世代間ギャップ?子どもがいるいないのしあわせ感?世渡り上手が得をする?あれもこれも入れ過ぎなのでは?
ノア・バームバック監督、46歳、本人のリアルな時代感覚が反映された映画なんでしょうか。
時代に敏感に生きてきたつもりの40代夫婦が、20代の若き男女の新鮮な感覚に刺激を受けつつ、またギャップも感じつつ変わっていく様子が描かれ、また、映画制作における「真実」をめぐる、映画監督ジョシュの孤立も同時に描いています。
「フランシス・ハ」で見せた、ひとりの女性の等身大(ちょっとベタな言い回し?)の生き方を、すでにおじさんと言われる年齢の40代男性ででも、見せることができたのでしょうか?
8年間も新作が完成していないドキュメンタリー映画監督のジョシュと、妻のコーネリア。40代になり、何かが欠けていると感じるようになったある日、ジェイミーとダービーという20代のカップルと知り合う。自由でクリエイティブに生き、レトロなカルチャーを愛する若い2人に刺激を受け再び活力を取り戻していくが……。(映画.com)
こういうジョシュ(ベン・スティラー)の感覚はよく分かりますね(笑)。
特に、仕事上で壁にぶつかっていたりしますと、彼の場合は8年かかって未だ完成しないドキュメンタリー映画なんですが、そんな時、ふっと目の前に非日常的なものや人が現れますと、ついついのめり込んでしまいます。
のめり込むものは人それぞれでしょうし、男女も関係なくですが、人間、一度はそういう感覚を経験するものだと思います。
ジョシュとコーネリア(ナオミ・ワッツ)の場合は、ジェイミー(アダム・ドライバー)とダービー(アマンダ・サイフリット)のユニークな生き方や自由さに、かつては自分たちが持っていたものなのにいつの間にか忘れてしまった何かを感じたのか、ファッションや生活スタイルまで影響されていきます。
と、中盤までは、世代間ギャップを感じさせながら進むのですが、中頃からは、何やらちらちらとジェイミーの隠れた魂胆が見え始めます。
どうやら、ジェイミーは、自分の映画作りのために、ジョシュを利用し、さらにコーネリアの父がドキュメンタリー映画の巨匠(のよう)であることを利用しようと、計算づくでジョシュに近づいたようなのです。
と、中盤以降は、コメディーっぽさが消えて、え?ジョシュはだまされているの?と、シリアスドラマの様相を呈し始め、さらに、ジョシュが撮っている映画のテーマが、ライト・ミルズの「パワー・エリート」であるらしく、何やら映画が比喩的に見え始めます。
この「パワー・エリート」、見ている時にはよく分かりませんでしたが、ググりますとライト・ミルズ氏の著作としてヒットしますし、映画の中にそれらしき台詞もありましたので、多分間違いないでしょう。
読んだことはありませんが、ざっとググった感じでは、アメリカ社会(だけではないですが)の権力構造を批判的に書いたもののようで、その「パワー・エリート」について語る学者を撮影しているシーンが何度か出てきますし、ジェイミーも自分の映画に挿入(パクリ?)しているようですので、そこには何かノア・バームバック監督の思いがあるのでしょう。
もうひとつ映画の重要な要素があります。
人生において子どもを持つことの意味なんですが、ジョシュの親しい友人に子どもが生まれ、またジョシュたちも過去子供を持つべく努力したが持てなかったとの設定でいろいろな細かいドラマを持ち込んでいますし、ジョシュたちが養子をとることを映画的オチにしています。
ノア・バームバック監督自身に子どもについての何らかの思いがあるのかもしれませんが、このオチは、なんとも映画をありきたりでつまらないものにしています。
ジェイミーとの関係やジェイミーは何者であったのか?など、 とても曖昧なまま映画が終わっています。あれでは、ジェイミーが他人を踏み台にしてのし上がっていく碌でもない人間に見えますね。
ということで、子供の件はもっと控えめにして、4人の関係にテーマを絞るか、ジョシュの撮っている映画「パワー・エリート」をうまく使ってくれれば、もっと評価が高くなったのではないかと思います。