バトル・オブ・ザ・セクシーズ

世界はすべてを許すわけではないけれど、いつか人が人を自由に愛せる時代はやってくる

予告編を見る度に、妙に古臭いビジュアルやねぇとか、腹の出たおっさんがテニスプレーヤー? などと、やや茶化したくなるような気分を感じていたのですが、ほぼ実話だったようで、ごめんなさいでした。

それに面白かったです。

公式サイト / 監督:ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス

あまりテニスに興味がない私でもなんとなく「キング夫人」の名は知っており、もちろんそれはその強さにあったのでしょうが、あるいはこうした女性地位向上のための闘いが報じられていたかもしれません。なにせ、この「Battle of the Sexes」があった1973年といえば、日本でもウーマン・リブの時代でしたから。

あらためて、「ビリー・ジーン・キング」や「バトル・オブ・セクシーズ」などでググってみますと、この映画、かなり史実に則って作られているようで、主要な登場人物は皆実在のようです。

それに映像もかなり残っているようです。下の動画にあるように、ビリー・ジーンが神輿のようなものに担がれて登場するシーンや相手のボビー・リッグスが Sugar Daddy の広告塔になっているシーンなど、そのまんまです。


Billie Jean King: The Battle of the Sexes NHD Documentary Senior Division

映画は、ビリー・ジーン(エマ・ストーン)が全米テニス協会会長のジャック・クレーマー(ビル・プルマン)に対して、女子の優勝賞金が男子の1/8しかないことを抗議するシーンから始まります。

ジャックは、なんて言っていましたっけ? 「男子の方が客が呼べる」とか「男は家庭を養っている」とか、そんな感じのことだったと思いますが、対して、ビリー・ジーンが「集客力は変わらない」「私も家庭を養っている」と反論するも、鼻であしらうような態度で相手にしようとしません。

ビリー・ジーンは協会からの脱退し、自ら女子ツアーを立ち上げると宣言します。

実際はそう簡単ではなかったとは思いますが、映画ですからとんとんとんと話は進み、友人のジャーナリスト(らしい)グラディス・ヘルドマン(サラ・シルバーマン)がタバコメーカーのフィリップ・モリス社をスポンサーにつけることに成功し、女子ツアーが実現します。

このあたりの実際の経緯については、日本語の記事ということもあるのでしょう、いくつか読んでもあまりはっきりしたことはわからないのですが、当初9人でツアーを始めたことや契約金が1ドルであったことなど、映画で描かれていたエピソードは事実であったらしく、こうした流れが女子テニス協会(WTA)へとつながっていったようです。

とにかく、映画はエンターテイメント性に重きが置かれていますので苦労話のようなことは(あったとすれば)一切省略されており、映画の軸となっているのは、テニスを通した女性の地位向上の闘いと、ビリー・ジーンが、自分がレズビアンであることを自覚していくことを通して、人が自由であることの意味を問うていくことです。

実際のビリー・ジーンさんもそうだったと思いますが、映画の中のビリー・ジーンも実に強い人物として描かれており、それをエマ・ストーンさんが実にうまく演じています。演じる役が実在の人物で、なおかつ今もお元気な方であり、さらに大統領自由勲章も受章しているというのはかなりプレッシャーもかかったのではと思いますが、力の入ったところを感じさせず、実像にかなり迫っているのではと思わせ、さらに俳優としての色気も感じさせてとても良かったです。

そのビリー・ジーンさんに相対するのが、スティーブ・カレルさん演じるボビー・リッグス、こちらの実像はよくわかりませんが、引退後(?)のこの時、ビリー・ジーン29歳に対して55歳、映画の中では、裕福な妻に劣等感を持ち、ギャンブル依存症として描かれています。ビリー・ジーンに男女対抗試合を申し込むのも、妻を見返したいことが一番の理由であり、自らを「男性至上主義のブタ」と名乗ったりするのも、ある種自虐的であり、道化を自認していたのでしょう。

ビリー・ジーンもそうしたこと、つまりその試合自体が見世物であり、またボビー・リッグスは道化であり、本当の敵はその後ろにいる全米テニス協会会長のジャック・クレーマーに代表される本物の「male chauvinist pig」たちだと見抜いています。

試合の直前、ジャックが試合の解説を担当することを知ったビリー・ジーンは、ジャックが降りなければ自分が降りるとまで言い、断固としてジャックの解説を拒否します。ジャックが解説をすれば、試合自体を冷笑し、仮にビリー・ジーンが勝ったとしても茶化されて終わってしまうことを恐れたんだと思います。

そして試合、ビリー・ジーンは試合会場への登場のために用意された件のおちゃらけた御輿のようなものを見て、一瞬鼻で笑うような表情を見せ、それでもその神輿に乗り、ボビー・リッグスとの対決に向かうのです。

エマ・ストーンのこの表情、いいですね。闘いは終わりなく続くにしても、もう勝っています。

で、試合は3セット連取でビリー・ジーンの勝利に終わるのですが、実際の試合もつまらないものだったらしく、映画でも逆転につぐ逆転などという作り話を入れることもできず、さらりと終わっています。

もともと過剰に盛り上げようなどとの意図はなかったでしょうし、その試合後に、ビリー・ジーンとボビー・リッグスがそれぞれ自分の控室でひとりぽつんとイスに座り、ある種の孤独を感じさせるシーンを入れていたのは、とても印象的で映画も引き締まってよかったです。

ビリー・ジーンの思いは、おそらくプレッシャーからの開放とともに、夫とマリリン・バーネット(アンドレア・ライズブロー)の間で揺れ動く自分の気持ちがいまだ整理できずにいることからの苦悶だったのでしょう。

ビリー・ジーンは、自分たちの女子ツアーを立ち上げる過程で美容師のマリリンと出会います。もともと夫との結婚後も自分が女性への愛を感じることに悩んでいたらしく、事実はどうかはわかりませんが、テニスに関して一歩踏み出したことがすべての面で変わり始めるきっかけになったのでしょう、マリリンとの間で恋愛感情を育むことになります。

いくらウーマン・リブの時代とは言え、かなり大変だったのではないかと思いますが、その後ビリー・ジーンがカミングアウトしたのがふたりの間の悲劇的な結末に関わることからというのも実に切ない話です。

このふたりの関係が映画のもうひとつの軸となっており、実在かどうかはわかりませんが、ゲイ(らしき)衣装デザイナーの存在を置くことでうまい具合に時代性、まあつまり、同性愛にしても男社会ですのでゲイ先行ということなんですが、特にスポーツの世界は保守的でしょうし、仮にビリー・ジーンがレズビアンであることが公になってしまえばスポンサーも逃してしまうこともあり、ビリー・ジーンの揺れる気持ちに対して、そのデザイナーに「世界はすべてを許すわけではない」と言わせたり、勝利の後、二人を抱擁させ、「いつか自由に人を愛せるようになるさ」と言わせたりと、ある意味、女性が差別されることなく、また性的少数者が差別を含め特別視されることのない自由な世界への希求としてふたつをうまく昇華させて映画は終わっています。

監督は、「リトル・ミス・サンシャイン」のジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス、あまり映画は撮っていないようで、主にミュージックビデオで活躍している夫婦ということです。61歳と59歳、映画を見る限り若いのかなと思いますが、そこそこの年齢ですね。

いろいろ意見が出そうな実話をとてもうまくバランスよくまとめた映画だと思います。