老いてもなお青春、友人の妻を思い、年若き女性に好かれたい願望
詩人で、翻訳や映画評論もされている福間健二さんの最新作、本人の詩集「秋の理由」が原作とのことです。
福間健二さんの名前を知ったのは、佐藤泰志さんつながりだったように記憶しています。映画も初めてですし、詩も読んだことがありません。
こちらが原作とされている詩ですね。
これがどういう映画になっているのでしょう?
監督:福間健二
宮本守は本の編集者。友人の村岡正夫は作家。代表作『秋の理由』以降、小説を発表していない。精神的な不調から声が出なくなり、筆談器を使っている。宮本は村岡の才能を信じ、彼の新作を出すことを願っている。そして実は、村岡の妻美咲のことが好きなのである。村岡は書けないことの苦悩から、正気と狂気のあいだを揺れ動き、怒りを爆発させる。村岡に、自分に、そしてこの世界のあり方に。(公式サイト)
詩人ということからの印象かもしれませんが、詩を読むような映画という感じです。ただ、物語はいたってシンプル、書けなくなった老いたる作家が再生するというお話です。
監督本人のインタビュー記事に面白い部分がありました。インタビュアーの「なぜ60代の二人の男性を軸に描かれたのでしょうか?」の問に、
自分に近いものをもう少し出した方がいいのではないかと。(略)この映画は『秋の理由』という僕の詩集がもとになっていますが、詩とは別に、映画は自分のセクシュアリティがどう出るかという部分がある。
男を描くけれど男だけではない。男同士の友情とはどういうことか。大抵はその奥さんを好きだったりするのかなと。夫婦というものはどうしたって大変で、苦労している奥さんに対して優しい感じでもう一人の男が存在する。友達の奥さんと簡単に関係を持てるかと聞かれたら、普通は持てない。持たない方がいい。
(福間健二監督インタビュー | プレタポルテ by 夜間飛行)
ああそういう映画なのね(笑)。
ただ、そういう映画だとみるにしても、映画のつくりとしては、それぞれのカットがとても静かですし、編集にしても、詩的と言えばいいのか、何かを追うようにではなく、それぞれのカット(やシーン)を連ねていって、そこに新しい意味や動きが出てくるのを待つみたいなつくりになっていますので、男女間においても熱っぽさみたいなものはありません。
熱演型の俳優さんである(と思う)寺島しのぶ(村岡美咲役)さんにとまどいが感じられたのもそうしたことからかも知れません。感情を露わにしたり、本音を漏らしたり、相手に水を向けたりする台詞があるのですが、なにやらしっくり来ていない印象を受けました。人物の心の動きを追っていくような映画ではないということですね。
監督自身は、「自分に近いものを出す」と表現していますが、むしろ、いやいや、そうじゃなく、だからですね、この映画の友情、恋愛、人間関係は、60代というよりも青春です。
実際、人間歳を重ねればもっとずるくなりますし、あんなに他人のことにかかずらったりしようとは思いません(人によるか…笑)。
とにかく、登場人物皆、他人のことばかり考えています。編集者の宮本しかり、村岡の妻美咲しかり、ミクや作家志望の若い男しかり、小林食堂(だったかな?)のオーナーしかりです。
そりゃ村岡も死にたくもなるでしょう。
「俺のことはほっといてみんな自分のことを考えろよ!」と逃げ出すのが現実。
死にそこなって「もう一度」と言ってみるのが映画。
と、話が思わぬ方へいってしまいました。