調べてみたら、この映画、2001年6月の公開だったようです。6年も前とは、不思議な感じがするのですが、なぜか印象に残っています。
とは言っても、印象に残っているのは予告編で、本編は観ていません。少年たちが海岸沿いの道路に陣取り、好奇心に満ち溢れたまなざしを向けるその先を、どこかさびしげなひとりの女性が歩いていく。多分予告編のこのシーンを何度も見せられたからでしょう。
「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品なのですが、その予告編から受けた印象が、少年が大人になっていく過程を大人の女性への憧れと性的な欲望を通して描くという、いわゆるありがちな描き方に感じたせいか、見逃してしまったのだと思います。
しかし、違っていました。
確かに一方の軸は、その通り、レナード少年がモニカ・ベルッチ演じる美しい人妻マレーナに一目惚れ、じゃないですね、あれは、悩殺ですね。他には何も見えないくらいにすっかりやられてしまい、性的妄想に耽りつつ、それでも誰よりも心やさしく彼女を見守ることで自分自身が成長していくつくりにはなっているのですが、もうひとつ、はっきりと愚かなる「大衆」という視点が映画の軸となっていました。
マレーナは、戦争で夫を亡くし、街の弁護士に策略的に結婚をせまられ、なぜか娼婦にまで落ち、街の女たちにリンチを受けて、街を追い出されるのですが、そのあたりはレナード少年の目を通して描かれますので、あまりマレーナの意思がどうであったかなどということは重要ではなく、まあ、見ていてもはっきりしないというか、そういえばマレーナのセリフはほとんどなかったですね。マレーナは、少年の偶像のような存在ですから、それでいいのでしょう。
そんなマリーナの動静に、街の人々は、好奇心丸出しの厭らしい視線を浴びせ、悪意や嫉妬に満ちた言葉を投げつけ、挙句の果てのリンチ、そして手の裏を返したような擦りよりをみせます。愚かなる「大衆」ということなんでしょうね。ただ、それも見ていていやな感じがするわけではなく、どこかぼんやりと曖昧に、これも多分少年の目線で描かれているということなのでしょうか、決して非難するような描き方ではなく、まあこんなもんでしょうとか、所詮人間なんですからみたいな、どこかおおらかなところはあります。
イタリアっぽいというか、シチリアの風土的なものというか、といっても実際に知っているわけではないですが、そんな感じのする映画でした。