ポエトリー アグネスの詩/イ・チャンドン監督

とても素晴らしい映画でした。それに、初めて韓国語の響きが美しいと感じました。

見てから随分経っていますが、とても素晴らしい映画でした。それに、初めて韓国語の響きが美しいと感じました。


映画『ポエトリー アグネスの詩(うた)』予告編

初老の女性ミジャを演じるユン・ジョンヒさんは、現在はフランスで暮らしている方で16年ぶりの映画出演とのことです。韓国語(朝鮮語?)は、北朝鮮のアナウンサーの仰々しいしゃべり方や最近はやや少なくなってきましたが、反日的な言動の報道映像の影響なのか、私には攻撃的な印象の強い言葉でした。ところが、このミジャの話す韓国語は全然違いました。詩的なフレーズがよく合うとてもやさしく心に響く音を持つ言葉でした。

ミジャは、どこでしたか都会へ働きに出ている娘から孫息子を預かり二人で暮らしています。ある日ミジャは、少女が川に身を投げた現場に出くわします。その後、その自殺が同級生の集団暴行によるものであり、孫もそのうちの一人であると知らされます。しかし、そのことに真正面から向き合うことも出来ずに、どこかしっくり来ない感情を持ちながらも、示談でうやむやにしようとする他の親たちの言うがままに引きずられていきます。

また、ミジャは自身がアルツハイマーの初期状態にあることを医者から告げられます。帰り道、ふと目にした詩作教室の募集に何かが呼び覚まされたように自然にその中に加わっていきます。そこでミジャは、講師から「詩は、見て書くものです。人生で一番大事なのは見ること。世界を見ることが大事です(公式サイト)」と教わります。

実に淡々とした映画です。アルツハイマー病への恐れ、孫の犯した行為への戸惑い、自殺した少女アグネス(洗礼名)への思い、そうした様々な思いが詩作する行為の中にうまく込められて静かに淡々と描かれていきます。こういうところがイ・チャンドン監督の持ち味であり、素晴らしいところです。

言葉で表現するのは難しい、それだからこそ映画なんですが、とても素晴らしいシーンがいっぱいあります。自殺した少女の母親を訪ねていく場面、孫たちが少女を暴行した現場を訪ねる場面、なぜだったか忘れましたがミジャがカラオケで歌う場面、ヘルパーをしているミジャが介護する老人に身体を求められそれに応える場面、どれも特別インパクトがあるわけではありませんが、味のある深いシーンばかりです。

そしてラスト、ミジャの書き上げた「アグネスの詩」が読み上げられ、少女が身を投げた橋から見下ろす川の映像がかぶって終わります。美しい詩でした。