その共同住宅には背中に「Le maire(市長)」のネームを入れたボスがいます。おそらく外敵から守ることを口実に内部のものにも抑圧的になる人物ということだと思います。子どもたちに対してもそうであり、またそうした大人を見て子どもたちは育っていくということです。
そこに数人の男たちが子どもにライオンの子どもを盗まれたと押しかけてきます。
しばらくは、男たちがプロレスラーのようですし、かなり怖そうな雰囲気でしたのでどういうことかよくわかりませんでした。サーカス団の人たちでした。だからライオンということです。
で、3人は、ライオンを盗んだその子どもを見つけ追いかけ捕まえますが、そこに仲間の子どもたちも絡み、グワダが逃げようとする子どもをゴム弾で撃ってしまいます。
ゴム弾というのは殺傷能力がなく(使い方によってはある)暴動鎮圧に使われるものらしく、幸い子どもは気絶はしたものの命に別状はなくすんでいます。
ところが、今度は、その一部始終をドローンで撮影されていたことがわかり、その動画の争奪戦が始まります。
ここら辺りまでは、映画的にはとらえどころがないこともあり、やや散漫な印象がありますが、中盤からは一気に緊迫感が増し引きつけられます。
動画の争奪戦は、それを手に入れれば警官たちを脅して思うように扱えるとの思いで地域のボスやその他よくわからない集団も加わり、結局、子どもが逃げ込んだムスリムのグループのリーダーとステファンとの話し合いでステファンのもとに戻り(警官たちにとって)事なきを得ます。
このシーン、ムスリムの店に皆が押し寄せ一触即発の状態のところ、突然ステファンがムスリムのリーダーにふたりで話がしたいと言い、それが受け入れられます。映画の振りとしては、前半にステファンがその店を訪れるシーンはあるのですが、え? あんた、この場をおさめられるの? とかなり違和感が感じられます。
さらにその次、動画をめぐる一件はおさまり、警官3人が職務を終えて、それぞれ家庭に戻り、その日の疲れや興奮からの反動なんでしょう、気の滅入りのようなシーンがかなり感傷的に描かれます。
これにもかなり違和感を感じたんですが、おそらく、次の日の衝撃の30分への逆説的な振りだったんだろうと思います。
動画(SDメモリ)はムスリムと話をつけたステファンからグワダに渡され、その際、ステファンは、お前たちのやり方は間違っているといった意味のことを告げ、この動画をどうするかはお前次第だと言って去っていきます。ですので、この件で何かあるのかなと思いましたが、これはこれで(映画の中では)終わっていました。
ゴム弾で撃たれた子どもも顔が腫れあがってはいましたが、クリスからもうするなよ(そんな優しくない言葉)と言われ家に戻っていきます。
で、次の日、3人の警官の同じような一日が始まります。
しかし、何か様子が違います。子どもたちが3人を水鉄砲(のようなもの)で襲います。逃げる子どもたち、追う3人、しかしそれは子どもたちの策略です。3人を待ち受ける子どもたち、まるで迫撃砲のような巨大花火(かな?)で3人を襲撃します。共同住宅に逃げ込む子どもたち、追う3人、しかしそこでも待ち受けた子どもたちに襲われます。
Le maire のボスが割って入ります。しかし、子どもたちにとってはそのボスも自分たちを抑圧する権力者に変わりはありません。ボスも子どもたちに袋叩きにあいます。
そして、ラスト、階段の踊り場に追い詰められた3人、そこにあのゴム弾で撃たれた少年が手に火炎瓶を持って現れます。この少年の風貌は目に焼き付きます。ジャージのフードを目深にかぶり、顔は腫れあがり、その目は憎しみをたたえています。
そして、少年は火炎瓶に火をつけます。ステファンはやめろ! と叫び、拳銃を抜き少年に銃口を向けます。少年は火炎瓶をにぎったまま動きません。ステファンがやめろ! と叫びます。
さてどうなるのか? 映画は結論を出さずに終わります。
そりゃ出せないでしょうし、それで正解だと思います。ただ、この子どもたちは(お前たち)大人が育てたのだ(違うかも知れない)とナレーションが入って終わります。
これだけのリアリティを持ちながら、これだけのダイナミズムが感じられる映画を久しぶりに見ました。映画的には物足りなさも感じますし、前半が後半の前ぶりになっていることにやや残念感はありますが、言葉では表せない、見ずしては感じられない力がある映画であることは間違いありません。