南スーダンで内戦時に孤児院をつくるなどの活動をし、今なお、し続けている実在のアメリカ人サム・チルダースを描いた実話ネタの映画です。南スーダンと言えば、ひと月ほど前、ジョージ・クルーニーが抗議活動で逮捕されニュースになっていましたし、昨年住民投票でスーダンから独立し、自衛隊がPKOで派遣されている国ですし、大まかには理解しています。
なぜ見ようと思ったかは、監督が「チョコレート」のマーク・フォースター監督だったからですが、正直なところ、半分くらい、いや3分の2くらいまででしょうか、見なきゃよかったと後悔しました(笑)。こういった実話ものにありがちな、ただ物語を語っていくだけの掘り下げの浅い、それも目を覆いたくなるようなステレオタイプの描き方です。
サム(ジェラルド・バトラー)が刑務所から出所するところから始まります。刑務員に悪態をついて出てくるくらいですから更正するわけもなく、すぐさま麻薬に酒にと元通りの荒んだ生活の繰り返し、ある時、たまたま拾ったヒッチハイカーを殺したと思い、罪悪感にとらわれ、以前から信仰に目覚めていた妻リン(ミシェル・モナハン)に救いを求めます。
ウソでしょ!マシンガンを持って売人を襲い、今にも撃ち殺しそうな勢いでヤクを奪ったりしている人間がこれはないでしょ。いやいや何か裏があるに違いない、そう思って我慢しました(笑)。
ところが願いもむなしく、サムはあっけなく信仰に目覚め、その場で洗礼を受け、やがて真っ当な職に就き、建築業を起こしてそこそこ安定した生活を築きます。さらに自ら教会まで建て、牧師まがいの説教までするようになります。
ここらあたりまできますと、さすがに、こりゃなにもないワ、我慢の一本だと腹をくくり、何でもどうぞと心を広くして見続けたわけですが、そんな私の心の葛藤をマーク・フォースター監督は知るよしもなく、さらに(というかこれが映画の本題ですが)サムをアフリカスーダンへ送り、そこで内戦であるがゆえの悲惨な子供たちの現状を見させ、私財をなげうって孤児院を建てる活動に走らせます。
ところが、そんな模範的話も次第に不穏な空気を感じさせるようになります。なにせタイトルが「マシンガン・プリーチャー」、マシンガンを持った牧師、伝道者ってわけですから、いくら神に仕える(一般人だから仕えるはおかしいか?)者の善行とはいえ、敵(LRA)は容赦なくマシンガンで撃ち殺します。殺人を犯して(と思っただけで実は死んでいなかった)改心したにもかかわらず、善だと信じたことのためには平気で人を殺せるという矛盾をどうするんでしょう? などと、まあ普通に疑問がわくように映画は展開していきます。
サムの活動は、資金難や繰り返されるLRAの襲撃のため思うように進みません。次第に苛立ちをつのらせ、自らの生活大事に援助の手をさしのべようとしない友人たちを罵り、教会での説話もまるでアジテーションのようになり、妻や子供との間もギクシャクし始めます。ついにアメリカでの生活を捨て、ひとりスーダンに旅立ちます。
狂信的になった様は神に帰依する前と何も変わってはいません。たくさんの子供たちを救いますが、それとともにたくさんの敵ではありますが人間を殺すことになります。スーダンでボランティア活動する女性に言われます。「暴力では何も変わらない。あなたは天使に守られていると言われているが、ジョゼフ・コニー(LRAのリーダー)も最初はそう呼ばれていたのよ。」(せりふは不正確)
結局これを描きたかったんでしょうかね? 湾岸戦争からアフガニスタン、イラクへと戦争に突っ走るアメリカ、自由という大義を振りかざして更なる憎悪を生み出し続けるアメリカ、それを重ね合わしているのでしょうか?
ただ、もしそうだとしても、映画としてはそこまで突き抜けてはいず、全体的に中途半端で、それほどの映画ではないと思います。率直なところ、こんなにも長くだらだら書いている自分が信じられないくらいに…。
ところで、サムが戦っているLRAやコニーというのは、どうも南スーダンの内戦とは別次元の問題のようで、うまく短く説明する自信がありませんので、ウィキなど読んでくださいませ。