ミス・シェパードをお手本に

舞台劇のほうが見たくなります。映画はちょっとばかり映画的に成りきらず。

ホームレスの話も、ジェントルマンの国では随分格式張った話になってしまいます。これがアメリカなら、もっとポップかロックな映画になるでしょうし、途上国であれば、子どもたちの話になるでしょう。

との印象を持ったのですが、それもそのはず、これ、イギリスの劇作家アラン・ベネットさんの体験が元になっている舞台劇の映画化だそうです。監督のニコラス・ハイトナーさんは舞台版の演出もやっており、また主役のミス・シェパードを演じているマギー・スミスさんも舞台版に出演しているとのことです。

冒頭に、The almost true story と字幕が出ていました。

監督:ニコラス・ハイトナー

黄色いポンコツ車と、その中で暮らす誇り高き淑女ミス・シェパード。「その高貴な香りは、彼女の“体臭協奏曲”」住人たちは彼女に親切に声をかけたり食べ物を差し入れたりするが、お礼を言うどころか悪態をつくばかり。やがて、路上駐車をとがめられ追い立てられる日が来たとき、ベネットはひとまずうちの駐車場にと提案してしまった。それから15年の歳月が流れ…(公式サイト

格式張ったという表現もあまり的確ではありませんが、何だか静的といいますか、動きが感じられない映画です。 

実際の舞台を見たことがありませんので適当な話ですが、舞台も、ほぼ映画と同じようなつくり、同じような流れではないかと想像します。

ただ、舞台は現実な「場」がひとつですので、舞台の上には、屋外のミス・シェパードの車(の中?)と屋内のアラン・ベネットの書斎が存在し、照明の変化でシーンを変えたり、あるいは観客の想像力で窓越しの会話を成り立たせたり、それぞれのモノローグをあたかもダイアローグに見せたりすることもできます。車体の一部を取り払って常にミス・シェパードを見せ、聞こえていないはずの互いの台詞と動きを対比させてみせる演出もあるかも知れません。

舞台は、そうした役者個々の間合いや役者間の細かなやり取りが物語全体のダイナミズムを生み出していきます。

この映画は、そうした舞台の構成をそのままスクリーンに落としているような気がします。

俳優が生き生きしている感じが伝わってきません。特にミス・シェパード(マギー・スミス)が魅力的な人物に見えてきません。汚らしく憎ったらしいのに愛すべき人物、そう見えないとだめじゃないでしょうかね。

もちろん、これは極めて個人的感覚ですので、そうじゃないという人いると思いますし、それに、そうだとしてもマギー・スミスさんのせいじゃないでしょう。

映画は、どうしてもストーリーを追うという傾向が強くなる表現媒体ですので、その点でもう少し何か引っ張る力があればとは思います。

たとえば、冒頭の交通事故、え!?何?何? と引きつけられはしますが、その後何だか妙に中途半端な扱いで、警官がゆすり(?)に来たりしても、もうひとつおさまりが悪く、いきなりエンディングで二人揃って(一人だったかな?)昇天ではわけが分かりません。

フランス語が堪能であるとか、ピアニストであったとか、修道院の昔話も、見るものにしてみれば消化不良のまま終わってしまっています。なぜ車上生活者になったのかもよく分かりません。

映画ではそれがみえないと持たないでしょう。

ということで、きっとこれは舞台で見たほうが面白いのではないかと思います。

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