ナチスによるユダヤ人迫害を扱った映画は数え切れないほどありますが、この映画は、逆に、ナチスの将校を父親に持った子供たちの苦難を描いています。
監督がオーストラリアのケイト・ショーランドさん、製作にもオーストラリアが入っていますので、なぜかと思いましたら、原作がオーストラリア人の父とドイツ人の母を持つレイチェル・シーファーさんという作家の「暗闇の中で」という本なんですね。
映画のストーリーは、
1945年、敗戦して間もないドイツ。ナチスの幹部だった両親が去り、14歳の少女ローレ(ザスキア・ローゼンダール)は、妹と弟と共に南ドイツから900キロ離れたハンブルクの祖母の家へ向かうことに。途中、貼り出されたホロコーストの写真を見たローレは困惑する。翌日、連合軍兵士に呼び止められたローレはユダヤ人青年のトーマス(カイ・マリーナ)に助けられ……。(シネマトゥデイ)
ということなんですが、出来としてはかなり物足りなく、どちらかといいますとイライラさせられるタイプの映画でした。
一向に映画の軸が見えません。子供たちだけの旅の過酷さを描こうとしているのか、ユダヤ人青年(実はなりすまし)との出会いによるローレの変化を描こうとしているか、あるいはタイトル通り、多分徹底したナチズム教育を受けただろうローレがそれを自ら断ち切っていく姿を描こうとしているのか、もちろんその全てなんでしょうが、やっぱり、一本芯となるものが通っていないと映画は散漫になり、中途半端なものになってしまいます。
当然、ローレの内面的な葛藤が軸となるべきだと思いますが、なかなかそれが見えてこない、と言いますか、ほとんどなかったです。旅の途中、掲示されたユダヤ人迫害の写真に父親の姿をみつけ、後に、破り持ってきたその写真と自ら大切にしていた父の肖像写真を土に埋めるシーンがありますが、それくらいですね。せっかく、ユダヤ人の青年に助けられ、その後長く一緒に旅をするわけですから、いくらでもローレの葛藤は描けそうに思うんですが、それにその青年がユダヤ人ではなかったという二重のどんでん的ドラマまで用意されているわけですから、もっといろいろ何か出来たのではないかと、それもイライラのひとつだったのかなと今は思います。
過酷な旅の中のローレの表情の変化でそれを見せようとしたのかも知れません。やたらアップの映像が多かったです。ただ、それもローレを捉えようという意図よりは、何か異様に細部にこだわってる印象で、人間だけではなく、土やら水やら木や葉やら、あらゆるものをアップで撮っていましたが、あれはどういうことだったんでしょう。どちらかというと、そうした画のつくり方は好きな方ですが、この映画ではあまり意味が感じられず、逆にイライラさせられた原因でもあります。
よほどイライラしたんですね、もう3回も出てきています(笑)。