家族の崩壊と都市開発の危うさ、そして AI 的映像…
今年2025年のカンヌ国際映画祭の監督週間で上映された映画です。監督は団塚唯我さん26歳、この「見はらし世代」が長編デビュー作で、文化庁主催の ndjc2021 で制作した「遠くへいきたいわ」で注目を集めたとのことです。

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ネタバレあらすじ
なんとなく「監督週間」って言っているだけではダメだろうと思いちょっと調べてみました。
カンヌ公式とは別のフランス監督協会が主催する独立部門で歴史は意外に古く1969年から行われています。過去に上映された映画を見てみますとかなり多様で、確かに登竜門的な意味合いもあるのですが、中には李相日監督の「国宝」といったエンターテインメント作品も選出されています。
日本の監督の映画では、古いところから大島渚監督「絞死刑」「新宿泥棒日記」「儀式」、吉田喜重監督「告白的自由論」「戒厳令」などがあり、調べるのが面倒になりましたので飛んで(笑)、河瀨直美監督「萌の朱雀」、西川美和監督「ゆれる」、昨年2024年には山中瑶子監督「ナミビアの砂漠」が選出されています。
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家族旅行、夫は仕事へ…
という監督週間に長編デビュー作で選出されたという団塚唯我監督の「見はらし世代」です。
引いたフィックスの画、とても長い間合い、都会の風景と大勢のエキストラ、といったことが多用された映画です。物語としては、夫が大黒柱家族の崩壊を軸にして、それに都市開発の危うさみたいなものを若干感じさせているというところかと思います。
夫婦と子ども2人の夏の家族旅行が20分くらい(だと思う…)描かれます。
別荘への道中、ドライブインで休憩後に車に乗り込むシーンが妙に意味ありげに描かれていました。何かありそうと感じさせます。夫と子どもはすでにパーキングエリアの車まで行っており、パーキング内の車道を挟んでこちら側に妻が取り残されています。車道を数台の車が通り過ぎていきます。走行音も強調されていたんじゃないかと思います。轢かれるんじゃないかなんて見ていました。
まあそれはなかったんですが、このドライブインをラストのシークエンスでも使っています。
別荘に到着後、夫の初(遠藤憲一)に仕事の電話が入り、妻の由美子(井川遥)と言い争いになります。夫は大切なコンペなんだと言っています。妻はこうしたことが始終続いているという思いらしく、もう限界という感じを漂わせています。
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夫の成功、家族の崩壊…
そして現代、家族旅行から10年後です。
20歳くらいになっている蓮(黒崎煌代)は大規模園芸店の配達員をしています。上司との会話では反抗的な雰囲気を隠さない人物であることを見せています。ある時、胡蝶蘭に立てるお祝い用の立て札を見て俺が配達に行くと持って出ていってしまいます。
配達先は父親の会社です。父親の初はランドスケープデザイナーとして成功しており、都市開発などの建築模型の展示会をやっています。蓮は外からガラス越しに父親をじっと見ています。何かわだかまりがあるようです。
蓮は姉の恵美(木竜麻生)に父親に会ったと話します。恵美はもうどうでもいい、会うつもりもないと言っています。恵美は結婚するつもりだと言い、相手と一緒に暮らすから引っ越しを手伝ってと言います。
初(遠藤憲一)は都心にシャレたオフィスを構えており、シンガポール(だったか…)から帰ってきたと言っていますので世界的なデザイナーということです。助手のマキ(菊池亜希子)とは個人的な関係もあるようです。後に初が結婚するつもりだと言います。
姉弟の会話で母親は亡くなっていることがわかります。あれから3年後と言っていたように思います。はっきりとは語られませんし描かれもしませんが、姉弟は父親のせいだと思っているようです。自殺なのかも知れません。
父親が仕事で家族を顧みないことで家族が崩壊したということです。
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電球が落ちて、幻の家族再生へ…
という設定で進むのですが、いや、あまり進まなく、なにか描かれたような、そうでもないような映像が続き、ラスト近くになり、恵美の引っ越しの際、蓮は強引に父親と会うセッティングをし、10年前と同じドライブインに向かいます。
一方、初はマキを子どもたちに紹介するつもりでバイクでドライブインに向かいます。
そして、テーブルで向かい合う3人、マキはトイレに行っていて遅れてくる設定になっています。特に会話のない初と蓮、初は恵美になにか食べるかと尋ね、お腹空いていないという恵美、結婚するつもりだという初に、その人と幸せに暮らして私たちとも仲良くやっていますって言いたいわけ、と冷たく突き放す恵美です。
その時、突然天井から電球が落ちてきます。次元が変わり、初の隣には由美子(井川遥)が座っています。
この展開には前振りがしてあり、テレビ映像だったと思いますがバラエティショーのような番組で出演者が電球が落ちてきたことがあるみたいなことを喋っていました。
次元の変わったシーンの由美子は初を咎めることもなく、あなたはよくやっているなどとすべてを肯定的に語ります。
そして、現実の初はと言えば、その後ひとりで涙を流しながら嗚咽を漏らしています。その姿を隠れて見る蓮です。
恵美の方は、ちょっとややこしいのですが、実は恵美とマキはフィットネスクラブかなにかで知り合っており、さらにドライブインのトイレで出会っています。その後マキはドライブインのガラス越しに3人を見て、恵美が初の娘であると知り、その場から去ってしまいます。
恵美と蓮には電球落下騒ぎ後の由美子は見えていない設定だと思います。恵美は蓮に車の鍵を貸してと言って出ていってしまいます。その後は省略されていますが、おそらく恵美は以前マキとは連絡先交換していますので電話したのでしょう、車の助手席にはマキが乗っています。マキは恵美にひとりで生きていくことにしたと言っています。その後、2人は別荘に行き、恵美は母親が亡くなった(自殺した?…)のは私のせいかも知れないと言います。
まだシーンはあるのですが、家族の物語は以上です(笑)。
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都市景観プロモーション映像…
最初に書きました家族の崩壊と都市開発の危うさですが、この映画は渋谷の MIYASHITA PARK(知らないのでそうだと思うだけ…)を映画全体の背景として取り入れています。街の風景やそこを行き交う人々の映像がたくさん挿入されています。ですので映画全体が都市景観プロモーション映像のようにも見えます。
MIYASHITA PARK は、もとは宮下公園と言い、ホームレスの多い公園だったらしく、十数年前に再開発計画が持ち上がった際には反対運動が起きていました。その生まれ変わった都市景観を映画の背景にしているということです。
また、この映画では架空ではありますが同じように公園の再開発計画があり、それを初の事務所が受注するという設定になっています。ホームレスの排除シーンが2、3シーン挿入されています。また、初の事務所の従業員がそれに対して意義を申し立てるシーンがあり、初は会社を維持していくにはこういう仕事も請けないとやっていけないと答えています。
これは映画冒頭の家族旅行のシーンで、由美子がお願いだから家族と一緒に過ごしてと言うことに対し、初が家族を食べさせていかなくちゃいけないと答えていることと対になっています。
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感想、考察:AI 的映像…
この映画を見ただけでは団塚唯我監督がホームレス排除や大規模都市開発をどう思っているのかはわかりませんが少なくとも真正面から語っている映画ではありません。
多少なりとも後ろめたさのようなものがあるのか、あるいは単に父親への複雑な心情の現れなのか、この映画は団塚唯我監督の実の父親をモチーフにした映画のようです。
いずれにしても映画からなにか強い思いが伝わってくる映画ではありません。
テーマである家族の崩壊にしても目新しい題材ではありません。もちろんそれぞれ個人の問題としては大切なことではあるのですが、映画にするのであればその問題から何らかの普遍性を導き出すだけの洞察力か、あるいはむしろ逆にベタな感動物語にするだけの強靭さがなければ人の心を動かすことは出来ません。
この映画は過去を回想し、その過去に対してこうであればよかったのにと上書きしています。10年前に父親が泣いていれば家族は崩壊していなかったと言っているだけです。
この映画一本だけでは団塚唯我監督がどういう映画を撮ろうとしているのかまったくわかりません。相当に辛辣な言い方になりますが、この映画なら AI でも作れそうに思います。
AI には記号接地問題というものがありますが、母の喪失、父へのとらえどころのない感情、排除されるホームレスの痛みといったものが感じられる映画でなければ、空虚な映像空間をさまよい続けるものにしかならないということです。
ラストの LUUP シーンがいかにも AI 的です。
