サイキックもの?父娘もの?青春もの?とはっきりせず…残念。
前作の「母の残像」では良い方に出ていたあまり説明しないという手法が、この映画では悪い方へ出てしまったようです。
もともと私自身が、こうしたサイキックホラー系の映画に興味が持てないこともあるのですが、それにしても、映画としての軸がしっかりしていませんし、軸になるかもしれない事柄がすべて中途半端に感じられます。
まずはテルマの超能力、実際にテルマには念じれば人を消してしまう能力があるようなんですが、消えた人間がその後どうなったかなど放っておきすぎですし、そうした自分の力を知ったテルマの苦悩が見えなさすぎます。
そして、その能力を知るが故なのか、父親が宗教的な厳格さでもってテルマを暴力的(暴行という意味ではない)に抑圧するわけですが、その構図をおばあちゃんまで登場させて中世の魔女狩りをイメージさせているのは広げすぎて回収し切れていません。
さらに、その宗教がらみの抑圧的な父娘関係からの脱出(開放?)のきっかけとしている恋愛関係もつっこみ不足で愛情なのかなんなのか描き方が薄っぺらいです。
といった3つのことが、ほぼ同じようなレベルで扱われて何やらはっきりしないまま終わってしまったという印象です。
ですので、私はかなり終わりの方まで、この映画は父娘(男女)関係が軸で、サイキック的な話は現実ではなく妄想だろうと思ってみていました。
冒頭の氷が張り詰めた湖のシーンはきれいでしたね。
プロローグ的なシーンなんですが、4,5歳くらいのテルマと父親が氷の上を歩いて狩りに出掛けるようです。立ち止まり下を見ますと氷の下では魚たちが泳いでいます。二人は森に入り獲物を見つけます。銃を構える父親、獲物をじっと見つめるテルマ。ところが、獲物を狙っていた銃は次第にテルマの方を向き始めます。
もちろん発射されることはなく、直接的な理由は後にわかるのですが、父親はテルマの超能力を恐れて、テルマを殺そうと決断して連れ出してきたということです。ということは後半にわかります。
オカルト系の映画なら合いそうな、かなり直接的なプロローグです。
十年後くらいでしょうか、テルマ(エイリ・ハーボー)は成長し、親元を離れて大学へ入学します。宗教的に厳格に育てられたテルマは、人付き合いもうまくなく、友だちもできません。
という設定なんだと思いますが、テルマが日常的に宗教的行為をするわけでもなく、せいぜいタバコやお酒の経験がないくらいの描き方で、テルマも内に何かを秘めている感じはしなく、ちょっと都会慣れしていないなあという程度にしか見えません。そうしたところからも、掴みづらくはっきりしない結果になっているのだろうと思います。
テルマが突然図書館で痙攣を起こしてぶっ倒れます。原因は不明で、医者は今後も検査をすると告げます。ただ、これがきっかけになり、アンニャという友だちができます。
これ以降しばらくは、いわゆる田舎育ちの子が都会に馴染もうと飲んだことのないお酒を飲んだり、タバコを大麻だと騙されてその気になったりといった、よくあるパターンの学生生活がいろいろあり、その間に頻繁に両親から電話が入るというシーンが続きます。
その間にも、ちらちらとテルマに超能力があるようなないようなシーンが入っていたり、医師の検査で、子供の頃に考えられないような薬が投与されていることがわかったり、亡くなっているものと思っていた祖母が施設に入院していることがわかったりします。
そしてもう一つ、テルマはアンニャに愛情なのか、人恋しさなのか、特別な人と感じ始めます。単に性的な意味合いなのか、同性愛という意味なのかはわかりませんが、テルマが宗教的な罪悪感を感じるということを描こうとしているのだと思いますが、それもあまりはっきりしません。
という展開ですので、正直なところ、飽きますし、多少いらつきます。
おそらくテルマのせいですね。不安、動揺、疑い、迷い、そうした内面が見えなければいけないところなんですが、まったく変わりません。普通の青春ものならいいのでしょうが、少なくとも、自分の力で友達アンニャが消えたかもしれませんし、子供の頃に父親から考えられない薬を投与されていたわけですし、亡くなっていると聞いていた祖母が廃人のようになって入院していることを知り、それもおそらく父親がやったのではないかと疑い始めるわけですから、普通なら、普通ではいられません。
テルマはどうしたかと言いますと、家に戻ってしまいます。
その父親のもとに戻りますか…。
戻るんなら、もっとよれよれになって、幼い頃からの父娘関係の抑圧的であるがゆえに逃れられないストックホルム・シンドローム的な心理状態じゃないと見ていてもテルマは一体どういう状態なのかわからなくなります。
私は復讐するのかと思ってみていました。いやいや実際に復讐はするんですが、復讐しようとする行為を見せるのかと思っていましたら、あっけなく超能力で父親を消してしまっていました。
家に戻ったテルマは、父親に薬を投与され始めます。
私はここでも、テルマは薬を飲まずに復讐する機会をねらっているのだと思っていました。父親は口の中まで見せるように言うのですが、きっと何かの方法で飲まずにいるのだと、きっと後で、おー!というような方法を見せてくれるのだと楽しみにしていました(笑)。
ところが、テルマはしっかり飲んでしました(と思う)。えー! じゃあ、何のために薬? だって、薬を飲んでいてもテルマの超能力は衰えることなく父親を消してしまえるわけでしょ。じゃあ、薬や神の力を借りた父親の権威ってものは、そもそもの始めからテルマには通用していないってことじゃないの?
まあいいか…。
とにかく、テルマは父親から子供の頃の話を聞かされます。冒頭の湖のシーンの前ですね、母親が生まれたばかりの弟(だったかな?)の面倒で自分にかまってくれないことで弟がいなくなればいいと(多分)念じて消してしまったと(両親が思い込んでいる)いうのです。
テルマが(弟がいなくなればと)念じると、一瞬にして、湖の氷の下に閉ざされている赤ん坊のカットに変わるという描き方でした。
なぜ父親はこの段階でテルマに話すのかわかりません。
この話を聞いてテルマの動揺のシーンがないのもわかりません(私、眠っていた?)。
で、ある日、テルマは(父がいなくなればと)念じて、湖の上で父親を消してしまします。その後、父親がどうなったかはわかりません。
そして、学校に戻ったテルマは、消えてしまっていたはずのアンニャと仲良く校内を歩くのでした。
見ている時は、集中できなさが先に立ってさほど感じなかったのですが、こうやって書いてきますと、よくわからない映画ということが際立ってきますね。
やはり問題はテルマのエイリ・ハーボーさんですね。俳優として悪くはないのですが、こういう役にはあっていないんじゃないでしょうか。もっとシンプルな役柄ならいい感じでいけそうに思います。
それに、これ、サイキック・オカルト系にせず、父娘の愛憎もの系にすればヨアキム・トリアー監督の良さが出たんじゃないかと思います。
過去に一本「母の残像」を見ただけですが…(ペコリ)。