男女逆にイメージしてこの映画の印象と比べてみれば何かが見える
グロリア・グレアムさん、アカデミー助演女優賞を受賞したのが1952年、29歳の時の「悪人と美女」、亡くなられたのが1981年ですから57歳です。そのグロリアさんの亡くなられる直前の物語です。
原作があり、著者がピーター・ターナーさんとなっていますから、最後の恋人であり、この映画のピーターですね。
Film Stars Don’t Die in Liverpool: A True Story
- 作者: Peter Turner
- 出版社/メーカー: Pan Books
- 発売日: 2016/05/31
- メディア: ペーパーバック
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映画の原題も原作も『Film Stars Don’t Die in Liverpool』、直訳すれば『映画スターはリヴァプールでは死なない』ですか…。邦題は例によって(笑)ラブストーリーを強調していますが、映画はともかく、原作はかなり印象の違うものかもしれませんね。
映画にも、なんとなくですが、ラブストーリーだけじゃない何かが感じられます。
ひとつは、ピーターさんの自分のもとで最期を看取れなかったことへの思い、そしてもうひとつがグロリアさんの生活観です。
ピーター(ジェイミー・ベル)とグロリア(アネット・ベニング)が出会うのが、ごく一般的なアパートメント、ピーターは無名の俳優で労働者階級、ピーターの母親との親密な関係、カリフォルニアのグロリアの住まい(母親のかな?)もかなり質素、これらの描き方をみますと、実際のグロリアがどうであったかはわかりませんが、こうしたところを、特に実際のピーターは強調したかったのかもしれませんね。
物語はかなり単純化されており、晩年のグロリアの人物像やピーターとの愛自体はあまり浮かび上がってはきません。
映画は、グロリアがイギリスのランカスターでも舞台の公演中に倒れ、ピーターのもとで過ごす6日間(らしい)の現在とふたりの出会いと別れの過去がかなり頻繁に交錯します。
この手法があまりうまくなく、現在と過去が変わるたびに、ん? とつまずきます。
ふたりの出会いのシーンもなんだか意図を図りかねます。
ふたりは(多分ロンドンの)アパートメントの隣合わせの部屋を借りており、たまたま出会った時に、グロリアが、あなたダンスは好き?と尋ね、その後、日をあらてめて(だったかな?)グロリアの部屋で踊り、次第にノリノリになり、グロリアが上着を脱いで誘うふりをするものの、ピーターが舞台だったかオーディションだったかで行かなくてはいけないというのに、グロリアが、私がおばさん(そんなような意味合いだった)だから!?とかムッとすると、ピーターがいきなりキスをしてそのままベッドイン、って描き方はどうよ? ということです。
こういうところに女性への偏見が現れます。これ、男女逆にイメージしてみればすぐに分かります。仮に原作にそう書かれていたとしても、映画的いえば男女逆ならそうは描かないということです。
その後ふたりは、カリフォルニアでグロリアの母と姉に会い、姉から辛辣なこと言われていました。グロリアは4度の結婚をしているらしいのですが、4人めの夫が2人めの夫の義理の息子、つまり夫の前妻の子どもだったらしく、初めてセックスしたときは未成年だったでしょと非難されていました。
その2人めの夫との間にもひとり息子がいて、それがピーターと同じくらいの年齢ということからの話なんですが、これも、他には全くそうした話はないのにもかかわらず、唐突に、このワンシーンしか登場しない姉にふっと言わせているというのが、どういう意図なのかよくわかりません。
ただ、このカリフォルニアの海辺のシーンはきれいでした。最初に書きましたように、住まいの質素さをわざわざ見せるように海辺から住まいを撮ったカットを入れていたように思います。グロリア自身も台詞として、こういうところが好きだとかそんなようなことを言っていたように記憶しています。
そして、ふたりの過去の別れのシーン、ニューヨークのホテルに滞在しています。ピーターが目覚めますとグロリアがいません。戻ってきたグロリアが沈んでいますので、何かと尋ねますが曖昧にして答えません。ついにピーターが男か?と喧嘩になり、グロリアはピーターを追い出してしまいます。
このシーン、ラスト近くにもう一度描かれます。最初はピーターをとらえた描き方だったんですが、二度目はグロリアをとらえてその真相を見せるという手法です。ただ、これもあまりうまくありません。
真相は、グロリアは医者の診察を受け、がんを宣告されていたということで、戻った時にピーターが電話で母親からオーディションがあるから戻りなさいと言われており、今の生活を壊しなくないと断っていることを目撃したためにわざと追い出したと(見せたかったと)いうことです。
そして現在、再開したピーターはなぜ電話に出なかったのかと、若干責め口調でしたが、それ以上のやり取りはありませんでした。まあ、倒れた人を引き取ってきたわけですからそれどころじゃないでしょう。
ということで、現在のシーンは、ピーターの両親のもとで過ごす6日間です。
ピーターの両親がいい人たちです。あんなに親身に面倒を見るほどグロリアとピーターの母親が親密であったのかと多少疑問は残りますが、グロリアにとってあの空間が落ち着けるということを描きたかったんでしょう。
最初はグロリアの病名を知らないピーターですが、診断書(?)を見つけ、ニューヨークの医師に電話をし、がんであることを知ります。どうするべきか迷うピーター、ある日、家族に問い詰められ、そのことを明かしますと、両親と兄は家族に知らせるべきだと言い争いになります。聞きつけたグロリアが二階から降りてきて息子に電話をしてと言います。
クライマックス(的)に「ロミオとジュリエット」の一場面を引用していました。過去のシーンの中で、グロリアがジュリエットを演じたいと言い、それに対しピーターが乳母だろうと言い返し、ちょっとしたいがみ合いのようなシーンがあり、それを受けて、もうかなり消耗して歩くのもやっとのグロリアに対するサプライズとして、リヴァプールの劇場へ連れていき、舞台の上でジュリエットを演じさせるというものです。
そして、息子がニューヨークから迎えに来ます。例の2人めの夫との間のピーターと同じくらいの歳の息子ということなんでしょう。
そして、別れ、グロリアは去っていきます。映画はここまでですが、その後、1981年10月5日、グロリア・グレアムさんはニューヨークで亡くなったということです。
この映画が何を描こうとしたのかはもうひとつはっきりしませんが、これが恋愛映画だとして、年齢の離れた恋愛もののほとんど(すべて)が逆のパターンであり、「ある天文学者の恋文」などという、死んでも相手の女性を縛り続ける年老いた男の話という残酷な映画もあるくらいですから、脳内偏見を取り払うためにはこういう映画をどんどん見たほうがいいとは思います。