反戦、反権力かと思いきやアメリカ賛美の映画かなあ…?
最近は「6才のボクが、大人になるまで。」が代表作に挙げられることが多いようですが、私には、やはり「ビフォアー・サンライズ」の枕詞がしっくりくるリチャード・リンクレイター監督です。ウィキペディアを見てみますと他にもたくさん撮っているようですが、タイトルにさえ記憶がなく、自分自身ちょっとびっくり。
「ビフォアーシリーズ」は(徹底した)男女の会話劇ですので、あまり監督の政治的指向性や社会的な意識は出てこず、その映画の作りにすごいなあ!などと、かなり感動して見てきたんですが、「6才のボクが、大人になるまで。」では、え!?こういう意識の人なの?と、やや引いてしまったリンクレイター監督です。
この映画では、さらにそれが進行し、ええ!これって単純なアメリカ賛美じゃないの!?と、それに相当無神経だなあとびっくりしました。
どういうことかと言いますと、テーマ的に言えば、国家の理不尽な振る舞いを批判しつつも最後には受け入れてしまうという話ですし、その受け入れ方にしても抵抗して屈服するのではなく容認するわけですし、神の存在非存在にしても、散々悪たれ口をたたきながら最後はアメリカ的良心のもとに有耶無耶にしてしまうという話です。
得意(であろう)の会話劇にしても、3人のやり取りに緊張感がなく、いわゆるバカ話の類で、「ビフォアーシリーズ」のような言葉の積み重ねで物語を生み出していくような創造性は全くありません。
かなり厳しい書き始めになってしまいました(笑)。
ウィキペディアから仕入れた情報ですが、この映画にはダリル・ポニクサンという小説家の『Last Flag Flying』(2005)という原作があり、1973年の映画「さらば冬のかもめ」の原作である『The Last Detail』(1970)の続編になっているということらしいです。ただ、映画は続編として描かれているわけではなく、ダリル・ポニクサン自身が脚本に加わって書き替えているようです。
ある男が30年ぶりに戦友を訪ねていき、息子が戦死し遺体を引き取りに行くので同行してほしいと頼みに行くところから始まる物語で、一体いつの戦争の戦友で、息子はどこで戦死したのかと思いましたら、そもそも映画の時代が2003年で、戦友というのはベトナム戦争のことで、息子は9.11後のイラク戦争で戦死したという話です。
なぜ15年も前の時代設定の話をそのまま映画にしたんでしょうね。
まあそれはともかく、ドク(スティーヴ・カレル)が、サル(ブライアン・クランストン)とミューラー(ローレンス・フィッシュバーン)を30年ぶりに訪ねます。3人はベトナム戦争での戦友で、年齢的にはドクが新兵だったような年齢差の印象です。
現在のサルはとても儲かっているとは思えない自分のバーを持っており、ミューラーは牧師になっています。
3人の間には、戦争時に何かがあったらしく、そのことでドクは何年か服役していたようです。ミューラーはそのことを悔いて牧師になったと言っています。サルは相変わらず自由気ままにいきているという設定です。
また、ちょっとばかり言いたくなってきました(笑)。そもそもこの設定とその後の展開にすごい違和感があります。
ベトナムで何があったかについて、そもそも映画はそのことをあまり重要視しているようには見えなく、最後まではっきりとは語られませんが、結局、こういうことのようです。
ベトナムでは、3人ともに相当羽目をはずしていた(という印象の会話が続く)らしく、医療用のモルヒネをドラッグ代わりに使っていたようで、ある時、戦友が負傷したのでしょう、苦しんでモルヒネが必要な時に足りなくなってしまったのではないかと思います。その責任を追求され、ドクが責任をかぶって服役したということだと思います。
これが正しいという前提の話ですが、もしそうなら、普通、その3人が30年ぶりに会うとすれば、わだかまりなく会えるはずはなく、ましてや、ミューラーは過去の行いを悔いて牧師になったと言っているわけですから、あんな脳天気に神がどうのこうのと話せるわけはありません(と、私は思うんですけどね…)。
サルにしても、さらに輪をかけたような能天気さでバカ話に興じて、過去を悔いるようなことが全く無いように描かれており、つまり、原作者も監督もどういう価値観を持ってこれらの人物を描いているのだと、私は思うんですけどね…。
ただ、ひとこと補足しておきますと、サルをやっているブライアン・クランストンの表情にそうした意識を読み取れなくもないのですが、映画のつくりとしては、3人の悔恨のようなものに意識はいっていないということです。
ですので、そもそもドクは何を目的に30年も会っていない過去の2人、つまり、自分を陥れた(かもしれない)2人に息子の戦死を知らせにいったのかと不思議でなりません。
まあ普通、これを題材に映画にするとすれば復讐でしょうが、この映画はそっちへは行きません。ドクは最後までただただ息子の死に打ちひしがれた人物として描かれています。
ドクの息子の遺体が空軍基地に移送されてきます。ドクは軍の上官から、息子は英雄として勇敢に戦い亡くなったと告げられ、遺体の損傷が激しいので見ないほうがいいと言われます。
サルは見るべきだと主張します。なぜサルが強硬に主張したのかはよくわかりませんが、とにかく、ドクは遺体と対面し、顔がないと嘆き悲しみます。
上官は勇敢に戦った英雄はアーリントン国立墓地に埋葬されると告げますが、実は、ドクの息子は、その日たまたま仲間内の買物担当だったらしく、買物中に商店で後ろから撃たれたということがわかります。
つまり、国家は戦死者は常に英雄であれねばならないという価値観で動いているということであり、どんな死に方をしても英雄として扱い、それにより国家への忠誠心を植え付けようとするということです。
ドクは、軍の意向に抵抗し、息子には軍服ではなく背広を着せて妻の隣に埋葬する、遺体も自分で運ぶと主張します。
ここからほぼラストまでは、3人と遺体、そして死の真相を話してくれた兵士のロードムービー(風)になります。
映画の半分くらいを占めるこの部分が、正直つまらないです(ペコリ)。
3人のキャラクターがパターンなんです。すべてサルのバカ話が中心です。それに対して聖職者のミューラーは顔をしかめつつ親しさで顔を緩めたりします。ドクは悲しみに耐えつつも時に笑顔を見せたりします。
ほぼ、我々が旧友と会って、昔はこんなことがあった、こんな馬鹿なことをしたと昔話に花を咲かせるのと同じです。
ここでもひとついっておきたいことがあります。
私が会話の内容を取り違えていなければですが、ベトナムのディズニーランドと称して、いわゆる従軍慰安婦的なものであるのか現地の売春宿的なものであるのかはわかりませんが、その手の話をするくだりはどうなんでしょうね。
もちろん映画ですし、実際そうしたことがあったのであればそうした会話自体にどうこう言うつもりはありませんが、映画的扱いとしては、まるで罪悪感の感じられないバカ話にみえましたし、さらに言えば侮辱的にもみえました(涙)。
捉え方という面もありますが、「地獄の黙示録」的ベトナム戦争観でいけば、モルヒネをドラッグ代わりに使うのは厭戦気分としか考えられず、そうであるなら、それを癒やすためであったとは言え、強制的かもしれない性的行為をああした会話でバカ話にしたり、さらに言えば、モルヒネの件についても、自分たちの行為が人の死をもたらし、そしてまた、その責任をひとりに押し付けて30年生きながらえてきたのであれば、普通はその罪悪感こそが映画の題材とされるべきではないかと思います。
って、全く余計ですね…。
なんとか良い方へ話をもっていこうと思っても、こりゃだめですね(笑)。
ロードムービー仕立ての中に、モルヒネがなく苦しんで亡くなった戦友の家族を訪ねるシーンがあります。真相を打ち明けて(多分)謝罪しようとしたのでしょう。でも、結局、本当のことは言えず、勇敢な最期でしたと言い残していきます。
ということで、ラスト、自宅に戻ったドクは、結局、息子に軍(海兵隊の?)の正装ブルードレス(というらしい)を着せて妻の隣に埋葬します。サルとミューラーの2人が正装して埋葬します。棺にかけられていた星条旗を三角に折りたたみドクに手渡します。
ドクは、息子が同僚に託した遺書を受け取ります。そこには、「僕を軍服姿で埋葬してほしい」と書かれていたのです。
ん…、常に戦争をしてきている国の悲哀ということかとも思いますが、どうなんでしょうね。結局、アメリカ(自国)賛美の映画にしか見えませんけどね…。
「last flag flying」ですからね…。
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