氷の花火 山口小夜子/松本貴子監督

ある人物を撮る切り口はいろいろありますが、やや入門編的です。でも「山口小夜子」の歩く美しさには感動します。

山口小夜子さん、そういえば亡くなられていましたね。多分ニュースでも報じられたんでしょうが、はっきりした記憶はありません。2007年ですから8年ですね。

生前親交のあったという松本貴子監督が撮られたドキュメンタリーです。松本貴子監督のプロフィールにPFF入選とありましたので調べてみましたら、これですね。

1983年:第6回PFF一般公募部門入選作品『チャコのアパトル物語』

サザンからの発想でしょうか? スチールが時代を感じさせます。それに入選作すべて8ミリですよ。

世界中の人々に“東洋の神秘”と称賛された伝説のモデル(略)・・・黒髪に切れ長の瞳、神秘的で妖艶な容姿の中に宿る、挑戦的かつ情熱的な魂。山口小夜子。
山本寛斎、髙田賢三、イブ・サンローラン、ジャンポール・ゴルチェら一流のファッションデザイナーに愛され、セルジュ・ルタンス、横須賀功光などトップクリエイターのミューズとなってイマジネーションを与え、常に時代の先端を走り続けました。(略)山口小夜子と交友のあった松本貴子監督が、(略)「山口小夜子」を探す旅に出る。(公式サイト

山口小夜子さんの記憶と言いますと、やはり資生堂のCMやポスターでしょうか。パリコレで注目されているという話は聞いていても、ビジュアルで見たことがあったのかなかったのか程度ですので、ランウェイ上の姿は浮かんできません。

そういえば、あの時代、70年代、80年代は、季節の風物詩のように春夏と秋冬のパリコレやミラノコレクションがマスコミでも紹介されていましたが、最近はあまり取り上げられませんね。当然業界では注目されているでしょうから、私が気づかないだけかも知れません。代わって最近よく目にするのは、東京ガールズコレクションとかいうイベントですが、何やらクール・ジャパンと通ずるところがあり、仕掛けられ感が強くて胡散臭い(笑)感じがします。

それは置いておいて映画ですが、私のようにメディアを通してしか知らない者にとっては、ぼんやりしていた像がはっきり輪郭を伴ってきますし、当時を全く知らない者にとっては、レジェンドが姿を現すといった感じなのではないかと思います。

映画の多くは、当時を知るデザイナーや一緒に仕事をした人たちのインタビューで構成されていますが、印象に残った言葉は、天児牛大さんが語っていた「自分で『小夜子さんが…』と呼ぶことがあった」という言葉です。

モデルという仕事を続けるうちに、自分自身で「山口小夜子を創造する」という感覚が生まれていったんでしょう。特にパリコレなんていう想像もできない厳しい世界へひとりで乗り込んでいくわけですから、最初は防御意識も相当に強かったと想像します。

写真家の大石一男さんが語っていた「楽屋では他のモデルがタバコを吸ったり酒を飲んだりしている中、ひとり鏡に向かって化粧をしていた」というのが当初の姿であれば相当気を張っていた姿でしょうし、トップモデルに上り詰めた頃であれば創りあげた「山口小夜子」の姿だったと思います。

モデルとしての第一線を退いてからはパフォーマンス系のものに出演したり、さらには衣装デザインや演出系の仕事も始められていたようですので、やはり基本はクリエイティブな志向が強かったのだと思います。

個人的には、そうしたモデル以外の山口小夜子さんには興味がありませんので、もっとランウェイ上の「山口小夜子」を見たかったのですが、残念ながらあまり多くなかったですね。やはり、モデルの美しさは、映画の中でも語られていますが、ショーモデルであれば歩く美しさであり、スチールであれば瞬間の美しさだと思いますので、実際にはほとんど見ていない「歩く山口小夜子」をたくさん見たかったです。

それでもいくつかのシーンではその美しさ(きれいという意味ではない)に感動しました。

できるならば、映画としては、その「美しさ」にもう少し突っ込んで欲しかったとは思います。たとえば、その「美しさ」は単なるオリエンタリズムだけではないと思いますのでそれがどこからやって来るのかとか、山口小夜子にとって「山口小夜子を創る」ことは楽しいことだったのか苦しいことだったのか、もちろんその両方なのは分かりますが、そうした内面的なものに迫るとか、そうした点ではやや物足りなさが感じられたところではあります。

そうそう、遺品の開封も映画的にはあまり効果的ではありませんでしたし、今のモデルを使っての再現プロジェクトははっきりいって意味がなく余計でしょう。

小夜子の魅力学

小夜子の魅力学

 

こんな本がありましたが、絶版ですね。