リアル・ペイン〜心の旅〜

心に本当の痛みを抱えた厄介なやつ…

ジェシー・アイゼンバーグさん、2022年の「僕らの世界が交わるまで(When You Finish Saving the World)」に続く監督作2作目です。その前作のレビューには「いずれ大作を撮ることになる予感がします」なんて書いており、この「リアル・ペイン」は大作というわけではありませんが、やはり映画センスの良さが感じられます。

リアル・ペイン〜心の旅〜 / 監督:ジェシー・アイゼンバーグ

アイゼンバーグさんのセルフポートレート…

ただ、物語的にはツッコミ不足で物足りなく感じるところが多いです。そのあたりちょっと気になりましたので本人のインタビュー記事をいろいろ読んでみたんですが、どうやらそれも意図するところであり、結局この映画はアイゼンバーグさん自身のセルフポートレートのようなものじゃないかと思います。

つまり、デヴィッドとベンジーはアイゼンバーグさん自身の相反する2つの心の内であり、二人の諍いはその葛藤の現れということです。シナリオもアイゼンバーグさんのものです。

物語はユダヤ系アメリカ人の従兄弟デヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジー(キーラン・カルキン)が亡くなった祖母の生まれ育った生家を訪ねようとポーランドを旅する話です。祖母がホロコーストサバイバーであったことから二人はホロコーストツアーに参加しながら祖母の生家に向かいます。祖母がこの旅のためにお金を残してくれたと言っていました。

映画のポイントはベンジーがかなり情緒不安定で場の空気を読むことをしませんので、ツアー参加者の中に気まずい空気が生まれ、それに対してデヴィッドがフォローしたり咎めたりするというところです。

結果としてはキーラン・カルキンさんの演技とジェシー・アイゼンバーグさんとの掛け合いによって見られる映画になってはいるのですが、そもそものベンジーの情緒不安定さがなにゆえなのかがはっきりしていません。生来のものなのか、あるいは祖母の死や祖母がホロコーストサバイバーであること関連があるのかといったことが曖昧すぎるということです。だってベンジーは半年前に自殺未遂を起こしている設定です。祖母の死やホロコーストへの深い思いがあるにしても一般的には自殺とは結びつかないです。ですのでそこをある程度明確にしておかないとデヴィッドとベンジーの対立の意味も単に性格の違いにしか見えなくなり、ひいてはアイゼンバーグさんの内なる葛藤もよくわからなくなるということです。

ホロコーストもやりすぎると搾取になる…

ウィキペディアによりますと、当初はアイゼンバーグさん自身がベンジーを演じようと考えていたらしくもう少し違ったものがイメージされていたんじゃないかという気がします。

アイゼンバーグさんはホロコーストを描くことにかなり敏感になっているらしく、やりすぎると搾取することになる( it’s so exploitative when they overdo it.)とも語っています。マイダネク(ルブリン強制収容所)のシーンでは一切音楽やコメントも入れずに見せるだけでにしているのもそうした意識の現れでしょう。

アイゼンバークさん自身のルーツがユダヤ系ポーランド人であり、SCREENDAILYのインタビュー記事によれば、映画の祖母のモデルは1938年にアメリカに移住し3年前に107歳で亡くなったアイゼンバーグさんの大叔母ドリスさんとポーランドに残った家族のうち唯一の生き残りである従姉妹(ドリスさんの?…)のマリアさん(本人がホロコーストサバイバーかどうかはわからないが…)の二人を合わせたものということです。

アイゼンバーグさんは2007年に実際にポーランドを訪れてマリアさんにも会っており、映画の中で二人が訪ねる家は実際にマリアさんの生家だそうです。

ところで、アイゼンバーグさんはポーランド国籍を取得するための申請を出しているそうです。それだけ自分のルーツに思いが深いということでしょう。申請は一昨年のことらしくもう許可も下りているかもしれません。

最初と最後、ベンジーの顔の表情の変化…

映画はデヴィッド(ジェシー・アイゼンバーグ)とベンジー(キーラン・カルキン)がニューヨークの空港を飛び立ち、そして再びそこに降り立つまでを描いており、最初と最後のシーンはともに空港の待合室に座り行き交う人々を観察するベンジーの姿になっています。

最初のシーンをそうだと思って見ていませんのではっきりした記憶はありませんが、おそらくベンジーの顔の表情が変わっていたんだろうと思います。憂鬱さが消えて穏やかな顔にということです。

ポーランドへの旅は性格も価値観も違う二人がちょっとだけ相手を近くに感じることになる旅であり、特にベンジーには重荷に感じていることをちょっとだけ下ろすことになる旅ということです。ただ、繰り返しになりますが、何が重荷であったのかがはっきりしませんので表情の変化の印象は薄いです。

デヴィッドはネット広告を扱う仕事し、妻も子どももいる一般的に堅実な生き方と言われる人物です。ただ後にわかるのはそうした生き方をするために日々本心を抑え込んでいるようです。ベンジーの方の生活背景は語られませんが、常に本音を語る人物で、時にそれが爆発的に出てしまいますので周りに混乱が生じることになります。なにか心に重荷を抱えているようで感情の起伏が激しく情緒不安定にみえます。

そんな二人がポーランドでホロコーストツアーに参加します。他の参加者はごく一般的な旅行者である老夫婦、最近離婚したという壮年女性、ルワンダジェノサイドを生き延びてユダヤ教に改宗した青年、そしてツアーガイドはホロコーストを学術的意味で研究対象としているイギリス人です。

ツアーはゲットー英雄記念碑、そしてワルシャワ蜂起記念碑へと移動します。ベンジーはゆく先々で正論ではあるが時代の変化や社会的関係性を考慮しない考えをぶちまけます。

Warsaw Uprising MonumentPawełMM, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

ここではベンジーが記念碑の戦う人物たちの前で同じようなポーズをして写真を撮ろうとし、さらにハイテンションでツアーの参加者たちをも巻き込むことになり、常識人を決め込むデヴィッドが置いてけぼりを食うシーンです。

ルブリンへ向かう列車では、ホロコーストツアーの自分たちが1等車に乗っていることにベンジーが違和感を唱え始め、それを皆にもぶつけますので車内は険悪な空気になり、ベンジーは出ていってしまいます。結局デヴィッドは皆に謝罪しその後を追うことになります。

ルブリンのユダヤ人墓地では、ツアーガイドがお決まりの解説を無感情に滔々と述べることにベンジーが腹を立てます。ベンジーにしてみればそんなことはわかっているから静かに追悼しようということでしょう。デヴィッドがそれを汲み、ユダヤ教の習慣に倣い皆で石を置こうと提案し場の空気を鎮めます。

その日のディナーではまたもベンジーが贅沢な食卓をきっかけにして悪態をつき始め席を立ってしまいます。デヴィッドは謝罪の意味を込めて自分たちと祖母のことやベンジーが睡眠薬を過剰摂取して自殺を図ったことを皆に話します。

静寂のマイダネクとあっけない最終目的地の意味…

二人にとってのツアー最終日はマイダネク(ルブリン強制収容所)訪問です。すでに書きましたがここでは音楽も台詞もなく収容所そのものを見せていました。ただ一言ツアーガイドがガス室の壁一面の青色のシミは殺害に使われたチクロンBによるものだと述べます。

ツアーグループと別れた二人は祖母の生家へ向かいます。二人はその家を感慨深げに眺め、その玄関にユダヤ教の習慣に倣って石を置こうとします。それを見ていた向かいの家の住人が高齢の住人が住んでおりつまずくといけないから置くなと言います。二人はその石をポケットに入れて持ち帰ります。

映画的にはかなりあっけない最終目的地なんですが、アイゼンバーグさんにとってはその地に来たということに大きな意味があるのでしょう。

そしてニューヨークに戻った二人、別れ際、デヴィッドがいきなりベンジーの頬をひっぱたきます。驚くベンジー。デヴィッドは、ベンジーが祖母から平手打ちにされたことがありそのことで目が冷め謙虚になったと話していたことを思い出したからです。それに気づいたからでしょう、ベンジーが笑顔になります。

デヴィッドは自宅に戻り、ポケットから石を取り出し玄関先に置きます。子どもと妻が出迎え3人は熱く抱擁を交わします。

ベンジーは空港の待合室に座り旅行者たちを眺めています。

アイゼンバーグさん、いずれ大作を撮ることになるかもしれないと思いましたが、大作であるかどうかよりも心に残る名作を撮ることになるような気がします。