明け方の若者たち

特別を求めない平凡さを描け

2021年最後の映画になりました。

一年の最後に見るにはちょっと…という映画です。

明け方の若者たち / 監督:松本花奈

平凡を映画にすること

まったくもって平凡な男の話です。

大学4年、大手印刷会社に内定も決まり、一目惚れの女性と恋に落ち、一人暮らしを始めた1年、そして、人並みの希望を抱いて入社するも希望の部署にはつけず、しかし恋人との日々は楽しいばかりの1年、そしてそして、ある日突然やってきた恋人との別れと落ち込んで仕事を休む日々の1年、そしてそしてそして、つまらない仕事と愚痴りながらも働き続ける1年…。

これを映画にしてどうする?

平凡を平凡な映画にすること

いや、なんであれ映画にはなるでしょう。でも、平凡な話を平凡なままに映画にしてどうするの? と思います。

いや、それも違いますね。この映画のつくり手たちはこの話が平凡じゃないと思っています。平凡であっても平凡であることに意味を見い出せば映画になります。しかし、平凡なものを平凡じゃない特別なものと見せられるのはつらい2時間です。

物語だけではありません。映画のつくりに驚きがありません。引きつけるものがありません。物語の展開も、台詞も、映像も、間合いもリズムも凡庸です。

勢いで言い過ぎていますが、それにしても、飲み会のシーンで僕(北村匠海)が気になる女性を見つめるカット、変わって凛とした女性(黒島結菜)の横顔のカットへと切り替わるシーンはこの映画をよく現しています。物語を説明しているだけの映画です。

ロスジェネ、はざま、ゆとり世代

で、たまたまついこの間DVDで見た「いなくなれ、群青」を思い出しました。映画のつくりは片やファンタジー、こちらはリアルと正反対に近いのですが、映画の価値観にとても近いものを感じます。

いつまでも青春にまどろんでいたい男たち、恋愛にしか価値を見いだせない男たち、女に救いを求める男たち。

この映画の原作者、カツセマサヒコさんは1986年生まれのWebライター、「いなくなれ、群青」の原作者、河野裕さんは1984年生まれのゲームデザイナー、ともに最も多感なころにバブル崩壊後の沈みゆく日本を目の当たりにしてきた世代でしょう。そして、カツセさんが社会に出るころの2009年はなにかが変わりそうな予感とともに民主党政権が誕生した年でもあり、しかし、それも3年後の2012年の暮にはあっけなく希望は打ち砕かれ、絶望の淵に叩き落とされた時代です。

時代背景とともに人の人生を語るのはどうかとも思いますが、この2作、あまりにも価値観が似ています。 

特別を求めない平凡さを描け

特別を望んでいるのに特別になれない「僕」を嘆いていても始まりません。平凡さは無意味ではありません。また、平凡さとははんこを斜めに押すことを受け入れることでもありません。平凡さとは夫のいる女性を愛し、そのままなにもせず別れてしまうことでもありません。

なぜ僕(北村匠海)は彼女(黒島結菜)に一緒に生きていこうと言えないのか?

なぜ、平凡を平凡のまま受け入れるのか?

2022年は圧倒的な映画を期待する

「2022年は圧倒的な映画を期待する」

言葉通りです。ダイナミックでもあっても、静かにであっても、ごちゃごちゃしていても、なにやってんだかわからないくらいハチャメチャでも、とにかく圧倒的に主張してください。