声優夫婦の甘くない生活

マンスプ系の夫は妻の癒やしにまどろむ

これは映画や声優の話というよりも夫婦の物語です。さらに言えばマンスプ系の夫とそれに気づい(ていたけれども自分を騙してい)た妻の物語です。

で、ラストがどうなるか?

それにより、映画が「甘い」のか、「甘くない」のかがわかります。

声優夫婦の甘くない生活

声優夫婦の甘くない生活 / 監督:エフゲニー・ルーマン

マルガリータと百万本のバラ

ところで、妻ラヤ(マリア・ベルキン)がマルガリータを名乗ってテレフォンセックスの客相手に歌う曲「百万本のバラ」は、日本では加藤登紀子さんの歌で有名ですが、おおもとはラトビアの歌謡曲で、それにロシア語の歌詞をつけ1982年にアーラ・プガチョワが歌って大ヒットした曲です。

映画の中でも電話の男がプガチョワが好きだと言っていました。男が薔薇の花束を持ってマルガリータを待っていたのもこの歌からの行為でしょう。


Алла Пугачева – Миллион алых роз (Песня 1983)

歌詞の内容はジョージア(グルジア)の画家ピコ・ピロスマニがマルガリータという女優に恋をしたという逸話にもとづいています。

ピロスマニはマルガリータを描いた作品を何枚か残しています。

Niko Pirosmani Margarita 1909

ピロスマニは、1894年に彼の町を訪れたフランス人女優マルガリータとのロマンチックな出会いで知られている。彼女を深く愛したピロスマニは、その愛を示すために彼女の泊まるホテルの前の広場を花で埋め尽くしたという。やがて、放浪の旅にでたピロスマニは15年後に『女優マルガリータ』を描いた。この伝説はアンドレイ・ヴォズネセンスキーの詩によって有名になり、後に日本でも『百万本のバラ』として知られる歌となってヒットした。(ウィキペディア

自ら望んでイスラエルに移住しながらマルガリータとロシア語での会話を求める男たち、マッチョイメージのロシア男の切なくも悲しい一面でしょう。

映画の時代背景

1990年の物語ですので基調はノスタルジーではありますが、当時のイスラエルの現実面がかなりリアルに表現されているようです。

1990年ごろと言いますと、ベルリンの壁崩壊が1989年、ソ連邦の崩壊が翌年1991年12月25日、そして映画の中でもイラクからの攻撃を想定したガスマスクが出てきますが、イラクがクウェートに侵攻したのが1990年の8月で、翌1991年1月に湾岸戦争が始まっています。日本が130億ドルという資金を拠出したにもかかわらず感謝されることもなかったという湾岸戦争のトラウマと言われた戦争です。

映画のラスト近くにサイレンが鳴り皆ガスマスクをつけて怯えるシーンがありますが、湾岸戦争時には実際にイラクからイスラエルにスカッドミサイルが撃ち込まれています。ちなみにスカッドミサイルはソ連製です。

主人公であるヴィクトルとラヤはソ連からイスラエルに移住してくるわけですが、実際にその頃移住してきたロシア系ユダヤ人は相当多かったようです。

ラヤを演じているマリア・ベルキンさんが1990年、ヴィクトルのウラジミール・フリードマンさんが1991年、電話の男ゲラのアレキサンダー・センドロビッチさんが1991年、そしてエフゲニー・ルーマン監督は1990年、11歳の時に家族とともにイスラエルへ移住してきたとのことです。

イスラエルにおけるロシア語(Wikipedia)」によれば、当時イスラエル総人口の20%がロシア語を母語としていたようです。

ラヤのテレフォンセックスもそうですが、ヴィクトルが関わる闇のレンタルビデオが商売になるのもそうした背景があるからでしょう。

ネタバレあらすじとちょいツッコミ

1990年、ヴィクトルとラヤがソ連からイスラエルに移住していきます。ソ連ではふたりは映画の吹き替え声優として評価されており、特にヴィクトルはプライドが高く、1963年のモスクワ国際映画祭でフェリーニの「8 1/2」がグランプリを受賞したことに自分の吹き替えが大きく影響していると考えフェリーニへの思い入れが強い人物です。

ふたりが飛行機のタラップを降りてきます。ヴィクトルはラヤにタラップの上で待つように指示し自分は下からカメラを構えて写真を撮ろうとします。CAが他の乗客が待っているからと注意しますが、ヴィクトルはかまうことなくラヤに位置や表情を指示して写真を撮ります。

このファーストシーンはこの夫婦の関係が壊れていくことが映画の軸になるのだろうと予想させます。この映画は全体としても予想したことが予想通りに運びます。ただテンポがいいことから気になることはありません。約90分、何となくそうなるのではと思うことがそうなる小気味よさみたいな気持ちのいいシンプルな映画です。

住まいとなるアパートメントでは青年が迎えてくれます。そしてさっそく職探しのため旧知(なのかな?)のラジオ(テレビかも)局の男に会いに行きますが、吹き替えの仕事はないと言われてしまいます。

このシーンだったかと思いますが、ヴィクトルが家ではイディッシュ語で会話しているとロシア語以外も話せると言っており、住まいを世話してくれた青年にしてもラジオ局の男にしてもヴィクトルたちと同じ言葉を話しており、この映画の主言語は何だろうと考えていましたら、皆ロシア系の人たちということでロシア語でした。

上のウィキペディアにありましたようにロシア系の移民の多い地域ではロシア語が準公用語のように使われているようです。後に字幕が他言語表記になるところがありますがあれはヘブライ語のようです。

ヴィクトルが「声の美しい女性」(だったかな?)という新聞の募集を見つけ、ラヤが面接を受けにいきます。担当者がラヤの年齢を聞きますとラヤは62歳と答えます。顔をしかめる担当者ですが、ラヤが様々な声を出すことを知り雇うと言います。しかし今度は仕事がテレフォンセックスと知ったラヤが断ります。ラヤはヴィクトルに電話で香水を売る仕事だったと嘘を言います。

ヴィクトルはラジオ局の男から舞台の仕事ならあるかもしれないと言われていたそのオーディションをうけ、「波止場」のマーロン・ブランドの台詞を朗々と語ります。しかし、演出家からはマーロン・ブランドではなく自分の気持で語って欲しいと言われてしまいます。長年吹き替えをやってきたヴィクトルにはその意味自体がわからないようです。またヴィクトルはイラクからのミサイル対応の緊急放送の録音を依頼されますが、ギャラはそれが流れた時に支払われると言われてしまいます。

ヴィクトルは仕方なくイラクからの攻撃時の指示が書かれたチラシ張りの仕事を始めます。一日中歩き回る仕事ですので靴擦れはできるは、腰は痛めるはで大変です。

そんなヴィクトルを見兼ねたラヤが香水を売る仕事をすると嘘を言いテレフォンセックスの仕事を始めます。最初は戸惑うラヤですが、声優としてのキャリアから臨機応変に対応しすぐに慣れて客もつくようになります。

ある日のこと、吃音の男から電話が入ります。他の女たちは嫌がっているようです。ラヤが電話を受けます。ゲラと名乗る男は緊張からか吃音で話が進みません。しかし、ラヤの巧みな会話で次第に落ち着きスムーズに話ができるようになります。

ここでラヤが例の「百万本のバラ」を歌います。

ラヤは仕事が楽しくなっていきます。

簡単に言えば、これまでの夫婦生活の中では抑え込まれていたものが社会環境が変わったために表に出てきたということで、ヴィクトルによって抑圧されていたものが匿名の相手との会話によって解放されていくということだと思います。

一方、ヴィクトルは街のレンタルビデオ屋で盗撮ビデオの吹き替えを持ちかけられ犯罪と知りながら協力します。ラヤにも話をしますがラヤは断ります。

ある日、レンタルビデオ屋と一緒に映画を盗撮している時に警察に踏み込まれ逮捕されます。しかし、その映画館の支配人がヴィクトルのことを知っていたため拘束は免れ、逆に新作映画の吹き替えを依頼されます。支配人が「ホーム・アローン」の上映を考えていると言いますと、ヴィクトルは観客たちを見て、この人たちは知的なものを求めていると言い、フェリーニの新作「ボイス・オブ・ムーン La Voce della luna」を勧めます。

家に戻ったヴィクトルは浮かれたのか、新聞の「マルガリータがあなたを癒やします(みたいな感じ)」との広告を見て電話をします。マルガリータの声を聞き、それがラヤであることを知ったヴィクトルは無言で電話を切ります。

ラヤが帰ってきます。待ち受けていたヴィクトルは机の上に自分たちが吹き替えをしたビデオを積み、この映画の君の声に恋をした、この映画でデートをしたなどとねちねちと嫌味を言いながらビデオをひとつずつハンマーで叩き潰していきます。

しばらくじっと耐えていたラヤですが、ついに爆発します。私はいつもあなたを支える脇役だった、私は子どもが欲しかったのにあなたはいらないと拒んだ、そしてヴィクトルを直接的に非難する言葉(忘れた…)を投げつけ、部屋にこもり、次の日家を出て仕事の雇い主の家に身を寄せます。

ゲラと名乗る男からマルガリータに、電話できるのはこれが最後だ、一度君に会いたい、明日の何時に海岸沿いのイルカの前で待っていると電話が入ります。

ラヤはイルカの見えるカフェに座っています。薔薇の花束を持った男がやってきます。じっと待っていた男が不意にカフェを見上げ走ってカフェに入ってきます。顔を伏せ知らぬふりをするラヤです。男が店員にトイレを貸して欲しいと懇願しています。断る店員にラヤは私と一緒よと声を掛けます。用を済ませた男が礼を言いにきます。ラヤはここに座って待ったらと勧めます。ラヤと男の会話が弾みます。別れ際男がラヤを送っていこうと言います。

そして車の中、男がラヤに薔薇の花束を渡し、君はマルガリータの代わりに私がどんな男か見に来たんだろと言います。何のこと?としらばっくれるラヤですが、突然男にキスをします。男は何をするんだ?!とラヤをはねのけます。ラヤは私がマルガリータよと言い車を降りていきます。

ヴィクトルはラヤが持っていかなかったガスマスクをラヤの仕事場に届けに行きます。ふたりは言い争いになり、ラヤはガスマスクをヴィクトルに投げつけて仕事に戻ります。

フェリーニの新作「ボイス・オブ・ムーン」封切りの日、客の入りはよくありません。支配人は何が知的な人たちだと愚痴っています。

突然サイレンが鳴り響きます。録音されたヴィクトルの声が流れます。支配人や客たちが慌ててガスマスクをつけます。ヴィクトルはガスマスクを渡さねばとラヤのもとに駆けつけます。ガスマスクをつけて隠れている雇い主と女たち、ラヤは映画館よと教えられ、映画館に戻りますと客席には妻が座っています。ヴィクトルはいらないと拒むラヤに無理やりガスマスクをつけようとします。

ふたりは熱い抱擁とキスを交わします。ガスマスクをつけた客たちがふたりを見ています。

という映画です。

そんなに「甘くない」のが現実か…

寓話性のある物語でもあり、シンプルに構成され、伏線もうまくはられていて90分間楽しめる映画になっています。

登場人物の心情もそれを深く描くシーンがないにもかかわらず、俳優たちの存在感と演技によってとてもよく伝わってきます。

ラヤも可愛くみえますし、ヴィクトルも精神的マッチョ感がよく出ています。夫婦のソ連での生活が目に浮かんでくるようです。

しかし、社会環境が変われば人間関係も変わります。それまで見えなかったものが見えてきます。その時、社会からの縛りの少なかった者がより柔軟に変わることができるということなんだろうと思います。

ラヤは新しい環境に柔軟に対応できるのにヴィクトルは過去を引きずり自分のまわりの変化を理解できません。自分はフェリーニを理解できる知的な人間だとそのプライドを捨てることが出来ません。

妻ラヤがその孤独を癒やしてくれるはずだと思いこんでいます。

さて、ふたりは元の鞘に収まるのでしょうか?

おそらくエフゲニー・ルーマン監督はそれを望んでいることでしょう。

しかし、そんなに「甘くない」のが現実、2020年の今がそれを示しています。

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8 1/2 (字幕版)

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