映画というより舞台劇のつくりでした。内容的にもそうなんですが、ライティングやカメラの構図からもその印象が強いです。奥、たとえば教会の入口から差し込む光、斜め後ろからの光によるシルエット気味の構図、俯瞰の時のサスっぽいライティングなどなど、さらにオールスタジオ撮りでしょうから、当然ながら人物の登場の仕方も舞台劇そのものでした。
「イタリアのある街で、半世紀の間、市民が集ってきた教会堂が取り壊されようとしている。キリスト像も無残に下された。(略)夜、ひとりの男が傷ついた家族をつれて司祭館にやってくる。男は技師で、家族は不法入国者だった。そして教会堂には、さまよう人が次々とやってきた。多くがアフリカから長い旅を経てきた人だった。…」(公式サイト)
というお話しで、その教会をずっと守ってきた老司祭(マイケル・ロンズデール)の苦悩を軸に、不法移民たちの2日間が描かれています。移民たちは、最後には皆教会を出て行くわけですが、その間に、子供が産まれたり、警察がやってきたり、自爆テロを思わせるシーンあったり、恋愛も多少あったような…。また、移民の一人が浜辺に流れ着いたというノートを持っているのですが、1ページ目は読めますが、次のページはくっついてめくれないとか、暗示以外のなにものでもないです。
といった感じで、リアリズムは全く求めていないようで、全てがかなり抽象的です。人物も、行為も、言葉も皆暗示的で、掴みづらいところが多く、移民たちの間にもグループがあるようですが、それらの細かい人間関係はよく分からなかったですね。
でも、結論から言いますと、多分、神の不在たるこの世をどう生きるかということでしょう。教会の高みにあるキリスト像が降ろされること、父親の分からない子供が産まれること、ノートに書かれた世界の始まりのような言葉などなど、あまりにもそのまんまで、果たしてそうかなとも思いますが、多分そうなんでしょう。
ただ、そのように神不在後の世界の混沌を暗示してはいても、じゃあどうするかへの積極的なアプローチがあるわけではなく、ましてや一神教でもなく、さらに無神論者であってみれば、混沌こそが世界の本質とも言えるのではないかと思うわけで…。