アウシュヴィッツのチャンピオン

絶滅収容所を生き延びた実在のポーランド人ボクサーの3年間

アウシュヴィッツへ最初に大量輸送された囚人のひとりでありながら戦後まで生き延びたポーランド人ボクサー、タデウシュ・ピエトシコフスキさんの物語です。1991年に74歳で亡くなっています。

アウシュヴィッツのチャンピオン / 監督:マチェイ・バルチェフスキ

タデウシュ・“テディ”・ピトロシュコスキ

タデウシュ・ピトロシュコスキ、愛称テディ、ウィキペディアにもかなり詳細に経歴が記載されている方です。

映画はアウシュヴィッツに収容された3年間ぐらいを描いていますが、収容所の描写や囚人としての行動がこれまで見てきた絶滅収容所の映画とは随分違う印象でした。容赦ない殺戮の様や囚人たちの飢餓状態の描写はあるのですが、一方では囚人たちがかなり自由に行動しているシーンもあり、それが意図したものなのか、あまり深く考えられていないのか(ペコリ)、迷うような映画です。テディがポーランド人ということもあるのかもしれません。

テディはボクサーであり、1937年、20歳のときにバンタム級のワルシャワチャンピオンになっています。映画ではその試合を見た囚人の少年が、あなたはテディか!と驚きの表情を見せることで描かれていました。

ウィキペディアに当時の写真がありました。

Tadeusz Pietrzykowski
Anonymous, Public domain, via Wikimedia Commons

映画は、なぜポーランド人のテディがアウシュヴィッツに送られることになったかを語っていません。テディは、1939年のドイツのポーランド侵攻後にポーランド軍に入隊し、ポーランド敗北後にフランスで結成されたポーランド軍(亡命ポーランド軍みたいなものか?)に加わろうとフランスへの移動中にハンガリーでドイツ軍に拘束され、通常の刑務所への収容を経て、1940年6月14日にアウシュヴィッツに移送されたとのことです。

映画ではほぼボクシングを軸に描いていますが、ウィキペディアには、テディはアウシュヴィッツのレジスタンス組織ZOWの一員としてヴィトルト・ピレツキの下で活動をしていたとあります。感傷的なドラマよりもこのことを含めたほうがよかったかもしれませんね。

絶滅収容所のシーンは断片的

テディ(ピョートル・グウォヴァツキ)がアウシュヴィッツに収容されたところから映画は始まります。囚人番号77です。

囚人たちは強制労働に従事しています。囚人たちを監視したり残虐行為をするのはドイツ兵ではなく一般人の服装をしていましたがどういう人たちだったのでしょう。ドイツの将校は暴力行為というよりもなんの気配も見せずいきなり射殺するという非道さをみせています。

ウォルターという人物がテディに近づいてきます。ウォルターも囚人番号をつけていましたが、自由に行動していましたのでその立場がよくわかりません。ドイツ軍は絶滅収容所にゾンダーコマンドという死体処理をしたりする役割の囚人を置いていたようですが、そうじゃないにしても近い意味合いの存在だったのかもしれません。カンヌでグランプリを受賞した「サウルの息子」がゾンダーコマンドを描いた映画でした。

ただ、この映画では絶滅収容所での大量虐殺はテディやウォルターたちとは別のもののように描かれています。ユダヤ人がガス室で虐殺されるシーンも描かれますが、テディたちにそうした可能性があるようには描かれていません。ユダヤ人たちは私服のままガス室に向かい、服を脱いで中に入ってシャワーを浴びろと言われて入っていくシーンが2、3シーン描かれます。

とにかく、この映画はそうした大量虐殺に関するシーンは断片的に描かれるだけで、基本はテディがボクシングによって生き延びていくところを見せている映画です。

ボクシングは収容所の娯楽

ウォルターもボクサーだったらしくテディに挑んで敗れ、それを機にドイツ軍将校にテディに試合をさせたらどうかと話を持ちかけていました。やはり立場がよくわからない行動ですが、とにかくそれ以降ウォルターはテディをかばうような立ち位置になり、試合ではレフリーをつとめていました。

ドイツ軍の将校たちは兵士たちにも娯楽が必要だとボクシングの試合を認めます。試合は2、3試合描かれており、テディが相手のパンチをかわすさまなど違和感なくいい動きをしていました。ウィキペディアによれば40〜60試合戦ったとあります。試合数に幅があるのはそもそも記録がないのでしょう。いずれにしてもテディは勝利し続け、その報酬としてパンを得て囚人たちに分け与えます。

試合の相手などは割と史実を使っているようですが、それ以外のドラマ部分は映画の創作でしょう。そのひとつが最初にテディをボクサーだと気づいた少年で、テディはその少年を大切に思い、食べ物を分け与えたり、肺炎になれば薬を手に入れてきたりします。その少年が囚人の少女に恋心を持ち、そして少女がガス室に送られ(だったと思う)、少年も射殺されてしまうという惨劇が起きます。

また、ドイツ軍の将校のひとりの家族が割と大きく扱われており、その息子がチフスで亡くなるとか、テディが懲罰で屋外に吊り下げられているのを助けたりと、ちょっと全体の流れの中にうまく収まらないシーンとなっています。何かがカットされているのか、そもそもうまく収められなかったか、そんな感じのシーンでした。

ラストはこれも史実のようですが、1943年3月にノイエンガンメ強制収容所の所長(かそれ相応の人物)の求めに応じて移送されていきます。映画ではその場でテディの試合を見て移送を求めたように描かれていましたが、実際はもっと以前に見ているようです。ノイエンガンメ強制収容所は絶滅収容所ではありませんが同様の殺戮はかなりあったようです。

そして、戦後、生き延びたテディが子どもたちにボクシングを教えるシーンで終わります。テーブルの上には収容所の少年が少女に贈り、少女と一緒に焼却され焼け残った天使の像が置かれています。

PLATOという新技術

ところでこの映画にはPLATOという新技術が使われて英語バージョンが制作されたそうです。

オリジナルはポーランド語とドイツ語ですが、それを英語版にする際に単純な吹き替えではなく、俳優本人が英語を話しているように画像処理をする技術らしいです。

イスラエルの「adapt entertainment」というところが開発した技術です。

リンク先にこの映画の一部シーンの英語版があります。俳優自身が英語の台詞を別録りし、そのセリフに合わせて口付近の動きを映像処理する技術のようです。英語とドイツ語は同じ系統の言語ですから多分うまくいくでしょう。ラテン語系まで広げられるか、さらに日本語や中国語、アラビア語までいくかどうかですが、それよりも日本の場合、それまで世界に通用する実写の映画が残っているかのほうが心配です(涙)。