ジェームス・グレイ監督、見ているのは「エヴァの告白」だけです。もうほぼ10年前になりますが、マリオン・コティヤールさんを見に行った映画でよく覚えています。
で、この「アルマゲドン・タイム ある日々の肖像」ですが、邦題の副題の言葉の選択が間違っています。日本語として「ある日々の肖像」なんてのはおかしいです。それにそもそも「肖像」などという映画ではありません。なにか意図をもっての副題なんでしょうか…。
アルマゲドン・タイム
まさしくポール(バンクス・レペタ)にとってはアルマゲドン・タイムの日々です。
1980年、ポールは6学年になります。絵を描くことが好きで芸術家になると言っています。夢といったニュアンスではなく、親の反対や学校をつまらないと思う気持ちからの反抗心です。
そんなポールがアフリカ系アメリカ人のジョニー(ジャイリン・ウェッブ)と親しくなることで世の不公平や差別を知り、また、なにごとも自分の思うようにならないことばかりだと思い知らされていく話です。
映画としてはいい映画なんですが、ラストはとても後味が悪いです。アルマゲドンに敗れたということです。映画とはいえ、ポールはあれで大丈夫なんだろうかと思います。
なお、「アルマゲドン・タイム」というタイトルはイギリスのパンクバンドのザ・クラッシュの曲からとられています。
どことなくただよう不穏な空気…
10歳くらいの子どもの話なのになぜか全編通して緊張感が漂っています。それだけに見ごたえがあるわけですが、理由のひとつはポールを取り巻く大人たちが常になにか不安定さの中にいるような描き方がされているからです。それにポールを演じているバンクス・レペタくんの頼りなさげが、自信がないにもかかわらず大胆に行動してしまうという役柄にぴったりということもあります。
1980年、6学年の初日、ポールは教師の話も聞かずその似顔絵を描き、他の生徒に回します。教師がそれをみつけて誰が描いた?!と問いただします。カメラはポールが名乗り出るかどうか迷いに迷う表情をじっととらえます。
うまい始まりです。11、2歳の少年らしさがとてもよく出ています。結局ポールはゆっくりと立ち上がるわけで、つまりこのアルマゲドンは善が勝ったということです。この時、ポールに味方するように教師に反抗するのがジョニーです。当然ふたりは親しく話をするようになり友だちになります。
ジョニーの生活環境を描いた具体的なシーンはありませんが、祖母と暮らしていることやお金がなく社会見学(違う表現だった…)にいけないという設定ですので、いわゆるアフリカ系アメリカ人であるがゆえの(社会的に追いやられるという意味…)貧困と悪環境を想像させます。
この社会見学ですが、ポールが家のお金(多分母親のへそくり…)を盗んで一緒に行っています。こういうなにか起きそうな不穏さが常にただよっている映画です。その社会見学でもふたりは途中で抜け出していました。
社会の不公平さと差別意識…
ポールは、母エスター(アン・ハサウェイ)、父アーヴィング(ジェレミー・ストロング)、兄テッドの四人家族で暮らしており、経済的にはわりと安定した家庭のようです。テッドは、後にポールが意に反して入れられる規律の厳しい私立高に通っています。ポールは反抗期のようなところがあり、兄とはもちろんのこと、両親のいうこともあまり聞きません。
ある日のディナー、なにか特別な日だったと思いますが、ポールの祖父母も集まってのディナーです。このシーンでも、ポールは出されたスパゲッティではなく餃子が食べたいと言い、勝手に電話で注文したりします。とにかく慌ただしいディナーで、父が怒ってテーブルを叩いたり、母が頭を抱えたりと、ちょっと奇妙なシーンです。
そんな時、祖父アーロン(アンソニー・ホプキンス)が自分の母親の話をしてくれます。アーロンはエスターの父でポールの良き理解者です。芸術家になるという思いも後押し(我が道を行けという感じ…)してくれます。
アーロンが語ります。アーロンの母親はユダヤ人の両親とともにウクライナに暮らしていたのですが、ロシア人(間違っているかも…)の迫害にあい両親は殺されます。母親だけはなんとかイギリスに逃れ、その後自分の父となるイギリス人と出会い、自分が生まれ、希望を持ってアメリカにやってきたということです。
アンソニー・ホプキンスさんの存在感が大きいせいもあるのか、ポールの両親の方はあまり明確な人物としては立ち現れてきません。母エスターはPTAの会長であり教育委員に立候補すると言っていましたので、子どもたちの教育に力を入れているということだと思います。ポールが芸術家になることを目指すのも望んではいないのでしょうが、ただ、厳しく子どもを制約するような感じではありません。
父アーヴィングには、えーそういうことがあったのかというシーンがあります。アーロンが亡くなったときだったと思いますが、アーヴィングがポールに話します。自分は配管工であり、エスターと結婚するときに皆が見下すような態度であったのにアーロンだけは自分を認めてくれた、アーロンは家族のまとめ役であった、これからは自分がその役目をやらなくてはいけないと言います。また、ポールがお父さんのようになれって言うの?と口答えしたときには、父さんを越えていけと答えています。
結局、描き方としてはまとまりはありませんが、厳格な父親と愛情の深い母親という設定のようです。ポールが母親の作ったスパゲッティは嫌だから餃子をデリバリーすると言い出すシーンのインパクトが強すぎて、一体どういう家族なのかと思いましたが、基本的には子どもたちの社会的な成功を望む両親ということのようです。
そして、ついに事件が…
事件が起きます。ジョニーが大麻(だと思う…)をずっと笑っていられるから吸ってみようと言い、ふたりでトイレに入り吸い始めます。本当にゲラゲラ笑い始め、その声で教師に見つかってしまいます。
両親はポールをテッドと同じ私立高キューフォレスト校に転校させます。抵抗するポールに、祖父アーロンがこれは自分の決断なのだと諭します。学費もアーロンが出しているということです。
このキューフォレスト校のシーンで、学校の支援者としてフレッド・トランプと言う人物と卒業生としてスピーチをするマリアンヌ・トランプ・バリーという女性が登場しますが、あれはドナルド・トランプの父親と姉です。
スピーチを聞いた生徒たちが一斉に拍手をします。ポールは共和党支持の学校に放り込まれたわけです。実際の学校がどうかは知りませんが、ポールに絡んでくる同級生たちによって白人優位主義と人種差別が示されます。
ジョニーが学校にやってきます。越えられそうもない金網越しに対面します。どちらもぎこちなく不安そうです。自分たちはそうではないのに社会の人種差別がそうさせてしまいます。ジョニーが去っていきます。その様子を見かけた同級生たちが黒人への差別的言葉を使って知り合いなのかと絡んできます。ポールはとまどい、おどおどし、そして名前も知らないと否定してしまいます。
後日、ポールは祖父アーロンにそのことを悔やみつつ正直に話します。アーロンは偏見や差別を見たらそれに立ち向かうようやさしく語りかけます。
そしてまた後日、ジョニーが2、3日泊めてくれとやってきます。祖母が亡くなり、養護施設に入れられることから逃げてきたということのようです。お金をためてフロリダ(違ったか…)へ行くと言っています。ポールが学校のパソコンを盗んで売ればお金になると言い出します。
夜、ふたりは学校に忍び込みパソコンを盗み出します。ジョニーが中古品屋に持ち込みます。ポールは外からその様子を見ています。店主が奥に入っていきます。しばらくして店の前にパトカーが止まり、ジョニーは逮捕され、それを見ていたポールも同行を促されます。
ふたりは事情聴取されます。ポールは迷いに迷った末、自分が計画したことだと正直に全てを話します。ジョニーは自分ひとりでやったと否定します。アーヴィングがやってきます。警官はアーヴィングが知り合いだとわかると、ポールを連れて帰るよう促します。
アーヴィングはポールに、世の中は不公平なものだ、それはわかるが生きていくためには受け入れなくちゃいけないときもある(こんな感じだったと思う…)、そして、このことはエスターには黙っていろと強く言います。
後日、再び学校にフレッド・トランプがやってきてのイベントです。ポールはそのスピーチの間にその場を抜け出します。その後ろ姿で映画は終わります。
ジェームス・グレイ監督の自伝的物語
アルマゲドンに敗れたポール少年です。
この映画はジェームス・グレイ監督が自ら自伝的な映画だと語っています。ということであれば、どこまでが実際にあったことであるかにかかわらず、全体としてかなり自戒的な内容です。
偏見や差別やそれによる不公平さはいけないことだと語るよりも、11、2歳の少年の揺れ幅の大きい不安定さのなかでそれらを描くほうがより効果的と判断したのかも知れません。