赤い闇 スターリンの冷たい大地で

ホロドモール、ウクライナ、ジョージ・オーウェル、動物農場

ソハの地下水道」のアグニェシュカ・ホランド監督の10年ぶりの新作です。

と思いましたら、2017年に「ポコット 動物たちの復讐」という映画が「ポーランド映画祭2018」で上映されているようです。それにIMDbによればその間にもTVドラマをたくさん撮っています。

赤い闇 スターリンの冷たい大地で

赤い闇 スターリンの冷たい大地で / 監督:アグニェシュカ・ホランド

ソ連、スターリン体制化の「ホロドモール」を題材にした映画です。

が、その「ホロドモール」というものを知りませんでした。上のリンクのウィキペディアには「アルメニア人虐殺、ホロコースト、ポル・ポト派による虐殺、ルワンダ虐殺等と並んで20世紀の最大の悲劇の一つ」と書かれています。

ウィキペディアの概要を読んでいただくのが一番ですが、簡単に書きますと、1932年から33年かけてウクライナを中心に発生した大飢饉で、その原因はソ連が外貨を稼ぐためにウクライナの穀物を強制的に調達し、また農業集団化政策を進めるために反対者を処罰したり農地を奪って強制移住させたりしたことにあり、そのため人工的な飢饉と言われているものです。

映画では英国人記者ガレス・ジョーンズ(ジェームズ・ノートン)が監視の網をくぐってウクライナへ潜入するシーンがあり、そこでは人々が飢えに苦しみ、路上に死体が転がっていたり、母親の死体の横で泣き続ける乳児を無造作に死体を運ぶ馬車に放り投げるシーンがあったり、また放浪するジョーンズが立ち寄った家で差し出され食べた肉が人肉とわかり吐いたりする描写が続き、ちょっと誇張しすぎじゃないのなんて脳天気に見ていましたが、とんでもないことで、ウィキペディアを読むだけでも相当悲惨な状態が浮かんできます。

実際、このホロドモールにより「400万人から1,450万人が死亡した。また、600万人以上の出生が抑制された(ウィキペディア)」と言われています。

実話ベースの映画ですので主人公のガレス・ジョーンズの他にも実在の人物が登場します。ニューヨークタイムのモスクワ支局長でこの映画の前年にピューリッツァー賞を受賞しているウォルター・デュランティ、後に『動物農場』『1984年』を書くジョージ・オーウェル、イギリスの元首相ロイド・ジョージなどです。

もうひとり映画的には重要な役柄の、と言いますかラブストーリーでもないと映画にならないみたいは扱いではありますが、デュランティの下で働く記者のエイダ・ブルックスがいます。この人物は創作でしょうが、ジョーンズの前にソ連の内情を探ろうとしていた殺害された記者がおり、ブルックスはその記者が殺された理由はウクライナの実情を探ろうとしてからだとジョーンズに知らせるという役回りです。

ということなんですが、このエイダ・ブルックスの存在は映画の本来の目的(と思われる)、ホロドモールの真実を知らせることの邪魔になっています。実際ジョーンズのウクライナ行きに重要な役割を果たしているわけではありませんし、こうした男女関係を入れることで映画に厚みが出るなんてことはありません。

物語は基本シンプルです。ジョーンズがスターリン体制下のソ連に入り当局の監視の目をかいくぐってウクライナに潜入しホロドモールの実態を暴くというものでこれは史実でもあります。ただ映画はその前段に、男女関係も含めいろいろなドラマを織り交ぜて仕上げられており、全体としては作りものっぽい映画になっています。

ホロドモールという事実がどの程度(世界で)認知されているものなのかわかりませんが、知らなかった者の印象としては仮にフィクションであるにしてもこうしたドラマ仕立てがかえってホロドモールを現実感から遠ざけているように感じます。

一般的に、よく知られていることは、見る側も一定程度の事実認識がありますので映画がどんな切り口で描いてもその事実をより深く知るきっかけになりますが、あまり知られていないことですと間違った理解をする可能性があります。もちろん史実を描く場合の話です。

ジョーンズのソ連入りの経緯については、元イギリス首相のロイド・ジョージの名前を利用して入ったと描いています。ガレス・ジョーンズは実際にロイド・ジョージの外交顧問であった時期があるようですし、ヒトラーとゲッペルスの乗った飛行機に同乗した記事を Western Mail に書いているようです。

Gareth Jones (journalist) – Wikipedia

ただウィキペディアによれば、ジョーンズのこの年のソ連入りはすでに3度目で、過去2度ともに匿名ですがレポートを書いており、1931年にはウクライナの飢餓についてもレポートしているようです。

モスクワにはニューヨーク・タイムズの支社長ウォルター・デュランティがいます。デュランティは1922年から1936年までモスクワに滞在しそのレポートで1932年にピューリッツァー賞を受賞しています。

このデュランティはかなりエキセントリックに描かれています。ジョーンズがデュランティの主催するパーティーにいきますとそこはかなりな退廃的な雰囲気でデュランティ自身も裸で登場するような享楽的なパーティーです。描き方としては、実はソ連の内情を知りながら権力に忖度し自虐的にその世界に溺れているといった感じです。

この映画ではデュランティはかなり批判的に描かれています。エンドロールでは「デュランティのピューリッツァー賞はまだ剥奪されていない」とスーパーされていました。

デュランティに限らずこの時期の知識人たちはコミュニズムへの共感を持っている場合が多いですのでそれを実現したソ連の見方にしてもバイアスがかかっていたのでしょう。

  

とにかく、ジョーンズはウクライナへ入ります。そして実情を目撃します。

「オーストリア=ハンガリー帝国出身の化学技術者で、ソ連の化学企業に19年間勤務したアレキサンダー・ウィーナーベルガー(ウィキペディア)」という方が撮った写真が残されており、リンク先で公開されています。 

Alexander Wienerberger

Alexander Wienerberger / Public domain

映画では冬の雪の中のシーンでしたが、写真とほぼ同様の様子が描かれています。

ただ、繰り返しになりますが、画自体は悲惨なものであっても映画のつくりとして伝わってくるものが弱いです。前段のウクライナ潜入のドラマなどよりもこの悲惨なホロドモール自体をもっと深く描くべきだったんだと思います。

また、映画の創作だとは思いますが、ジョージ・オーウェルとの関係も中途半端な感じがします。映画の冒頭はオーウェルがタイプライターを打つシーンにナレーションが入って始まっていましたが、あれは『動物農場』だったようです。

ジョージ・オーウェルが1945年に発表する『動物農場』は言わずと知れたコミュニズムの暗黒面であるスターリン主義を批判した小説です。

映画のラストをジョーンズとオーウェルの面会シーンで終えていますのでジョーンズの記事が『動物農場』執筆の契機となったというまとめ方なんだと思います。

ただ実際には1933年と1945年、12年という年数の隔たりがあります。映画としては手を広げ過ぎだと思います。

結果として「ホロドモール」という史実を知ることができたことはとてもよかったと思える映画でした。

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