ミセス・ノイズィ

映画に隙きはないが味わいも薄い

天野千尋監督の映画は短編を2本見ているだけですが、映画づくりがうまくて隙がない印象です。この映画もその印象どおりでした。

ミセス・ノイズィ

ミセス・ノイズィ / 監督:天野千尋

映画に隙きはない…が、

基本は三幕構成的であり、オチもきっちりついています。内容は人物や社会を風刺的に描いているところがありますのでブラック・コメディと言えるかもしれません。

人が思い込みで物事を判断したりすることや、炎上に象徴されるようなメディアリテラシーのなさや、男性のジェンダー意識の低さ、そしてマスコミのメディアスクラムの異常さなどが表面的ではありますが批判的に描かれています。

まず主人公の真紀(篠原ゆき子)に隣の美和子(大高洋子)からの騒音トラブルを味わわせ、美和子を悪人に見せます。そして次に、その同じ時間軸を美和子の側から描いて美和子には美和子の訳があり、実は真紀のほうが間違っていたことを見せます。

いわゆるどんでん返しをかなり早い段階で見せてしまうわけです。ですので、この物語は、いわゆる「騒音おばさん」を題材にしてはいますが主題はそこではなく、その後自ら窮地におちいった真紀が、とことん追い詰められて初めて美和子の本当の姿を見るようになることです。ですのでその点では人情噺の類型と言えるかもしれません。

また、脚本、監督である天野さんにどの程度の意識があるかはわかりませんが、現代的視点をもって映画を見れば、真紀の夫は育児や家事は妻の仕事と思い込んでいる人物に見えますし、美和子がパート(多分)で働くきゅうり農家が、曲がっているだけで廃棄することやそのきゅうりが商品とならない社会であることへの疑問も感じるようには描かれています。

ネタバレあらすじとちょいツッコミ(なし)

吉岡真紀は『種と果実』という作品で文学賞を受賞し、夫との間に娘も生まれ、順風満帆の将来が約束されているかのようです。

数年後、真紀夫婦は郊外のアパートに引っ越します。引越し後の整理も終わっていない上に原稿の締切が間近、なのに夫は真紀の予定を無視して自分勝手です。その上、育児や家事すべてワンオペでストレスはたまります。それに肝心の作家業でも受賞作以降結果は出ずスランプに陥っています。

なんとか仕上げなくてはと徹夜でキーボードを叩いています。朝6時前、いきなりドン、ドン、ドンと大きな音が聞こえてきます。隣の若田美和子が布団を叩いています。注意してもやめません。

仕事中の真紀に娘が公園へ行こうとねだってきます。しかし構っていられません。やっと書き上げ、ふと気づき家中探しても娘がいません。外に出ますと、隣の美和子が娘を連れています。厳しい顔の真紀に対して美和子は母親が目を離しちゃだめと意見します。

真紀は娘に注意するとともに、夜、夫に騒音のことや娘のことを話し、美和子が危ない人だと言い募ります。

出版社です。編集者はやっと書き上げた原稿に対して、これでは掲載できない、人物描写が薄っぺらい、小手先ではなく根本的に考え直してほしいと辛辣です。

翌日(か、後日)、同じように早朝からドン、ドン、ドンと騒音、真紀は強い口調で注意をします。また同じように書き直し作業に没頭中に娘がいなくなります。隣の美和子の部屋のチャイムを鳴らしますが留守です。公園や辺りを探しても見つかりません。夫に電話で知らせます。夜になっても戻ってきません。警察に電話しますと訪問するとのことです。

玄関チャイムがなります。娘と美和子が立っています。真紀は興奮状態で娘を抱きしめ、美和子に向かって非常識だ!と罵ります。美和子も娘を放っておいて母親失格だ!と言い返し、互いに罵り合っています。

後日、美和子の夫と出会います。娘がおじちゃんと声を掛けます。美和子の夫はまた遊びにおいでと言います。娘は真紀にこの間お風呂に入れてもらったよと言います。驚く真紀、また娘の腕にあざがあることを見つけます。

真紀のいとこ直哉が登場します。真紀が仕事は?と尋ねますと、就職なんて負け組のやることとうそぶいています。その直哉がスランプの真紀にその隣のおばさんのことを書けばいいじゃないと勧めます。また、真紀と美和子の言い争いを動画で撮りネットにあげます。再生回数がどんどん伸びていきます。

真紀は「ミセス・ノイズィ」のタイトルで連載を書き始めます。

一年前(だったと思う)とスーパーが入り、これまでの出来事が美和子側から描かれます。

美和子夫婦は息子を亡くしており、そのショックから夫は布団の上を虫が這いずり回る幻覚を見る精神疾患を患っています。朝飛び起きて虫が!虫が!と叫ぶ夫を鎮めるために、ベランダで布団を叩いて落としているふりをしていたのです。

美和子はきゅうり農家で仕分けの仕事をしています。その帰りに真紀の娘がひとりで遊んでいるところに出くわし、公園へ行きたいという娘を連れて遊ばしていたのです。

またある日には、娘が階段にクレヨン(かな?)で落書きし、自分の顔にもママのようにと言って口のまわりを真っ赤にしているのを見て、家につれて帰り、遊ばせ、また夫が風呂場で顔をタオルで拭いてやっていたのです。

「ミセス・ノイズィ」は当たり、真紀にはふたたび執筆依頼が舞い込むようになります。直哉はさらに動画を撮ってネットあげます。動画との連動で真紀の連載小説はますます人気が高まります。

真紀と美和子のアパートにマスコミが押し寄せ、ワイドショーでは中継までされます。その中には美和子の夫がベランダ越しに真紀の娘に声をかける写真があり、変態、ロリコンのテロップがつけられています。それを見た美和子の夫がベランダから身を投げます。夫はかろうじて大怪我ですみますが、その姿が中継までされてしまいます。

流れが変わります。真紀が悪者にされ、メディアスクラムにあいます。連載は中止になり、執筆依頼もキャンセルされます。

真紀は娘とともにアパートに帰ろうとしますが、マスコミが殺到しています。意を決してその中に突っ込みますが、記者やカメラに囲まれて身動きができません。それを見た美和子が助けに入ります。美和子はマスコミの面々を大きな声で諌め、真紀の娘を抱き上げてその場から避難します。

真紀は後を追います。マスコミから逃れた二人は落ち着いて話をします。美和子は亡くなった息子のことや夫のことを話します。真紀の目からは涙がこぼれ、やがて二人は泣きながらお互いのことを理解し合います。

一年後(だったと思う)、真紀夫婦は引っ越しています。その後真紀は「ミセス・ノイズィ」を書き改め、また加筆して単行本として出版し、小説家として再評価されています。

美和子のもとに真紀から「ミセス・ノイズィ」が送られてきます。読みながら大笑いする美和子です。

ちゃんちゃん。

説明的で味わいがない

隙きがなくきっちりつくられている分、説明的かつ表面的で味わいがありません。

話もよくわかりますしオチもそのとおりなんですが、それは誰もが分かっていることで、できるなら現実にはなぜそうならないのか、なぜ人はそうできないのかを描いてほしいと思います。

小説化されているんですね。

ミセス・ノイズィ (実業之日本社文庫)

ミセス・ノイズィ (実業之日本社文庫)

  • 作者:天野 千尋
  • 発売日: 2020/12/04
  • メディア: 文庫