年齢の違和感をふっ飛ばすイーレ・ヴィアネッロさんの俳優力…
「イタリア文学界の巨匠チェーザレ・パヴェーゼの同名小説」が原作とのことです。その「美しい夏(La bella estate)」は、1950年にストレーガ賞というイタリア文学界最高の賞を受賞しています。ただ、作家本人はその直後に自殺しているみたいです。

ジーニアのイーレ・ヴィアネッロさんにつきる…
翻訳本は訳者のフィルターがかかっているからと積極的には読まないこともあり、知らない作家さんでした。かなり著名な方のようで、ほぼすべて翻訳されているみたいです。全集もあるようです。
ウィキペディアには
20世紀のイタリア文学におけるネオレアリズモの代表的な作家の一人。マルクス主義者でもあり、第二次世界大戦下、イタリアのパルチザン活動も行っていた。
とあります。
で、映画です。
さらっと目を通した映画紹介で、年若い女性が年上の女性と出会ってという程度のことは知っていましたので、冒頭のシーン、街なかを快活に走って洋装店の仕事に向かう女性はきっと年上の女性の方だろうと見ていましたら、違っていました。
その女性が16歳のジーニアでした。と言いますか、年齢は今知ったことですので、今から思えば知らなくてよかったと思います。さすがに16歳には見えないイーレ・ヴィアネッロさんです。
ジーニアは兄とともに田舎からトリノに出てきたばかりで、お針子として働いており、そのジーニアがモデルや画家といったボヘミンアンたちと出会い、モデルという仕事に魅了され、画家のひとりと初めての性体験をし、大人の世界に入っていくという映画なんです。
で、出会う年上の女性というのが19歳のモデルのアメーリアで、演じているのはモニカ・ベルッチさんとヴァンサン・カッセルさんの娘ディーヴァ・カッセルさんで撮影当時は17、8歳じゃないかと思われます。イーレ・ヴィアネッロさんは5つほど年上です。
この配役をそのまま想像すれば誰だって違和感があるんじゃないかと思います。でも、ないんです(笑)。ジーニアが16歳に見えるわけじゃないんです。見た目相応の20代の女性に見えるのにジーニアとして違和感がまったくないんです。
イーレ・ヴィアネッロさんの演じるジーニアは、年齢のことなど関係ないとふっ飛ばしてしまうくらい現実感があるんです。16歳の少女のうぶさを演じているわけではありません。恋であれ、友情であれ、誰かに夢中になってしまうことってあるじゃないですか。相手が自分の知らない世界に生きていて魅力があればよけいですが、もうその人以外目に入らない状態といいますか、そういうジーニアなんです。
イーレ・ヴィアネッロさんが俳優として素晴らしいということです。
エロチックなダンスシーンは秀逸…
作家本人が生きた時代、1938年のイタリア北部の都市トリノを舞台にした映画です。
ジーニアは田舎から出てきて兄と暮らしながらお針子として働いています。貧しく質素な生活です。兄は学生のようですが、そうしたシーンはなく、夜の仕事をして稼いでいるようなことを言っていたと思います。この兄は、生活の貧しさと後にジーニアがアメーリアに惹かれていくことに対して相反する否定的な立場を示すための存在として置かれているんだと思います。しきりに田舎へ帰ろうと言ったりし、ジーニアがいわゆる都会の派手なものに惹かれていくことのアンチテーゼなんでしょう。
ジーニアが兄たちとピクニックに出かけているときに、湖で舟遊びをしていたアメーリアが下着姿になり湖に飛び込み兄たちのピクニックに加わってきます。ジーニアは一気にアメーリアに惹かれます。
その後、アメーリアの方からジーニアに近づいてくるのですが、残念ながらこのアメーリアにジーニアに対抗できるほどの深さがありません。何を求めてジーニアに近づいてくるのかが見えてきません。ディーヴァ・カッセルさん、まだまだこれからということです。
とにかく、ジーニアはアメーリアを介して画家たちと知り合い、その世界に魅了されていきます。設定としてはまだ性体験もない女性ということで、アメーリアがヌードモデルであることとか、画家の男性への興味であるとか、見知らぬものへの羨望のようなものなんでしょう。
まずはそれが男性との性体験へと進み、画家のひとりと初めてのセックスをします。このあたり、とてもうまく描かれているんですが、ジーニアが自分の思いであるかどうかわからないままにそうしなくっちゃと思って行動しているように見えるのです。しかし、ジーニアは次第に画家との関係は自分の望んでいるものではないと気づきます。
こういう思い詰めた状態って誰でも一度は経験するものだと思います。原作を読んでいませんので想像ですが、この映画は監督、脚本のラウラ・ルケッティさんによってかなり翻案されているのではないかと思います。
ジーニアはアメーリアに対抗するように画家に自分を描いてと裸になってポーズをとります。そして泣き崩れ、やっと気づきます。自分の求めているものはアメーリアだと。
原作にジーニアとアメーリアの同性愛的なものが書かれているかどうかはわかりませんが、映画はそれを強く打ち出しています。
ジーニアとアメーリアのダンスシーンは無茶苦茶エロチックです。
残念ながらアメーリアがそれに応えられていないんですね。
同性愛は原作にもあるのだろうか…
一般的に考えれば、こうしたキャスティングはあまりしないと思いますので、これがラウラ・ルケッティ監督の考えによるものなのか、あるいは何らかの製作的な力によってなされたものかはわかりませんが、仮に製作的なものであれば見事に反転させたということになりますし、監督自ら意図したことであれば俳優の力を見抜く力がすごいということになります。
いずれにしても、イーレ・ヴィアネッロさんとラウラ・ルケッティ監督による見事な映画でした。