僕らの世界が交わるまで

ジェシー・アイゼンバーグ初脚本監督作品、世代間ギャップが母子関係でシンプルに描かれている…

ゾンビランド」「ゾンビランド ダブルタップ」のジェシー・アイゼンバーグさんも、はや40歳、この映画の脚本監督です。

本当は「イカとクジラ」の、と書こうと思ったのですが、この映画のプロデューサーにエマ・ストーンさんの名前を見たために「ゾンビランド」になりました。ふたりはそのシリーズで共演して仲良くなったらしいです。この映画の制作はエマ・ストーンさんの制作会社「フルート・ツリー」です。

僕らの世界が交わるまで / 監督:ジェシー・アイゼンバーグ

世代間ギャップ、母と息子…

世代間ギャップが母と息子の関係の中でとてもシンプルに描かれています。やたら劇伴が多いことが気になりましたが、全体としてはうまくまとまっていますし、テーマとしても結論を出さずいい感じで終えています。

この映画のベースとなっているのは、ジェシー・アイゼンバーグさんが2020年に Amazon のオーディオブック audible で発表したオリジナルドラマ「When You Finish Saving the World」とのことです。映画の原題も同じで、直訳しますと「世界を救い終えたときに」となり、映画の内容的にはちょっと違和感があったのですが、オーディオブックの方のプロットを読みますと何となくわかるような気がします。三人家族の話で、男女に子どもが生まれてからの10年くらいの話のようです。

映画では息子ジギー(フィン・ウォルフハード)は17歳、音楽に才能を発揮し、自作の曲のライブ配信で世界中に2万人のフォロワーがいます。母エヴリン(ジュリアン・ムーア)は DV被害者のシェルターを運営(立場はわからない…)しています。

すでに母と息子の間には溝が出来ている状態から始まります。後にジギーが子どものころはこうだったという話が出てきますが、なにゆえ溝が出来たのかといったところまでは迫れていません。ですので映画として小品の印象ではあります。時間も88分と短いです。

それにアメリカ映画という感じが強くします。うまくいかない人間関係が描かれていても、基本その関係はクリアです。良くも悪くもです。

家庭内は逆家父長制家族か…

エヴリンが仕事から帰りますと、ジギーが自室でライブ配信をしています。当然音が漏れてきますので、エヴリンはジギーの部屋をノックして入ろうとします。ジギーは配信を終えた後、そのことに腹を立て、ママ! ライブ配信中に部屋に入ったよね! 入ったよね! と責め立てます。

このディスコミュニケーション状態は今日に始まったことはないという意味合いでしょう。

これを機にジギーは自室の前にオンエアーランプ(のようなもの…)を取り付けます。父親も登場しますが、ふたりの間に入ることはありませんし、そもそもこの三人にはハグもなければキスもありません。父親はもう引退しているのか、今日はなになにを作ったよと言って帰りを待っていたりします。一度、自分の記念すべき日(何かの表彰みたいなもの?…)をふたりが忘れていたことで怒って自室に引っ込んでしまっていました。

家庭内は逆家父長制家族を描いているのかも知れません。

ただ、映画が描いてるのはその家庭内のことではなく、ジギーの方は同級生で気になっている女の子ライラ(アリーシャ・ボー)とのこと、そしてエヴリンの方は母親とともにシェルターにやって来たカイルというジギーと同い年の男の子とのことです。

ジギーとエヴリンはラストシーンまですれ違いのままいきます。

ジギーとライラ…

ジギーはライラと親しくなろうと積極的に話しかけます。ライラは友人たちと社会にある理不尽なこと、差別や抑圧や戦争について話をしています。ジギーが自分もそう思うと言います。どういうところに? と隣の男の子に問い返されます。ジギーは困りながらも自分には2万人のフォロワーがいると自慢します。誰でもわかることですので映画としてはっきり示してはいませんが、ライラたちに呆れられるということです。

同じようなシーンで、同世代のポリティカルな集会にライラが参加しているからということでジギーも参加して自作の歌を歌います。このシーンでもその反応のシーンはありませんが、一緒に行った友人に引かれていたねと言われていました。

この集会でライラはマーシャル諸島の歴史を詩にしたものを朗読します。マーシャル諸島は今は独立国ですが、スペイン、ドイツ、日本、アメリカに支配されてきた島嶼国です。

ジギーはライラにその詩(を書いた紙…)を貸してほしいと言います。ああ、曲をつけるんだなと思いましたらとんでもない(笑)、その詩を読みながらオナニーしていました。

ただ、その後思いついたように曲をつけて、ライラに聴いてほしいと呼び出して、それなりに感動させていました。いい曲でした。ジギーが歌っている曲は、演じているフィン・ウォルフハードさん自身の曲らしいです。

で、ジギーはライブ配信でその曲を歌い、評判も上々だったらしく、後日、そのことをライラに話します。何百ドル(だったか…)の投げ銭を稼いだよ、と。

ライラは怒ります。あなたは、マーシャル諸島を搾取している、と。

ジギーにとっては大事件です。

エヴリンとカイル…

ジギーのキャラクターははっきりしているのですが、エヴリンの方は難しい人物で、前半ではよくわかりません。

最初のシーンはシェルターなんですが、スタッフと避難者が誕生日のお祝いで盛り上がっている一室へ渋い顔で入っていき、静かにしなさいと言うんです。その後、まずいと思ったのか(よくわからない…)、その当人におめでとうと言って出ていきます。スタッフたちも顔を見合わせて眉をひそめています。

前半はそんな感じのシーンが続きます。神経質そうにみえますし、それゆえストレスも抱えている人物ということかなと思います。車の中のシーンが結構多いのですが、クラシックを大音量でかけて気を紛らわすみたいなシーンもあります。

そんなエヴリンの人物像が後半になりますとはっきりします。新しく母と息子のDV被害者が入所します。息子はジギーと同じ学校に通うカイルです。母親思いで、自動車工場を経営する父親の暴力から母親を守ってきたといいます。

エブリンはそのカイルに入れ込んでいくということです。代理息子です。カイルの大学進学への道筋をつけようと奨学金の手はずを整えたりするなど、カイルのことに一生懸命になります。カイルとの距離を縮めようと、シェルター内の作業を頼んだり、外に連れ出してその帰りに食事をしたり、ジギーが食べなかった夕食をわざわざシェルターに持っていったりします。

そしてエヴリンにも事件が起きます。

カイルの母親がエヴリンに、カイルに大学進学を勧めるのはやめてほしい、カイルは父親と同じ仕事をしたいと言っている、修理の腕もよく、そのことで褒められるのをとても喜んでいる、と強い口調でいいます。

エヴリンは、え?! というような行動を取ります。急いで車を走らせ、カイルの学校に向かい、校内放送をかけさせてカイルを呼び出し、真意を正します。それも自分の主張をまくしたてます。大学へ行けば今よりもいい暮らしができる、と。

そして、ついにカールがキレます。自分は父親の仕事を継ぐ、と。

エヴリンはシェルターに戻り、ネット検索でジギーのライブ配信のアーカイヴを見ます。そしてジギーの子どもの頃の映像を見ます(あれ? これ、シェルターに置いてあったんでしたっけ?…)。

そして、そこにライラに激しく咎められた後のジギーがやってきます。落ち込んでいます。エヴリンの部屋に向かい、ガラス越しに母親を見つけますと、子どもの頃の映像を見ていたエブリンもジギーに視線を向けます。

アメリカ映画的にシンプルに、言葉を変えれば単純に(ゴメン…)まとまったいい映画でした。ジェシー・アイゼンバーグさん、いずれ大作を撮ることになる予感がします。