ジェシー・バックリーがいい。成功でも挫折でもない決意の物語。
監督は「リリーのすべて」や「英国王のスピーチ」のトム・フーパーさんかと思ったのですが、よーく見ましたらひと文字違いのトム・ハーパーさんでした(笑)。初めてです。
映画は思いのほかよかったです。
基本は音楽ものですのでまずは音楽さえよければそれなりにいい映画になるとは思いますが、この映画ではそれ以上にジェシー・バックリーさんの演技と歌唱力で一段、いや数段レベルが上がっています。
歌唱レベルはミュージシャンとしてもいけるのではないかと思えるほどでしたが、ウィキペディアを見ますとそれもそのはず、幼い頃から、修道院で歌唱指導をしていた母親に指導をうけており、その後、Royal Irish Academy of Music でピアノ、クラリネット、ハープを学び8年生を達成(卒業?)しているようです。
このジェシー・バックリーさん 、つい数ヶ月前に見た「ジュディ 虹の彼方に」でジュディの身の回りの世話をするロザリンを演じていた俳優さんです。ただ、製作年はこちらが2018年、そして「ジュディ」が2019年ということであり、前年の2017年の「Beast」という映画あたりから注目され始めた俳優さんのようです。2020年の今年はすでに5本の映画にクレジットされています。
かなり注目されている俳優さんということなんですが、この映画の良さはそのジェシー・バックリーさんだけではありません。
音楽映画というのは概ね成功と挫折の物語であり、ラストはそのどちらであるにせよ感動的に音楽で終わります。この映画も当然最後は音楽で終わっていますが、それは成功の曲でも挫折の曲でもありません。それまで眼の前の現実を拒否し夢を追い求めるだけだったローズ=リン・ハーラン(ジェシー・バックリー)が、しっかりと現実を認識しなおかつ夢を追い続ける決意の歌なのです。
Jessie Buckley – Glasgow (No Place Like Home) (From “Wild Rose”)
ローズにとっての現実とは23歳の自分が7歳の娘と4歳の息子を持つ母親だということです。そして夢とはカントリー・ミュージシャンとして認められることです。
この設定、すごいですね。16歳のときに最初の子を生んでいることになりますが、映画は父親についてなにも語っていませんし、そのことを話題にする素振りさえみせません。さらに3年後、19歳のときに2人めを生んでいます。
そのことに何かメッセージが込められているのか、それを気にすること自体になにか文化的違いがあるのかはわかりませんが、そもそもこの映画、男性に存在感がありません。
登場する男性と言えば、恋人とも言えないくらい存在感のうすい男であり、ローズがあこがれるBBCのカリスマ音楽プレゼンターボブ・ハリス(カメオ出演らしい)であり、ローズの歌に共感してサポートしようとするスザンナの邪魔をする夫でありといった具合で、ローズの人生に直接的に関わってくるのは女性ばかり、母マリオン(ジュリー・ウォルターズ)やスザンナ(ソフィー・オコネドー)です。
映画はローズが1年服役し仮出所するシーンから始まります。ドラッグをどこかへ投げ込んだとかなんとか言っていましたが、その後映画の中でドラッグ云々は一切出てきませんので映画的にも重要なことではありません。
ローズにとって重要なことはカントリー(ミュージック)だけです。自分は聖地ナッシュビルに生まれるべき人間でスコットランドのグラスゴーにいることは間違いでありナッシュビルへ行くことで本来の自分になれると考えているようです。腕には Harlan Howard の言葉(らしい)「(Country music is)three chords and the truth」のタトゥーを入れ、フリンジの付いた革ジャンに白いウェスタンブーツで自己主張しています。
子どもたちを愛していないわけではありません。服役中は母親のマリオンに子どもたちを預けていたわけで、ローズが家に戻りますとママー!と飛びついてきます。
しかし、夢を追うか、現実に妥協するか、それを問われれば夢を追います。そうした物語です。
服役するまではクラブで歌うことで収入もあったようですが、今は仮釈放の身ですので門限があり歌うことが出来ません。母親の友人の紹介でハウスキーパー(清掃だけかも?)として働き、子どもたちとの暮らしを始めます。
雇い主はアッパーミドルなんでしょう、裕福な夫婦と子ども二人の家族です。子どもたちや妻のスザンナがローズの音楽に興味を持ち、ローズが請われて歌いますと感動の面持ち、ローズはナッシュビル行きの夢を語り、5000ポンド(だったような…)あればとあたかもスザンナに出してと言っているかのように語ります。
スザンナは無理よと断っていましたが、このあたりの描写、面白いですね。
階級社会ということで特別な描き方ではないのか、ローズの視野の狭さの表現なのかとか、他にもたとえば、ローズがヘッドホンで音楽を聞きながら掃除をしているので声を掛けても聞こえないのにスザンナは怒らないとか、簡単に信用して家をあけちゃうとか、まあ映画だからなんだろうとは思いますが、ああ文化が違うなあと思います。
もちろんローズは労働者階級です。あまり深い意味はないかも知れませんが、後に、スザンナがローズに対して自分もあなたと同じだった…などと話していました。ミドルクラスの夫と結婚することで今の生活があるというような意味だったんでしょう。
そのスザンナがツテをいかしてBBCのボブ・ハリスにローズの録音を送り会う段取りをつけてくれます。しかしこれはうまくいきません。ボブ・ハリスには歌唱力は抜群だが君の歌いたいことは何だと問われ、自分の曲を作りなさいと諭されます。
再びスザンナが、自分がパーティーを開き、ローズはそこで歌い、寄付(クラウドファンディングのような出資)を募ってナッシュビル行きの資金をつくりましょうと提案をしてくれます。そのためには練習もしなくっちゃというスザンナにローズは困ってしまいます。ローズは子どもがいることを隠しているのです。そのために時間を取ることができません。
この設定はちょっとわからなかったですね。何か見落としているかも知れませんが隠す必然性がありません。まあとにかく、練習をするためには子どもを誰かに預けなくてはいけないということで、母親に頼もうとしますが、母親はそもそもローズが現実を見ず夢を追い続けていることをよく思っていません。結局言い争いになり、ローズは友人に子どもたちを預けます。
母親は40年(だったかな?)ショッピングセンターのパン屋で働き家も持つことができ(表向きは)娘にもそうした生き方を求めています。子どもたちもそうした状況を敏感に感じ、おばあちゃんのほうがいいなどとローズに反抗するようになります。
更に悪いことに、スザンナの夫から、素性を調べた、子どもがいるだろう、前科があるだろう、パーティーでの演奏が終わったらもう近づかないでくれと言われてしまいます。
結局、ローズはパーティーのステージに立つも、様々な思いが交錯したんでしょう、パーティーでは歌うことができず、スザンナに隠していた子供のこと、前科のことを告白しその場を去ります。
正直、これ、この後どうやってまとめるんだろうと思いましたが、やはりテーマは夢と現実です。ある日母親マリオンがやってきます。ローズに封筒を渡します。お金が入っています。驚くローズ、なにを言っているの、私は40年働き続けているのよと、そして、記憶違いかもしれませんが、私も若い頃は…と言っていたような…。
ナッシュビルのローズ。この映画の良さはここかもしれません。なにもドラマチックなことは起きません。あるクラブで歌いたいんだけどと言いますと、順番待ちよ、世界中から皆やってきている(適当につくった)と言われます。
そして聖地のような劇場なんでしょうか、バックヤードツアーの途中でひとりステージに向かい、誰もいない客席に向かって切々と歌うのです。
When I Reach The Place I’m Going
グラスゴーに帰り、そして1年後、ローズは、
Ain’t no yellow brick road running through Glasgow
But I found one that’s stronger than stone
Ain’t no place like home, ain’t no place like home
Ain’t no place like home, ain’t no place like home
と自作の曲「Glasgow (No Place Like Home)」を歌います。客席には母親マリオンも子どもたちも、そしてスザンナもいます。
これが男の物語なら、成功するか、ドラッグに溺れるかのどちらかでしょう。