“映画であれ、写真であれ、被写体にカメラを向けることは、被写体に向け矢を射ることに等しい”
たまたま読んでいる「ドキュメンタリーは嘘をつく/森達也」のせいもあり、「パレルモ・シューティング」を見ながらそんなことを考えていました。
それにしても、この映画、語られる言葉は観念的でありながら、内容は相当俗物的です。主人公の写真家フィン(カンピーノ)が、デュッセルドルフ(らしい)の全面ガラスの高層階の自宅(かな?)からパンツ一丁で街を見下ろすファースト・シーンなど典型的です。
もちろん意図的にやっていることだろうからそれはそれでいいのでしょうが、後半のパレルモのくだりはどうなんでしょう? 「リアル」さの象徴としてパレルモの街を使うことにさほど違和感はありませんが、壁画の修復をするフラヴィア(ジョヴァンナ・メッゾジョルノ)との出会いとその後の展開は、なに、結局男女の恋愛へもってく?と、思わず苦笑し、死に取り付かれた男でもきれいな女の人に出会うと「死」なんて消えちゃうよねと妙に納得したのでした。死神のデニス・ホッパーがなんだか居場所なく可愛そうな感じでした。
ジョヴァンナ・メッゾジョルノさんは、「愛の勝利を ムッソリーニを愛した女/マルコ・ベロッキオ監督」の力強い女性イーダの方が圧倒的にいいです。
映像と音楽(音の構成の仕方)は、とても良かったです。