主演のエディ・ポンさんはあのブラックドッグを撮影終了後に貰い受けたらしい…
昨年2024年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で最優秀作品賞とパルムドッグ審査員賞を受賞しています。え? これで審査員賞って、パルムドッグのワンちゃんはどんなんやねん? というくらいワンちゃんがすごいです。それに、なんとジャ・ジャンクーさんが出演しています。

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ネタバレあらすじ
主役のランを演じているエディ・ポンさんがインタビューに答えている記事を読んでいましたら、もうひとりの主役であるブラックドッグを演じていたワンちゃんを撮影終了後に貰い受けたそうです。さらに撮影現場で生まれた 2匹の子犬も貰い受けたと語っています。離れられなくなっちゃったみたいです。
They’ve changed my life. I’m no longer: actor, Eddie Peng. I am dog walker, Eddie Peng.
シン(犬の名前…)たちによって私の人生は変わりました。私はもう俳優ではなくて犬の散歩係のエディ・ポンです。
(https://dirt.fyi/article/2024/09/black-dog)
なんてジョークまで言っています。
映画の舞台は中国北西部甘粛省のゴビ砂漠の端に位置する辺鄙な町です。かつては石油の採掘で賑わっていたようですが今は寂れています。時は2008年の北京オリンピック開幕前夜、そのためということでもなさそうですが、政府による強制的な再開発が計画されています。
監督は1968年生まれのグアン・フー監督、ジャ・ジャンクー監督などと同じ第六世代と呼ばれる監督です。初めて見る監督ですのでウィキペディアでこれまでどんな映画を撮っているのかなと見ただけの印象ですが、割と商業主義的な映画を撮っている監督に感じます。
この「ブラックドッグ」に関しては、第六世代に特徴的な中国社会の変化の中の個人に焦点が当てられている点では共通点はあります。とは言っても今は2025年ですので、時代設定を北京オリンピックが開催された2008年においていること自体が商業主義的とも言えるかもしれません。
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経済発展と裏腹の疲弊する地方の町…
草木がまだらに点在する荒涼とした大地、その大地を切り裂くように走る道路をバスが疾走してきます。
※スマートフォンの場合は2度押しが必要です
突如手前の丘の上から数十頭の野犬が駆け下りて道路を横切ります。バスは避けきれずにハンドルを切り損ねて横転します。上のトレーラーの冒頭にあります。
この一連、引きのワンショットで撮っています。印象深いシーンです。
バスには刑務所帰りのラン(エディ・ポン)38歳が乗っています。ランは過失致死の罪で服役し、仮出所で故郷の町に帰ってきたところです。罪状は、後々わかることではバイク絡みの争いで甥を死なせたことらしく刑期は10年です。
ランは人気あるバンドのミュージシャンであり、またバイクのスタントマンでもあり、故郷ではちょっとした有名人です。町の人々は皆が皆、帰ってきたか、ランと親しげに声をかけています。
ただ、ランはほとんど言葉を発しません。これは見ていても理由がはっきりしない最大の謎です。私にはそうは見えなかったのですが、監督によればランは長い刑務所生活で一時的な失語症のような状態に陥っている設定とのことです。非常に不自然に感じられます。エディ・ポンさんが甘粛省訛りの中国語を話せなかったということかも知れません。
ランが帰ってみれば町は様変わり、石油採掘事業が頓挫したのか人々が去り、廃墟のごとく閑散としており、飼われていた犬が大量に野犬化しています。父親は経営していた動物園が立ち行かなくなり、アルコールに溺れ、動物園で寝泊まりしていると聞かされます。
野犬化した犬の中には1000元の賞金(狂犬病のため?…)が掛けられた黒い犬がいます。ランはたまたま出会ったその犬を捕獲しようとしますが逆に噛みつかれてしまいます。
ランは家にしまい込まれたバイクを取り出し、町中を走り抜けていきます。引きのショットで廃墟にもみえる町の風景が描かれていきます。
町行政が北京オリンピックに備えて野犬の処分に乗り出し、捕獲チームを結成することになりランもその一員となります。捕獲チームの親分はヤオ(ジャ・ジャンクー)です。ランの行動は協調性がなく他の者たちと衝突します。ただヤオはランには寛容でそのたびに許してくれます。
また、町では野犬の捕獲とともに犬を飼うための登録制が始まります。ある時登録料が払えずに飼っていた子犬を取り上げられた少女がいます。ランは内緒で犬を少女に返しています。
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ブラックドッグとの交流…
賞金が掛けられたブラックドッグが捕獲されます。ランはこっそりと犬を連れ出し(ということだと思う…)荒野を走っています。その途中、天候の急変で犬とともに荒野に取り残されてしまいます。寒さに震えるランと犬、ちょっとだけ交流が深まり、でもランは犬に噛まれます。
ランと犬は町にやってきたサーカス団に助けられます。その後、バンド仲間であった友人の協力を得て、狂犬病予防のために犬とともに10日間の隔離生活を送ることになります。この隔離生活で犬がランになつきます。、隔離後、ランはヤオに頼み犬を貰い受けます。
サーカス団のダンサー、グレープと知り合います。グレープはランにサーカス団でバイクの曲芸をしないかと話しかけてきたり、ある時は愚痴をこぼしたりします。二人はどこか合い通じるものを感じています。
ランが服役することになったバイク事故で息子を失ったフーが恨みに思いたびたび絡んできます。その日も謝罪しろと拘束されてしまいますが、突然地震が起きて逃れます。ブラックドッグが行方不明になります。必死に探し回り見つけ出しますがすでに危篤状態、まもなく亡くなります。しかし、寄り添っていた(カットがある…)野犬が黒犬の子どもを産み落とします。ランはその子犬を連れて帰ります。
フーが毒蛇に噛まれたところをランが助けて和解します。
日食が始まります。住民たちが各々車で砂漠へ向かっています。動物園の動物が開放され町の通りを歩いています。
グレープはサーカス団から離れ(だと思う…)、バスでどこへとも知れず向かっています。
そして、テレビでは北京オリンピックのカウントダウンが始まります。
ランは入院中の父親から生命維持装置を外すよう頼まれ外します。そして、黒犬の子どもとともに旅立っていきます。
ピンク・フロイドの「Hey You」が流れています。
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感想、考察:このテーマはリアルタイムじゃないと…
映画冒頭の荒野のシーンであるとか、もう誰もいなくなり廃墟にもみえる町を引いた画で撮っているところなどがかなり印象深く感じる映画です。しかし、計算づくかも知れませんが編集はぎこちなく、中途半端なシーンもかなりあります。
エンディング近くの日食のシーンでは町の住人たちが揃って砂漠で繰り出していきます。それは荒野や町を闊歩する野犬のようでもあります。動物園の動物が解き放たれたシーンはラストシーンにも通じる「開放」イメージなのかも知れません。
テーマとしては、ラストシーン、ランがブラックドッグの子どもとともに町を去る場面などは西部劇のようでもあり、また暗雲は立ち込めてはいませんがターミネーターのエピローグを思い起こさせます(個人の意見です…)。そして、そのシーンにピンク・フロイドの曲を当てています。エンディングにはスーパーで「自己再生」のような文章が流れていました。「ブラックドック」という内面性を内に秘めて旅立つランということでしょう。
そのテーマ自体はある種普遍的なものですのでそれはそれでいいのですが、心に響いてくるものがあるかと言えば、ああそうだねとかなり観念的に受け止めざるを得ない2025年の今ということになります。
何を言いたいかと言いますと、いろいろ計算ずくの映画のように感じるということです。この映画を2008年にリアルタイムで撮っていればまったく違った評価になっていたと思います。その頃、ジャ・ジャンクー監督は「世界」(2004年)、「長江哀歌」(2006年)、「四川のうた」(2008年)を撮っていたということです。
この違いはもう埋めようもなく、やはりエンターテインメントでない限り、映画はリアルタイムでなくてはいけないということです。
ところで、今現在の中国の辺境、甘粛省辺りはどうなっているのでしょう。それが気になる映画ではありました。