1001グラム ハカリしれない愛のこと/ベント・ハーメル監督

キログラム原器にかけてきた父の人生は21グラムの魂が抜けても1グラム意味があったとか?

映画だけでなく何であっても「北欧」でくくって語るというのは、日本や韓国を東アジアでくくるみたいなもので、それってどうなんだろうとは思いますが、それでもこの映画なんかは、カウリスマキ監督の人間の捉え方とかちょっと覚めた距離感とかどことなく似ています。

逆かな? 我々がそうした映画を「北欧」に求めるから日本での公開が多くなるのかもしれませんね。どこの国にだって、いろんな人間がいていろんな考えがあるのですから、ノルウェイにだってフィンランドにだっていろいろな映画があるでしょう。

『ホルテンさんのはじめての冒険』や『キッチン・ストーリー』で愛すべきオジサン主人公たちを生み出し、日本でも多くのファンを持つノルウェーのベント・ハーメル監督が、初めて美しい女性を主人公に、北欧からパリへ舞台を広げて描く最新作。可笑しみに彩られた独特の世界観を今作でも存分に披露している。また、実在する「ノルウェー国立計量研究所」とパリ郊外にある「国際度量衡局」での撮影が許可されたことが、重さの概念すら抱かなかった私たちをより深く未知の世界へと導いた。(公式サイト

で、この映画、何と言っても一番の印象は、整然さとミニマムさが強調された画です。

マリエ(アーネ・ダール・トルプ)が科学者として働くノルウェー国立計量研究所にしても、マリエの住まいやその街並みの空撮にしても、とにかく余計(とは言えないが、言葉の綾)なものが一切ない画になっています。

マリエのキャラクターも同じく相当にミニマムにつくられています。余計なことは口にしない、余計な振る舞いもしない、瞬きさえもしません。車も全く余計な装飾を排した電気自動車です。

で、そのマリエが、離婚によって夫が去り、最愛(らしい)の父も失い、自分をも見失いかけている時に、パリで出会ったパイ(ロラン・ストッケル)との間に新しい愛を発見するという話です(か?)。

ラストシーンを見ると多分そういうことなんだろうとは思いますが、ただ、ミニマムさにこだわり過ぎているのではないかと思いますが、マリエがあまりにもしっかりしている印象で、夫や父が去っていったことへの喪失感があまり感じられません。この人ならひとりでやっていけるよといった感じがするのです。

大きなベッドでひとり眠るシーンや夫が寝ていた場所に思いを寄せるカット、父が亡くなる直前に居眠りしていた干し草の上に横たわるシーンなどがあるのですが、それさえも悲しみよりも気丈さの方が強く出ています。

唯一、マリエが、絵画を持ち出す夫と偶然目が合ったことで心を乱して自損事故を起こし、大切なキログラム原器を壊してしまうシーンもあるのですが、その後のマリエにもあまり動揺が感じられず、それが契機となってパイとの関係も深まるわけですから、本来ならここでマリエの心の揺れみたいなものが見えないとそもそもの物語が見えなくなってしまうのではと思うのですが、なかなかそうはなりません。

ノルウェイ(オスロ?)とパリをマリエの心象風景的に質感を変えて撮ろうとしたり、同じ電気自動車でもパリジャンのパイの乗る車は丸みを帯びていたりと、いろいろやってはいるのですが、肝心のマリエの変化がもうひとつよく感じられません。

過去の「キッチン・ストーリー」や「ホルテンさんのはじめての冒険」のおっちゃんたちは哀愁がうまく出ていましたので、ベント・ハーメル監督、女性よりもおっちゃんを撮るのがうまい監督なのかもしれません。

まあただ、そうした変化を極力抑えた作風といいますか、言葉はもとより画でも説明しないのが特徴とも言えますので、見る側が読み取ればいいことではあります。

ところで、父の遺灰の1001グラムの意味がよく分かりませんでしたが、あれはどういうことなんでしょうね? 1022グラムから21グラム分の魂が抜けて1001グラム残ったということなんでしょうが、キログラムにかけてきた父の人生は1グラムだけ意味があったとか?

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