映画そのものが徒花…
映画.com に「長編デビュー作「赤い雪 Red Snow」で国内外から高く評価された甲斐さやか監督」と紹介されているもののまったく知らない方でしたので早速見てみました。
「死」の不安、いやむしろ「生」の不安?…
映画始まってすぐ、「未知なるウイルスの流行で出生率の激減した…」とか、それを補うために政府だったか企業だったかが「クローン技術を開発した…」とか、そしてクローンのことを「それ」と呼ぶとかのスーパーが入り、いきなりヤバ!と声が出そうになりました。
どんな映画かも知らずに、知らない監督だけれどもそんなに評価されているんだの気持ちだけで見に来ましたので、もういいよ、そのネタ! と思ったということです。
でも、「そのネタ」ではなかったです。未知のウイルスなんてほぼ関係ありません。クローンは登場しますが主要な問題ではありません。「死」の不安、いやむしろ「生」の不安に怯える人間の話でした。
新次の「それ」の「それ」は?…
人口減少を補うために予めクローンを作っておくという未来の話です。
ツッコミどころが多いプロットですが、それは置いておくとして、この設定じゃ金持ちしかクローンできないじゃんなんて思って見ていたんですが、そもそもそういう設定で富裕層限定の話だったようです。
ただ、そうした設定の話によくある貧富の格差が云々といった視点はまったくなく、癌(ウイルスじゃなかったと思う…)のため余命宣告された裕福な家庭に育った男、新次(井浦新)が手術(クローンと合体するのかな…)のためには心安らかじゃなくてはいけないと言われるものの、逆に過去がよみがえって苦しみ、また、通常許されていない「それ」と対面し話をしたがためにさらに苦しむという話です。
映画の舞台も森の中の病院だけです。数シーン、新次のフラッシュバックで海辺と森の中のトンネルが使われています。映像はほぼフィックでそれぞれの構図にかなりこだわっている印象です。カメラの動きもそうですが、とにかくあらゆることがゆったりとしています。
悪く言えば、画に緊張感がなく単調で退屈です。
新次には臨床心理士まほろ(水原希子)がつきます。新次の心にやすらぎをもたらす役目のようですが、具体的に何かをするシーンはありません。もう少しそれらしき(まあ気持ちを吐き出させる会話かなあ…)シーンを作ったほうがいいのではと思います。
映画全体にそうなんですが、設定は大層な割に台詞が日常会話レベルですので物語がまったく深まりません。そもそも手術といっているものが何なのか突き詰めて考えられている気配がしません。
とにかく、新次がベッドで悶え苦しむシーンや子どもの頃のフラッシュバックが数シーンはいるだけで、まあそれも新次の人生が親のいうなりのものであり、妻との結婚も政略結婚だったといっているだけです。
フラッシュバックに三浦透子さん演じる女性が出てきましたが、あれは本当は好きな人がいたのにということなんでしょうかね。
で、そんなこんなで新次は「それ」(井浦新二役)と会い、話をしたことから手術をせずに自分が死んでいったほうがいいと判断したということだと思います。つまり、「それ」であるもう一人の新次が「新次」になるということなんでしょう。
その「新次」の「それ」はもう出来ているんですかね。
映画そのものが徒花…
率直にいって映画になっていません。内容が浅くて稚拙です。
なぜ新次と「それ」との間で哲学的な深遠な会話をさせないのでしょう。
どんな本を読んでいる? ドフトエフスキー、カフカ、デリダ(違っているかも…)。カフカは僕も好きだ。は、ないと思います。
このブログには最初からけなすのもどうかと思い、「生」の不安に怯える人間の話なんて書きましたが、そんなもの描かれていません。
井浦新さん、水原希子さん、三浦透子さん、斉藤由貴さん、永瀬正敏さん、俳優の無駄遣いです。