ゴースト・イン・ザ・シェル

ブレード・ランナー(だけではないのだろうけど)のパクリとしか思えないのだが…

常々、押井守監督の「攻殻機動隊」は一度見てみたいと思っているのですが、レンタル屋へ行っても、たまたま思い出して借りようとした時にはレンタル中といった具合で、未だ手にすることもなく、どんな物語なのかも知りません。

それなのに、いきなり実写版「ゴースト・イン・ザ・シェル」から入ってしまいました。

こういう見方で大丈夫でしょうか(笑)?

監督:ルパート・サンダース

公式サイト

この公式サイト、あのよくある About the movie とかのイントロダクションとかストーリーのページがないですね。面倒だからってことはないでしょうから、それも何かの戦略なんでしょう。仕方ないのでいろいろググりました。

なぜかといいますと、まさか原作やアニメはこんな話じゃないよね、との疑念が湧いてきたからです。

だって、この映画、ほぼ「ブレード・ランナー」じゃないですか!?

Youtube に転がっているアニメの動画をちょこちょこと見た感じではやっぱり違う感じがします。ですので、以下、全く「攻殻機動隊」を知らない者が見た、普通に映画としての感想です。

つまらなかったです(笑)。

まず、ビジュアルに新鮮さがありません。CG の技術的なことがどうこうとかの話ではなく、そもそもの発想がテーマパーク化されたブレード・ランナーみたいなもので、アトラクションは増えたけど結局ディズニーランドじゃないの(たとえが変?)といった感じです。

ブレード・ランナーのビジュアルにインパクトがあったのは、未来を単純に(その時代の)ハイテクな世界観で描くのではなくアジアンチックな無国籍のイメージで表現したからであり、当時、ああそういう発想ってありなのかと感動したものです。

それは、「メトロポリス」で未来世界にゴシックっぽいデザインが使われたりすることと同じなわけで、そうした古いものをある種未来的に感じたりすることには、人間が時間という概念を単純に過去から未来へ直線的に繋がるものとしてとらえているわけではないことの現れでもあるわけです。

やや話がそれましたが、映画に戻りますと、テーマという点でもあまり深みが感じられません。

日本のアニメって、テーマという意味では結構哲学的なものを含んでいるものが多いじゃないですか。だからこそ欧米でもうけるのではないかと思いますが、この映画からはそうした視点が感じられません。

原作やアニメがどうかは分かりませんが、ビジュアルも二番煎じ的、テーマもありきたりではさすがにこの手の映画は成り立ちません。

少佐(スカーレット・ヨハンソン)は人間の脳を機械(?)に移植したサイボーグなわけですよね。彼女(なのか?)には自分が人間であるかロボット(とはちょっと違う?)であるかの、いわゆる人間(脳)であるがゆえのアイデンティティへの渇望といいますか、問いかけや苦悩といったものがありませんでしたが、それは本題ではないんでしょうか?

そういうことではなく、自分の記憶が変えられているのではないかとの疑問が本題なんでしょうか?

そうだとするとさらに分からなくなるのが、脳だけが生命体であるということは、言い換えれば、少佐は機械(?)に記憶だけが移植されている存在ということになるわけですから、なぜわざわざ記憶に記憶を上書きしなくてはいけないんでしょう?

モトコのレジスタンスであった記憶を消してまで、つまりその脳はモトコの記憶そのものだから意味あるわけで、その記憶を他人の記憶で消してしまうくらいなら、その他人の脳を使えばいいんじゃないの?

と、こんなところにツッコミ入れても意味がありませんね。

それに、映画の構造が大掛かりな割に関わる人物(の層や人数)がこじんまりしていて、見終わってみれば、この騒ぎは一体何だったの?と、ああそう言えば、たけしが「総理が…」と2,3度言っていましたが、えっ?総理?と、そこに安倍くんの顔まで浮かび、ついには「陳腐」という言葉まで浮かぶという何ともさみしい感想となりました。

このままではいけません。早速、押井守監督の「攻殻機動隊」と「イノセンス」を宅配レンタルすることにしました。

GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊 [Blu-ray]

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イノセンス スタンダード版 [DVD]

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