「ツィゴイネルワイゼン」時代の脚本じゃないですかね…
根岸吉太郎監督、久しく名前を見ていないなあと思いましたら東北芸術工科大学の教授や学長をやっていたんですね。現在はその運営法人の理事長であり、同系列で京都芸術大学を運営する瓜生山学園の理事でもあるようです。
それで思い出しました。林海象監督の2020年の映画「BOLT」のプロデューサーに名前が入っており、その映画自体が京都芸術大学と東北芸術工科大学の学生たちとの共同制作というものでした。

「奇怪な三角関係」にならず…
監督としては「ヴィヨンの妻〜桜桃とたんぽぽ〜」以来の16年ぶりになり、学長職という教育現場から制作現場へ復帰ということでしょうか(想像です…)。
映画は中原中也と長谷川泰子と小林秀雄の話です。
「奇怪な三角関係」という言葉で語られるそのことは知っていますが、経緯や詳細などそのことに関する本も読んだことはありませんので以下は単に映画の感想だけです。
長谷川泰子著(村上護編)となっている『中原中也との愛 ゆきてかへらぬ』という本があります。ただこの映画はそれを原作としているわけではなく田中陽造さんのオリジナル脚本ということです。
映画は中也(木戸大聖)と泰子(広瀬すず)の間に切っても切れない精神的なつながりがあったという視点で描かれています。まあ、お互いに傷つけ合いながらも惹かれ合うといった関係でしょうか。小林秀雄(岡田将生)はちょっと二人の関係の外に置かれた立ち位置になっています。
ですので、小林秀雄本人が書き残している「奇怪な三角関係」といったものがなんであったかが浮かび上がってくる映画ではありません。
実際、泰子が秀雄の何に惹かれて中也の元を去ったのか見えてきませんし、秀雄にしても本人が後に「私は彼の情人に惚れ、三人協力の下に、(人間は憎しみ合うことによっても協力する)奇怪な三角関係が出来上り、やがて彼女と私は同棲した。この忌まわしい出来事が、私と中原との間との間を目茶苦茶にした」と『中原中也の思い出』に書き残したらしいそのあたりの感情が感じられることもありません。
結局、映画はその「三角関係」の経緯を描いているだけに終わっており、せっかく広瀬すずさん、木戸大聖さん、岡田将生さんという俳優を使いながらもったいないなあという映画です。
脚本も映画も今どきのものじゃない…
あらすじともなる簡単な経緯を書いておきますと、
- 1924年(大正13年)4月、中也17歳、泰子19歳(20歳)、京都で同棲する
– 映画はここから描かれている - 1925年(大正14年)3月、上京。9月、秀雄と出会う。11月、泰子、秀雄と同棲する
– 中也と泰子の同棲期間は約1年半です - 1928年(昭和3年)5月、秀雄、泰子から逃げる
– 泰子と秀雄の同棲期間は約3年です - 1933年(昭和8年)中也、結婚
- 1936年(昭和11年)中也の長男文也、死去
- 1937年(昭和12年)10月22日、中也、死去
映画はこの経緯が描かれているだけです。1924年と言いますと前年の9月1日には関東大震災が起きている年ですがそうした時代背景は一切描かれず、三人の関係だけで映画はつくられています。
なのにことの経緯以外に記憶に残っているものがないというのはどういうことなんでしょう。
公式サイトに「田中陽造、幻の脚本」とあります。いつ書かれたものかはわかりませんが映画から想像しますと相当古いように思います。「ツィゴイネルワイゼン」とか「陽炎座」の脚本家でもありますのでそうした大正浪漫風のものの一作かもしれません。つまり、そうしたトーンだけでも映画が成立する時代があったということで、たとえばこの映画で言えば、泰子の衣装の頑張り具合とかメリーゴーランドやダンスホールのシーンにそうしたところが現れています。中也がマントを翻すシーンとか冒頭の俯瞰の赤い傘のシーンもそうです。
もっとぴりぴりした台詞やシーンがあってもいいと思うんですけどね。三人の関係に息苦しくなるような緊張感のあるシーンでもあれば三人の俳優も生きてくると思います。
いずれにしても脚本が今どきのものではないということとそれをそのまま映像化していることに問題がある映画ということです。
その時代に撮られていればまた違った映画になっていたとは思います。