グロリアス 世界を動かした女たち

今の日本は50年前のアメリカかも…

グロリア・スタイネムさんという「女性解放運動のパイオニア(公式サイト)」といわれる女性の伝記的な映画です。英語版のウィキペディアでは「an American feminist journalist and social political activist(フェミニスト、ジャーナリスト、社会政治活動家)」となっています。現在88歳、映画にもワンカット登場していました。

5、6歳の頃から現在までを4人の俳優(と本人)が演じています。20,30歳代をアリシア・ヴィキャンデルさん、40,50歳代をジュリアン・ムーアさんが演じています。監督は舞台演出家でもあるジュリー・テイモアさん、ビートルズの曲を使ったオリジナルミュージカル「アクロス・ザ・ユニバース(2007年)」が記憶に残っています。

グロリアス 世界を動かした女たち / 監督:ジュリー・テイモア

旅する人グロリアは行動する人

グロリア・スタイネムさん本人のウェブサイトがあります。中に写真集がありますが、映画からのスチルかと見間違えるくらい映画のグロリアに違和感がないです。

映画は、グロリア(ジュリアン・ムーア)がバイク乗りで賑わう田舎町のダイナーにバイクでやってくるシーンから始まります。ん? なに? と思うような変なシーンで、映画的にもほとんど意味がなかった(ペコリ)んですが、多分、旅する人というイメージからなんだろうと思います。この後、すぐに子ども時代になり、父親と車で移動するシーンに変わり、その後もバスであったり、列車であったり、飛行機であったりと移動する乗り物のシーンがとても多いです

実際に、父親がアンティークのディーラーであったためにトレーラーで移動生活していた時期もあるようです。

映画はちょっと変わった面白いつくりになっています。子ども時代から順繰りに描かれていくわけではなく、特に前半は4人のグロリアのシーンが頻繁に交錯して描かれます。でも、わかりにくくはありません。車で移動するシーンがクロスフェードで入れ替わったり、時代の違うふたりのグロリアがワンシーンに登場して次のシーンに移ったりとととてもわかり易くつくられています。

ふたりのグロリア、つまり、ともに本人である過去のグロリアが未来のグロリアに希望や不安を語ったり、思い通りに生きられた?(みたいなこと)と尋ねたりと、青年期、壮年期のグロリアは一貫して行動する強い人なんですが、本人だけにしかわからない不安や悩みを抱えて走ってきた人なんだなあと感じさせる演出がされていました。

子ども時代から大学卒業までのシーンはエピソード的なものが断片的に描かれているだけですが、上に書きましたように時代を行き来させる編集でとてもうまくできています。

子どものころの生活は楽じゃなかったのでしょう、父親が興行(よくわからない)のようなことで失敗し赤字になることを嘆く母親、それでもポジティブな父親とグロリアがダンスするシーン、黒人の子どもに誘われて一緒にタップを踊っていると、母親が捜索願いを出したのか警官が黒人の店に乗り込んでくるシーン、このシーンでは人種差別を意識させていました。

もともとが舞台演出家なんでしょう、そこからくる演出だと思います。映画としてはちょっとあざといのですが、それを構成と編集でうまく抑えています。

大学卒業後は2年間インドに行っています。ウィキペディアには「a Chester Bowles Asian Fellow」となっていますので、チェスター・ボウルズというアメリカのインド大使の関連のなにかなんでしょう。映画の描き方としてはガンジーの非暴力主義に興味があると語っており、インドの女性の置かれた立場を調査するシーンがありました。

まだ存命の方の伝記ということもあり、あまり突っ込んだ描き方もできないとは思いますが、思い返してみれば、すべてのシーンがフェミニズムや人権に結びつけられています。気にはならなかったんですが、やり過ぎかもですね(笑)。

いずれにしても、いろいろな場所へ行き、いろいろな人に会い、いろいろな社会を見ることがものごとを多角的に見るために重要なことということでしょう。

ハラスメント、オンパレードの男性社会

帰国後はジャーナリストとして働き始めたグロリアですが、女性はお茶くみ(日本でいうところの)的労働状況や女性の書けるものは料理やファッションだろうといった男性ジャーナリストたちの女性蔑視価値観にさらされます。

そんな中でも行動する人グロリアは変わりません。男性向けクラブ「プレイボーイクラブ」にバニーガールとして潜入し、男性の性的視線や性的要求にさらされる女性たちの労働実態や搾取状態を取材しルポタージュとして発表します。テレビの対談番組に出れば出たで、インタビュアーのあからさまな女性蔑視と性的視線を投げつけられます。

そして、グロリアは次第にアクティビストとして活動することとなり、それとともに多くの仲間たちと出会います。

それにしてもこの男性社会において、女性に覆いかぶさってくる束縛、抑圧、ハラスメントは多種多様です。最終的には女性に自己決定権があるべき妊娠中絶に対する法的束縛、家事労働の女性への固定化とその無償労働化、人種差別とさらなる性別差別、これらは映画の中でも描かれます。さらにセクシュアル・ハラスメント、性別によるパワー・ハラスメント、ルッキズム、映画では直接描かれませんが、性的搾取、就労差別、賃金差別、まだまだありそうです。

グロリアは仲間たちと「Ms.(ミズ)」を発刊します。1972年のことです。50年前です。

Ms. magazine Cover - Spring 1972
Ms. magazine, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

映画でも登場していた創刊号の表紙デザインです。30万部が8日間で売り切れたそうです。

このあたりから映画としてもアクティビストとしての様々な活動が描かれていきますので見ていてもなかなか整理が難しいです。時間軸もはっきりしていませんし、とにかく力強く前に進む女性たちの姿が描かれているという印象で、具体的なシチュエーションはよくわかりません。

クライマックス的なシーンとしては、アメリカの様々な女性団体による会議(だと思う)で妊娠中絶の合法化(の推進)や他のいくつかの課題が採択されるシーンがありましたが、ウィキペディアを読んでもあれがなにを指しているのかよくわかりません。映画的処理なのかもしれません。

グロリアのプライベート

そうした公的な顔とともにプライベートな面がいくつか描かれています。

10歳くらいのときに両親が離婚しているらしく精神を病んだ母親の面倒を見ていたことや割と父親への思いが強く描かれています。母親に関しては、グロリアがジャーナリストの道に進もうとするひとつの動機として、母親が結婚する前には物書きとして働いていたものの男性名でしか発表できなかったということが上げられています。

グロリア自身も妊娠中絶を経験しています。インドへ向かう前にイギリスに立ち寄り中絶しているようです。その時医師から言われたことが、ひとつは私(医師)の名前を絶対に言わないこと、そしてもうひとつが後悔しない人生を送ることというものです。

2000年には、66歳でクリスチャン・ベールの父親デイヴィッド・ベールと結婚しています。アメリカ先住民のチェロキーの友人のもとで結婚式を上げていましたが事実のようです。

そして、ラストは、4人のグロリアと女性たちが乗り込んだバスが進んでいくシーンで終わります。ただ、印象としてかなり暗いイメージであったのが、そのまま受け取っていいのかどうなのか気になります。

描かれる50年前は今の日本か

英語版ウィキペディアを読みますと、これはグロリア・スタイネムさんのアクティビストとしての一面だけを描いている映画で、当たり前ですが、他にも様々な面を持っている人物であることがわかります。また、その一面を象徴的に描いているところがあり、ひとりの自分を多面的に描いているわけではありません。でも、こうした人物がいて、そしてこうした映画がつくられて、それまでは見えなかったことに気づかされるわけですので、その点でも見るべき映画かとは思います。

で、ふと、この映画に描かれていることは今の日本じゃないかなどと思ったわけです。もしかすると、自分もこの映画の中の男たちと同じ目線、視線で女性たちを見ていることがないだろうか…、と。