ネネ -エトワールに憧れて-

キャスティングが親の七光の結果なら子どもにとってはよくない…

「パリ郊外の団地で育った労働者階級の12歳の黒人少女ネネ(公式サイト)」がパリ・オペラ座のエトワールを目指す話とくれば、おおよそどんな映画かは想像はつくのですが…。

ネネ -エトワールに憧れて- / 監督:ラムジ・ベン・スリマン

製作側の意図が見えない困った映画…

その通り、想像はつくのですが、これがちょっと困った映画になっているのです。

確かに、映画はその想像通りにつくられています。いや、つくられているのではなく、つくろうとしていることはわかるのですが、そもそもキャスティングにおいてこの設定は無理なんじゃないかということです。

主役であるネネは、バレエダンサーとして、現時点でも他の者より実力があり、なおかつ将来性もあるという設定になっています。しかし、映画はそのように見える努力をまったくしていないんです。演じている俳優の問題ではないです。キャスティングの時点でわかっていることですから、じゃあどうするかということで、ある程度のレベルに引き上げるまで訓練する、ボディダブルを使って映像処理するなど何らかの方法を考えると思います。

なのに、製作側にその努力の形跡が見えないのです。俳優に無理なキャスティングをしてそのまま放っぽり出しているような映画なんです。

物語は、ネネ(オウミ・ブルーニ・ガレル)がパリ・オペラ座バレエ学校に期待度一番で入学し、エトワールを目指すものの人種差別や本人の自由奔放さ(多分…)によって実力通りに評価されないというものであり、その差別する側の中心人物である校長マリアンヌ(マイウェン)は元エトワールですが、実はマリアンヌはアフリカ大陸出身のアラブ系であることを隠していたということが判明し、最後にはネネを認めることになるという映画です。

で、そのネネは10人近くいる生徒たちの中で最も実力がある生徒として描かれているわけですが、映画は俳優であるオウミ・ブルーニ・ガレルさんのバレエダンサーとしての能力を俳優本人そのままの能力で描いており、どうみてもそうは見えないのです。

ただ、これは俳優が非難されるべきことではありません。問題は、なぜ製作側がそのオウミさんをネネにキャスティングしたかということであり、なぜ物語の設定に沿うよう努力しなかったかです。

親の七光なら本人にはよくない…

主演のオウミ・ブルーニ・ガレル(日本の公式サイトはギャレル)さん、2008年生まれですから15歳か16歳です。名前からわかるとおり、ヴァレリア・ブルーニ・テデスキさんとルイ・ガレルさんの娘です。経緯や法的なことはわかりませんが、二人が交際中の2009年にセネガル生まれの赤ん坊を養子して育ててきた子どもです。

オウミ・ブルーニ・ガレルさんの俳優としてのキャリアをIMDbでみてみますと、2018年、5歳か6歳のときに「Les estivants」という映画に出ています。監督は母親のヴァレリア・ブルーニ・テデスキさんです。

続いて、2021年には「La croisade」という映画に12歳か13歳のときに出演しています。この映画の監督は父親のルイ・ガレルさんです。

そして、この主演映画です。

もし、この映画のキャスティングが親の七光の結果であるとするならば、あるいはこの映画が親の七光的なものを当てにして製作されたものであるとするならば(もちろんどちらも憶測です…)、オウミ・ブルーニ・ガレルさんにとってはあまりよくないことだと思います。

日本で公開する意味はなに?…

映画そのものの出来もよくありません。

そもそも、すでに書いた点において違和感だらけですのでこれはもうどうしようもない(ゴメン…)というしかないのですが、それは置くとしても全体的に物語の展開が雑です。

ネネがパリ・オペラ座バレエ学校の入学試験を受けます。数人の試験官による評価のシーンになり、オペラ座バレエ団の芸術監督が即座にネネを一番と認めます。まずここでずっこけるのですが(笑)、とにかく、入学してレッスンが始まるもののシーン構成に流れがありませんし、ときどき入る他の生徒たちの偏見やいじめも取ってつけたようなシーンが唐突に入るだけです。肝心のマリアンヌの描き方もとりとめがなく、どう描こうとしているのかさっぱりわかりません。いや、わかるんだけれどもその描き方じゃだめでしょということです。

挙句の果に後半になりますとマリアンヌに焦点が移り、いきなりアラブ系である出自を隠してエトワールになったとし、瞳の色を隠すそうと(かどうかよくわからない…)コンタクトレンズを入れていたがためにガラス窓にぶつかり顔に大怪我をし、なんだかよくわからないままに改心してネネを主役にするというエンディングです。

で、エンディングは「白鳥の湖」の舞台シーンです。あの曲で白鳥が出ていくシーンってありましたっけ?と思いますが、とにかくネネが登場し、踊るのかと思いきや、それもなくネネのアップで終わっていました。

ラムジ・ベン・スリマン監督は41歳か42歳の方です。この映画が長編2作めのようです。

ところで、配給会社はなぜこの映画を日本で公開しようとしたんでしょう。日本がバレエ好きの国だからでしょうか。知る人ぞ知るですが、日本はバレエ大国なんです。なにをもってバレエ大国というかということもありますが、確かにバレエを習っている人口比率が高いことは間違いないようです。

結局のところ、映画が描こうとしているのは、黒人であるネネがバレエ界においてその能力相応に評価されず人種差別を受けているということと、実はその差別をする中心的人物が自身も差別を受けて、あるいは受けないように出自を隠してきた人物であり、差別された者は差別を再生産することがあるということなんだろうと思います。

しかしながら、ラムジ・ベン・スリマン監督はじめ製作陣はその製作意図を実現できていません。そういう映画です。さらに言えば、このベタな内容を圧倒的な映画にできるとするならば、圧倒的なネネを演じる俳優が必要ということです。