(ネタバレしても問題ない)のでよく知って見るべし。シンプルなのに情感豊か。
カテル・キレヴェレ監督、予告編映像ではこの映画が日本初公開と言っていますが、今回配給がついたという意味でしょう。前作の「スザンヌ」がフランス映画祭で上映され、その後単館系で企画上映されています。
この「あさがくるまえに」は、随分前に予告編を一度くらい見た程度でしたので、見なくっちゃと思いつつ、サーフィンのシーンとタハール・ラヒムが出てるんだくらいの記憶でしたが、こういう映画だったんですね。
「みずみずしさ」を感じるとてもいい映画でした。
監督:カテル・キレヴェレ
ル・アーブル。夜明け前、友人たちとサーフィンに出かけたシモンは交通事故に巻きこまれ脳死と判定される。医師は両親に移植を待つ患者のために臓器の提供を求める。
パリ。音楽家のクレールには心臓移植しか選択肢はない。彼女は、若くない自分が延命することを自問自答している。そんな時、担当医からドナーが見つかったとの連絡が入る。(公式サイト)
ドラマチックな展開で見せる映画ではなく、人の心の動きや画からにじみ出る情感を感じる映画ですので、仮にネタバレを読んで物語を知って見たとしても何ら問題ないと思いますし、むしろ物語を知った上で見たほうがより伝わってくる映画だと思います。
ことの発端となるシモン(ギャバン・ヴェルデ)が交通事故に遭うまでの一連の流れは実に美しいです。
シモンがベッドの上で目を覚まします。隣にはガールフレンド、まだ眠っています。頬にそっと触れるシモン、ガールフレンドはうっすらと瞼を開けますが再び眠りに落ちていきます。
ベッドから出たシモンは衣服をつけて、窓に腰掛け、ベッドを振り返り、そして飛び降ります。おそらくガールフレンドの家なのでしょう。茂みに隠した自転車を取り出し、街へ飛び出していきます。
夜明け前です。辺りはまだ暗く、シモンはひとり街灯に照らされた坂道を疾走していきます。途中でスケボーの友人が合流、もうひとりの友人とともに車で海に向かいます。
ウェットスーツに着替えた三人はサーフボードとともに波に向かって飛び込んでいきます。
サーフィンのシーンはチューブライディングのカットもあり結構美しいのですが、どことなく胸騒ぎを感じさせるような雰囲気があり、それがスカッとした太陽のない夜明け前のせいなのか、音楽(流れていたかどうかもわからないが…)のせいなのかはっきりはしませんが、この先の展開も知らずに見ていましたので、おそらく映画自体がそうした演出で作られていたんだろうと思います。台詞もほとんどなかった思います。
そして帰路、風力発電の風車がゆっくり回る田園風景を走る車をとらえたカットも美しいのですが、さすがに三人は疲れたのでしょう、(ベンチシートだと思う)助手席の友人と真ん中のシモンは眠りに落ちていきます。シモンはシートベルトをしていません。ハンドルを握る友人の瞼も次第に重くなり、そして事故。
車の中からの田園風景の一本道が、次第にこちらに向かってくる大きな波に変わっていき、波に車が突っ込んでいくことで事故を表現する演出もうまいです。
こうした流れを美しく感じるのは、シンプルでありながら、過不足のない編集が独特のリズムを生み出しているからではないかと思います。この事故の後、シーンは病院となり、すでにシモンは脳死状態であることが示されていきますが、事故の場面やどんな事故であったのか、また同乗の友人たちのことにはほとんど触れません。そうしたことが全く気にならないのです。
思い返せば同じようなことを「スザンヌ」でも感じていますので、ドラマチックな画を排した流れで、シンプルであり、かつ独特のリズムをもったこの流れがカテル・キレヴェレ監督の持ち味ではないかと思います。
で、この後の展開は、まずは前半、シモンの脳死状態を受けて両親が臓器移植を同意するまでを、移植コーディネーターのトマ(タハール・ラヒム)、医師、看護師、そして両親のそれぞれの思いを交錯させて描いていきます。
見終わってみれば、ああ、これは群像劇なんだなと分かるのですが、タハール・ラヒムも特別フィーチャーされているわけでもなく、たとえば、医師や看護師は(日本の)公式サイトに紹介もありませんが、おそらく医師は離婚しているのでしょう、朝出勤前に子どもを女性のもとに戻すようなカットがあったり、看護師は恋人との間に何か問題を抱えているようなシーンがあったりと、それぞれの登場人物がそれぞれに今生きているという感じで描かれています。
そして、後半、正直、え?何?どうなったの?と、若干の違和感を感じましたが、前半とは全く関わりのない、臓器移植を受ける側の家族が描かれることになります。
音楽家(と分かるまでには時間がかかりますが)のクレールと二人の息子がいます。夫のことが語られることはありませんので離婚しているか亡くなっているのでしょう。
この親子の異常とも思える親密さに何だろう?という感じは受けましたが、どうやら母は心臓の病で階段を上がるのも覚束なく、医師に移植しかないと宣告されています。ですので、特に兄の方はそんな母への思いも強そうでかなりピリピリ感が表現されており、また、これも後から分かるのですが、弟のほうがゲイらしいと母自身が語り、それが語られるシーンも実にうまく、母は以前同性愛の関係を持っていたピアニストのコンサートに久しぶりに出かけ、おそらく二人の間にはいろいろあったんだろうと想像させつつ、そうしたことは一切語られませんが、その二人の間で、母が「あの子はゲイのようだ」と語ることに対し、相手のピアニストに「それは上等ね」と答えさせています。
うまいですよね。
で、クレールは移植を受けることを決心し、シモンからの心臓の摘出、そしてクレールへの移植と、この臓器移植シーンはかなりリアルな感じがします。シモンの胸を切開し心臓を取り出すシーンを上からのカメラでとらえ、同様にクレールの胸を開いてシモンの心臓を移植するシーンは食い入るように見てしまいます。
手術は成功、後日ベットでゆっくり目を開けるクレールを上からのカメラで撮っています。クレールにかすかに笑みがもれたかと思うところでこのシーンは終わり、一転して、仕事を終えたコーディネータのトマがバイクを飛ばして(おそらく)家へ帰るカットで終わります。
印象に残るシーンはいくつもあるのですが、特に、ファーストシーンにあったシモンが窓から飛び降りてサーフィンに出かけるシーンを、途中、どこであったかは記憶にありませんが、シモンがベッドのガールフレンドをゆっくり振り返り飛び降りる様子をスローモーションで表現し、実際は眠っていたガールフレンドが両手で顔を覆って叫ぶカットを入れてシモンの死を表現していたのは心に残りました。
また、移植コーディネーターのトマが、シモンの心臓を取り出す最後の最後、医師に待ってくれと言い、シモンに(正確には記憶していませんが)「両親からの……」と両親との約束を果たすかのようにシモンに語りかけ、そっとシモンの耳にイヤフォーンをつけて音楽を流します。
いい映画でした。
おそらく群像劇をイメージしているんだろうと思います。また、裏テーマとしては母子の思いがあちこちに散りばめられています。
シモンと両親はもちろん、シモンの父親に移植をすすめるトマにかっとして「お前に子供はいるのか(違っているかも)」と言わせたり、医師の出勤前のシーンもそうですし、何にしてもクレール母子はそのテーマ以外にはありません。
ところで、「あさがくるまえに」の邦題は残念、原題の Réparer les vivants は「生きているものを癒やす(治す)」といった意味のようです。臓器移植のことでしょうか。