「暁に祈れ」と同様に暴力は人間の根源的なものだと言いたいようだ…
「暁に祈れ」のジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督ですのでどうしようかと思ったんですが、ショーン・ペンさん主演ですのでそんなにはひどくはないだろうと思い見てみました。
- 画づらが派手でエグいものにすれば映画になる?…
- NYではEMS隊員の自殺が殉職よりも多くなっているらしい…
- リアルを目指すものの限度を超えればつくりもの…
- 人間は自己を喪失すると根源的な暴力が健在化する?…

画づらが派手でエグいものにすれば映画になる?…
そんなにひどくはなかったです(笑)。でも、この監督の映画を初めてみる人にはちょっときつい部分もあったんじゃないかと思います。
とにかく、エグい画が多い上にくどいですし、音楽が耳障りですし、気分を悪くさせることを楽しんでいるんじゃないかと思うような映画を撮る監督です。一言で言えば、あざとさの極みみたいな映画です。
「暁に祈れ」なんて最初から最後まで暴力シーンでつくられた映画です。その上、その暴力になんの意味もありません。ただ、見ていてうんざりするだけの暴力です。おそらく暴力は人間の根源的なものだと言いたいんだと思います。
この映画もそうで、殴る蹴るといった身体的暴力シーンは多くはありませんが、描いているものの裏には必ず暴力が存在していますし、映画そのものが暴力的です。
最初から最後まで EMS(救命救急隊)の現場の物語ですので隊員が遭遇するのは当然ながら命に関わるケースが多くなるとは思いますが、この映画が取り上げているのは、ギャングの抗争による銃撃事件(だと思う…)、薬物常習者、よくわかんないけど暴力事件、凶暴犬による傷害事件、家庭内DV、理由不明の腐乱死体、薬物依存治療中の女性が痛みに耐えかね薬物摂取をして失神後に出産といった特殊(と思われる…)ケースばかりです。
言ってみれば、ジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督にはこうした画づらが派手になるものが映画的だと見えているのだと思います。見る人もそれぞれですのでなんとも言えませんが、かえってあざとすぎてつくりもの臭く感じられるんじゃないかと思いますけどね。
NYではEMS隊員の自殺が殉職よりも多くなっているらしい…
ニューヨーク、ハーレムを管轄するニューヨーク市消防局(FDNY)の救急救命隊(EMS)です。
こういう映画のパターン通りで、新人クロス(タイ・シェリダン)が古手のラット(ショーン・ペン)に弄られつつ成長していく(ちょっと違うけど…)つくりになっています。ただ成長といってもプラス面だけではなくマイナス面と言いますか、命をあずかる立場でもありますので苦悩も含めて成長していくということです。
隊員ではもうひとり危ない男ラフォンテーヌ(マイケル・カルメン・ピット)がいます。ラフォンテーヌはやたらクロスに絡んで虐める役回りで、後にラットが求職になりますとクロスと組むことになります。クロスをイライラさせる、まあ言ってみれば見ている我々をイライラさせるための存在ということで映画的にはあまり重要ではありません。
要は、とにかくクロスとラットには神経がまいる出動ばかりが続き、それにつれクロスが PTSD を発症するもなんとか乗り越えようとし、また一方のラットの方は個人的事情もあり自殺するという話です。
エンドロールに、最近は EMS隊員の自殺が殉職よりも多くなっているとのスーパーが流れます。
リアルを目指すものの限度を超えればつくりもの…
それにしてもあんな出動が続けば誰だって PTSD にもなります。薬物常習犯の女性からは罵声を浴びせられ続け、それでも救急治療を続けなくてはいけないわけですし、暴力事件で負傷者を助けようとしているのにその仲間たちは死なせるんじゃないぞ!!などと脅しながら治療を邪魔しようとしますし、犬に噛まれた少年を診ようとしているのにその犬の飼い主は犬を遠ざけようとするわけでもなくわざと犬を煽っているようにもみえます。
まあ、きっとこうしたこともあるんでしょうが、映画全編こんな感じではかえってつくりもの臭くなります。
女が怪我をしているとの要請で出動します。女は頭や顔中から血を流し、傍らの男が階段で転んだと言っています。それを見たラットは即座に〇〇だ(DVを意味する数字…)と司令に連絡します。クロスが女に事情を尋ねようとしますと、男は転んだだけだ、早く治療しろと女に喋らせないように絡んできます。ラットが男を制しているうちに両者次第に熱くなり揉み合いになります。そこに警官が到着し止めに入りますが興奮したラットが警官を突き飛ばします。
ラット、停職です。このシーンの前にラットの事情を説明するシーンが入っています。ラットが元妻と娘に会いに行きます。職務中のわずか数分ですので親権などの話し合いが持たれた離婚ということではないのでしょう。
クロスについての事情も説明されます。クロスは医学部入学を目指しています。チャイナタウンのスラムのようなアパートメントを二人の中国人とシェアしていると言っています。ただ、その二人も出てきませんし、猥雑さのあるチャイナタウンの画が欲しいだけだと思います。また、クロスは子どもの頃母親がバスルームで手首を切って自殺したと語ります。
映画のかなり早い段階にクロスがクラブで出会った女性と付き合うようになっています。2、3度セックスシーンが描かれ、女性は乳児を抱えたシングルマザーであることを見せています。ただこの女性もその後のクロスの PTSD のシーンのための前振り程度の扱いで、女性がどういう生活をしているとかにはまったく触れられもしません。
人間は自己を喪失すると根源的な暴力が健在化する?…
薬物を断つための施設(のような感じだった…)から女性が出産しているようだが部屋に鍵がかかっており応答がないと出動要請が入ります。ラットがドアを蹴破り入りますと、女性は失神したまま出産したらしく、へその緒がついた嬰児が外に出ています。ラットはへその緒を切り嬰児を抱えてバスルームに走っていきます。クロスが女性に幾度も声を掛けるうちに女性が意識を取り戻し、私の赤ちゃんは? 赤ちゃんは?!と叫び始めます。
この映画がこの一連のシーンでやろうとしていることはラットが嬰児を殺したということなんですが、なんだかチグハグなんです。ラットはすぐに嬰児をバスルームに連れて行こうとし、バスルームの洗面ボウルに嬰児を起き聴診器を当てるカットがあります。その後はクロスと女性のシーンが続き、応援が来たときに(なぜ応援が来たのかもわからない…)ラットは嬰児を置いたままバスルームが出てきてクロスとすれ違いざまに生きていたと言います。クロスは怪訝な顔をしています。
こういうことみたいです。ラットはその嬰児にまともな未来があるわけがないと息はあったけれども助けようとしなかったのか自ら手を下したのか、とにかく殺したわけです。しかし応援が来て蘇生させたということのようです。
その後、署内の調査がありラットとクロスが査問を受けます。ラットは停職処分になります。
こうした緊張状態が続いたクロスは付き合っている女性とのセックス中に女性の首を絞めます。PTSD ということだとは思いますがなぜ首を絞める? と思います。やはりジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督は、人間が自己を喪失しますと根源的なもの、暴力が健在化すると考えているのでしょう。
とにかく、クロスはその女性から別れを告げられ、後によりを戻しに行きますが拒否されます。
また、停職中のラットは元妻に新しいパートナーができ子ども共々引っ越してしまうと言い、失意に暮れています。
そして、クロスとラフォンテーヌが巡回中に男が飛び降りようとしていると出動要請が入ります。ラットです。クロスたちが到着したときにはすでにラットは死亡しています。
かなりの後日と思われる後日、クロスは赤ん坊を産み落とした(まさに産み落とした…)女性を訪ねて謝罪します。赤ん坊が生きていてよかったと言います。
というあざとさの極み映画でした。ジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督の映画はもうこれで最後です。2本見ただけですが(笑)。