またヴィンセントは襲われる

悲運な男の逃避行妄想ものだったりして…

日本語には「ガンをつける」という言葉があり、それによって喧嘩になったり、ときに死人が出たりすることもあるわけですが、この映画のヴィンセントの眼は結構やさしいですし、決してガンを飛ばしたりはしていません。でも、なぜか襲われちゃうんですね(笑)。

またヴィンセントは襲われる / 監督:ステファン・カスタン

ゾンビ映画の変形…

という、その着目点が面白い映画です。

ただ、結論から言いますと、なぜ襲われるかや、なぜ襲われる人間と襲う人間に分かれるのかといったことへの切り込みがなくただ逃げるばかりのシーンが多く、言ってみればゾンビ映画の変形としかみえない映画です。襲われるシーンのつくりもほぼゾンビ映画です。

ちょっと残念なと言いますか、もったいない映画です。

当然、現代社会における暴力性といったものは意識されているとは思いますが、あるいは、中年男性(年齢設定はわからないけど…)の孤独感といったものも意識されているかもしれません。

そう言えば、ヴィンセントには相談できる友人なんて存在していなさそうでしたし、ネットで出会い系サイトにアクセスしていました。マルゴーへの視線も端から人恋しそうでしたし、ラストシーンもある意味ふたりの世界への逃避みたいなところがありました。

ステファン・カスタン監督の本音はこっちかもしれません(笑)。ふたりの世界という疎外された世界観と終末感というのは意外と親和性が高いですからね。

邦題は「またヴィンセントは襲われる」というややコメディー感のあるタイトルですが、原題は「Vincent doit mourir」、英題は「Vincent Must Die」ですので、ステファン・カスタン監督の意識としては、暴力的にみえるこの世界と最も社会から疎外されやすい(と監督が思っているのではないかという意味…)中年男性の悲哀のようなものがあるのかもしれません。

ただ、やはり映画の出来上がりとしては発想以外には新鮮さは感じられず、襲う側の視点を入れればもっと深いものになったような気がします。

悲運な男の逃避行もの(か?)…

ヴィンセント(カリム・ルクルー)はリヨン(らしい…)の会社で働くグラフィックデザイナー(建築じゃないかなあ…)です。ある日のこと、実習生の若者にいきなりパソコンで連打されます。直前にその若者に俺のコーヒーは?(意味不明、字幕もあやしい…)と冗談を言ってはいますが襲われる理由はまったく見当たりません。

また、翌日には同僚が、これまた突然ヴィンセントを襲い、手にペンを何度も突き立てます。後に二人が上司かカウンセラーから事情を聞かれるシーンがあり、同僚は行為自体に記憶がないようであり、またヴィンセントも相手が自失状態だったなら仕方がないと告訴などの意思はないと言います。

ヴィンセントは無害ないい人ということです。この人物像をもっと強調しておけば不条理さがもっと増したかもしれません。いろんな点でツッコミが浅い映画ですね。

その後も、出会い系サイトでアポをとった女性と会っていますと目があったホームレスが突進してきたり、いつも親しくしているアパートメントの子どもからも襲われることが続き、自分と視線があうと相手に憎悪が生まれることに気づきます。

ヴィンセントは会社から自宅でのテレワークを指示されたこともあり、父親を訪ねて別荘を借りることを告げ、車も借りて別荘に避難します。

目を合わせられないわけですからまともな食事もできず、外でサンドイッチを食べていますと男が近づいてきて、サンドイッチをくれ、お前、人から襲われているだろう、自分も同じだと言います。男は「The Sentinel」というコミュニティサイトを教えてくれ、犬を飼えと言います。

思い返してみれば、面白くできそうな題材は結構ありますね。実際、このサイトもほとんど活用されていませんし、犬は相手に憎悪が生まれそうですと唸るという使い方がされているだけでした。

ある日、レストランに入ることができませんので店の前に車を停めデリバリーを頼みますとマルゴー(ヴィマーラ・ポンス)が車まで持ってきてくれます。このときのヴィンセントは犬が反応しませんのでバッチリ視線をあわせていました。それも人恋しそうな顔をして今にも誘いそうな雰囲気でしたので誘うのかと思いましたが怖かったんですかね。

しかし、幸運は向こうからやってきます(笑)。2度めのデリバリーの時、ワケありの男たちがマルゴーを探しに来ます。マルゴーは逃げて!と言い車に乗り込んできます。

これ以降、映画の半分くらいでしょうか、ヴィンセントとマルゴーのシーンになります。映画に恋愛はつきもの(かもしれないの…)ですが、この映画の題材ならふくらませる方法はたくさんありそうなのにこの展開にするということは、やはり悲運な男の逃避行ものというのが本当のところかもしれません(どうだろう(笑)…)。

かなりやっつけエンディング…

ヴィンセントはマルゴーに自分が置かれた状態を理解させようと、近くの男にガンを飛ばしにいくものの逆に怖がられて逃げられ、それならと思い切って店に入っていきます。ヴィンセントが駆け出してきます。その後ろからは十数人の凶暴化した男女が追いかけてきます。

ゾンビ映画を想像してください。

マルゴーは父親から受け継いたクルーザー暮らしです。マルゴーが来てと誘います。ヴィンセントはクルーザーには入ったものの落ち着きません。それでもなんとかそれらしい雰囲気になりキスをして…と、このあたりどういう展開だったか忘れましたが、危険だからということでマルゴーの片腕に手錠をし、もう一方を船のなにかに固定してセックスがありという流れでした。ただキス以外のシーンはありません。

このあたり、後半になりますと、襲われているのはヴィンセントだけではなく世の中全体が暴力的に騒然となっているというニュースが時々挿入され、ふたりが車で移動しようにも渋滞となっており、辺りでは人が襲われたり襲ったりというゾンビ映画そのもののようなシーンがあったりします。

また、例の情報提供してくれた男(元大学教授と言っていた…)から電話が入り、理由はわからないが襲われなくなったと言ってきたり、父親から借りた別荘へ戻ってみますと父親が銃を構えており、理由を尋ねますと同居しているパートナーが襲われて殺されたとか、かなり適当な伏線(じゃないけど…)回収シーンが入ります。

そしてエンディングに入り、これまたなぜかはわかりませんが、今度はヴィンセントがマルゴーを襲うようになります。

ここでもう少し何かあったように思いますが、とにかく、ふたりはヴィンセントに目隠しをしてマルゴーのクルーザーで沖に出ていくのでした。

見ているときはどことなく終末感があるなあなんて思って見ていましたが、あらためて思い返せばかなり適当なやっつけラストシーンですね。

もう少しシナリオ段階で練るべき映画ということでしょう。