Vision

河瀬直美監督は本当に山(吉野)を見ているのか?

河瀬直美監督、とうとうスピリチュアルな世界へ行っちゃいましたね。

初期の自主制作と「殯の森」「」しか見ていませんので、さほど深い意味で言っているわけではありませんが、「殯の森」あたりではもう少し現実世界から何かを見ようとしている感じはありましたが、この映画では、逆にスピリチュアルな世界を現実世界に投影しようとしている感じがします。

少し批判的な言い方をすれば、自分の観念を表現するために森(山)を利用しようとしているようにもみえます。

監督:川瀬直美

公式サイト

ただ、前作「」の印象からすれば、 始まってしばらくは、え!? これ、河瀬直美監督の映画? と、かなり引き込まれて見ていました。

どういうことかと言いますと、私が見た映画で言えば、という限定付きですが、河瀬直美監督って、映画作りがあまりプロっぽくないですよね。これ、批判的に言っているわけではなく、それが河瀬直美監督の良さにも通じるのだと思いますが、この映画(の前半)は、かなりプロっぽい作りになっています。

特に編集がプロの技という感じを受けます。

撮影自体も特徴的ではあったのですが、クレジットを見ますと、百々新さんという方で「光」と同じですね。それを前提に思い返せば、確かに人物のカットにどアップが多いことや逆光の光の使い方は同じでした。かなり印象深かったのは、森の中のシーンのカメラ位置はほとんど地面じゃないかと思えるほど仰角のカットばかりで、かなり徹底しており、何か意図しているんでしょう。

ということで、前半は、そうした映像処理と物語の展開がかなり神秘的で、これは面白くなりそうと結構集中して見られました。

フランス人のエッセイスト ジャンヌ(ジュリエット・ビノシュ)が、Vision という薬草を求めて吉野の山奥を訪ねます。ジャンヌは、山守(吉野林業には山守という職業があるらしい)の智(永瀬正敏)と出会い、Vision を知らないかと尋ねますが、智は知りません。智は山奥の一軒家に犬のコウと暮らしています。ジャンヌは智の家に宿泊することになります。

山には、どういう存在かいまいちよくわからない女アキ(夏木マリ)がいます。アキは薬草に詳しいと紹介されており、家にはそれらしき草が吊り下げられ、Vision という薬草を知っているようでした。ただ、アキはジャンヌに、これはよもぎで、とか言っていただけでしたので、は? という感じは持ちましたが…(笑)。

先に書いておきますと、このあたりのツッコミがむちゃくちゃゆるい物語で、ジャンヌ自身もその薬草を真剣に探している風でもなく、その薬草自体も映画の後半になるとどこかへ飛んでしまいます。

さらに、アキは、ジャンヌを見て「来たか…」(みたいな台詞だった)などと相当に意味ありげなことを言っていましたので、このアキがキーになるのかな、などと思っていましたら、何と、このアキも後半どこかへ消えてしまいました(笑)。

ただ、消えたは消えたで、まあそれこそ千年生きている森の神の巫女かなとか思えばいいですけど、それですと、夏木マリさんではちょっと生気がありすぎますかね…。

という感じで、前半は、特別何かが起きるわけではなく、時々、ジャンヌのシーンに、この時点ではよくわからないフラッシュバックがかぶったり、ジャンヌと智が男女の関係になったりするだけだったと思います。それでも映画としてはもっていましたので、それがプロっぽい作りという意味なんですが、おそらく河瀬直美監督以外の「眼」が入っていますね。

で、なぜか、ジャンヌが一旦フランスへ帰ると言って帰ってしまいます。

正直、なんで? と思いましたけど、なぜ帰らせちゃったんでしょうね。だって、Vision を探しにわざわざフランスから吉野まできたんでしょ。何の手がかりも得ないで、それでも帰らなくちゃいけない用って何? 最初からその予定で来たってこと?

突っ込み過ぎですみません(笑)。

で、後半になるのですが、さすがに映像的にも前半と変わりませんので飽きてきますし、物語は物語で相当混乱してきます。

簡単に書きますと、秋になっていましたので数カ月後くらいでしょうか、智が山の中で倒れている若い男 鈴(岩田剛典)を見つけ一緒に暮らし始めます。ジャンヌがフランスから戻ってきます。アキは(前半にだったかな?)もういなくなっています。

犬のコウが死にます。あれ、なぜ死んだんでしたっけ? 

あと何がありましたっけ? ああ、素数です。は? とは思いますが、「997」です。千年に一番近い素数だから997なんでしょう。

この書き方じゃ、簡単にいきそうもありません。方針転換して、ずばりネタバレでいきます。

映画の冒頭、猟師の男(田中泯)が獲物(カモシカ?)を狙って鉄砲を撃ちます。男は驚きの表情を浮かべますがこのシーンはそれだけです。

後半になり、再びこのシーンがあり、カモシカ(として)が倒れる画と、男(森山未來)が倒れる画があります。このシーンの判断は難しいのですが、流れ弾にあたった現実の人間だったのか、あるいはカモシカ=男、つまり超自然的な存在だったのかよくわかりません。どちらにしても、そもそも辻褄のあった物語ではありません。

その男 岳(というらしい)には、子どもを宿した妻か恋人がいます。この女性もジュリエット・ビノシュがやっていますが、ジャンヌにはその自覚があるようには描かれていませんので、そもそも誰彼という限定のない超自然的な存在なのか、あるいはジャンヌが20年ほど前に実際に吉野にやってきているのかはわかりません。そもそもどっちでもいい話です。

で、岳は死んじゃっていますが、女性はひとりで山の中で子どもを産み落とします。それが鈴です。

で、ラスト、なぜだかよくわかりませんが、山が燃えます。その中でアキが踊っています。鈴もいましたっけ? 

それを智が見つめるシーンで終わります。(だったかな?)ジャンヌも見ていたかな?

こういう書き方でもだめでしたね。そもそも私が分かっていませんから無理ですね(笑)。

結局、こういう話は、辻褄が合ってしまえば、それこそ陳腐になってしまいますし、何となく感じることがあればそれでいいとは思いますが、ただ、問題なのは、この映画、そもそも「吉野」じゃなくてもいいんじゃないの? と思えることです。

ところどころで智やジャンヌに意味ありげな台詞を言わせてみたり、千年に関連させて唐突に素数の話を持ち出してみたり、おそらく、河瀬直美監督には、それなりになにかメッセージ的な思いがあるのでしょう。

それは、本当に「吉野」から感じていることですか? と問いたいですね。

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