才能を感じますね、「フランシス・ハ」のグレタ・ガーウィグに。
つくり手に才能を感じる映画ですね。
当然ながら、映画が監督ひとりの力でできているわけではありませんのでつくり手と書きましたが、多くはグレタ・ガーウィグ監督のセンスでしょう。
「フランシス・ハ」では、主役とともに脚本にも加わっており、もともとディレクション意識の強い方じゃないかと思います。
この映画でも脚本を書いており、おそらく自伝的なエピソードも入っているのでしょうが、物語の展開に隙きがなく、それでいて過剰さもなく、人物描写が的確で、シーンの少ない人物でさえ過不足なく描かれていることにも驚きますし、笑いやほろりとさせるセンスもほどほどで気持ちいいですね。
特に、映画のスピード感は見事で、この映画が、単に17歳から18歳にかけてのレディ・バードを描いているだけではなく、ある時点からその時代を思い返しているという感覚を見る者にもたらします。ですので、この映画を見ながら、自分もこんなことしていたなあとか、こんなこと考えていたなあなどと自らの青春を思い出す人も多いのではないかと思います。男女関係なく。
クリスティン(シアーシャ・ローナン)は、サクラメントのカトリック系の学校に通う17歳、自分の名前が気に入らず(クリスチャンを思わせるからかな?)レディ・バードを名乗っています。田舎町(と本人が思っている)を飛び出したいとの意味合いを込めてでしょう。大学進学を機にニューヨーク(東海岸)へ出たいと思っています。
家族は両親と兄、そして兄の恋人が同居しています。この兄カップルも面白い存在で、兄はヒスパニック系の顔立ちで鼻にピアスをして恋人とともにスーパーのレジ打ちをしています。この二人、登場シーンも少なく多くを語られているわけではないのですが、それでも何となく分かる人物で、この二人がいないとどこか収まりが悪くなるのではないかと思わせます。
父親は人のいい優しそうな人物で、映画の途中で失業します。うつ病を患っているとのことで一家にとっては大変なことでしょうが、レディ・バードの見た目なんでしょう、さほど大きくは扱われていません。
母親マリオン(ローリー・メトカーフ)は看護師で、金銭面でも精神面でも一家の大黒柱といった感じで、それゆえに、レディ・バードとはしょっちゅうぶつかります。この母親との関係が軸となって物語が進んでいきます。
冒頭のシーンが面白いですね。この映画を象徴しています。
レディ・バードとマリオンが車で走っています。音楽ではなく朗読が流れています。やがて朗読は終わり、ふたりは感動的だねなどと言葉をかわし涙を浮かべている風でもあります。カセットテープ『怒りの葡萄』が抜き取られ、レディ・バードが音楽をかけます。マリオンは、余韻に浸りたいから音楽を消してと言い、レディ・バードは従いつつも不満そうな顔をします。
大学の話となり、地元の大学への進学を勧めるマリオンに対し、ニューヨークなど東海岸へ行きたいと主張するレディ・バード、話は一気にヒートアップ、レディ・バードは走行中の車のドアを開けで飛び降ります。当然、骨折(で済んでよかった)です。
この冒頭のシーンだけで二人の関係がよくわかります。
といった感じで、レディ・バードの進学話と母娘関係を軸に、友情、恋愛、初体験、学校生活など、「青春」と聞いて思い浮かぶあれやこれやが、過ぎ去った青春の如きスピード感をもって描かれていきます。
学校行事恒例のミュージカルに出演したり、その時出会った男の子に一目惚れし、星空を見ながら夢を語り合ったり、親友と噂話に花を咲かせオナニーの話をし他愛のないおしゃべりで時間を潰し、ミュージカルの次はストレートプレイよと言われてもすでに興味は次のものに移り、ちょっと不良っぽいグループと親しくなり、親友と呼ぶ友も変わり、ミステリアスな男の子との初体験をしてみても心と体がどこかよそよそしく、ふと立ち止まってみれば、これは自分じゃないと気づき、再び元の親友のもとに戻り、母親には内緒で出した東海岸の大学からの合格通知を待つのです。
で、この映画、最初にセンスがいいと書きましたが、実は、このレディ・バード自体は、ややダサめの人物として描かれています。その微妙さが逆説的にセンスの良さに通じているということでして、ファッションにしても、音楽の趣味にしても、その突発的な行動パターンにしても、ちょっとだけずれて(いると描かれて)いて、それがビターな青春の味わいとなっているのだと思います。
そうしたところがこの映画の良さですので、それは見て感じるしかないものだと思います。
レディ・バードをやっているのはシアーシャ・ローナンさん、ティーンと言われますとちょっとどうかなと思いますが、圧倒的な演技力で補って余りあります。 「ブルックリン」のエイリシュですね。
映画の結末です。
レディ・バードは、かろうじてですが1校だけ合格通知をもらい、ニューヨーク行きを決心します。直前まで知らされなかった母親マリオンはショックを受け、その別れは言葉どころか目を合わすこともない寂しい別れとなります。
そして、ニューヨークのレディ・バード、寮(だと思う)で荷物を紐解きますと、幾枚もの手紙が入っています。マリオンからの手紙です。ただ、それはマリオンが書いては丸め、書いては丸めて、結局レディ・バードには渡せなかったものを父親がこそっと拾って入れたものなのです。
(シチュエーションはよくわからなかったが)レディ・バードはバーで飲んでいます。隣の男に話しかけ、自らを「クリスティン」と名乗ります。そして、飲み過ぎでぶっ倒れます。
ニューヨークの街を歩くレディ・バード、ふと目にした教会へ入ります。
サクラメントの街並みを思い浮かべながら(映像が映し出され)電話をします。
留守番電話に母親マリオンへの感謝のメッセージを残します。
言葉にしますとややベタですが、さらりと描かれており、とても気持ちよく終わっています。
このグレタ・ガーウィグ(監督)さんの才能を感じながら、私はミランダ・ジュライ(監督)さんを思い出していました。単にその才能豊かさの傾向が似ていると感じたからですが、実は、グレタ・ガーウィグさんの出演作「20センチュリー・ウーマン」の監督マイク・ミルズさんの妻はミランダ・ジュライさんなんです。別に意味はありませんが…(笑)。