革命の国の映画を忖度の国の住人が見ると、危険です
マリオン・コティヤールとメルヴィル・プポーの共演というだけでも興味のわく映画ですが、さて…。
監督は「あの頃エッフェル塔の下で」「ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して」のアルノー・デプレシャン監督です。
革命の国の住人は…
さすがフランス革命の国の映画という感じで、忖度の国の住人には理解できません(笑)。
基本的には家族の話なんですが、そのうちの姉アリス(マリオン・コティヤール)と弟ルイ(メルヴィル・プポー)が極端に仲が悪く、殺すという言葉が使われたり、偶然顔を合わせれば一方が卒倒してしまうような関係なんです。
まずその状態そのものが想像しづらいのですが、当然ながら生まれた時からそんな関係ということはあり得ませんので、そうなるには過去にそれなりの理由があったと思われます。
と考え、いったい何があったんだろうとその答えを映画に期待するのが忖度の国の住人です。
しかし、革命の国の住人は、そんなことなど大したことではないとでもいうように、ある日突然ふたりがハグし、不仲であったことなど忘れ去ってしまえば、まあ兄弟姉妹とはそうしたものさと笑ってすますことが出来るのです。
ウィキペディアによれば、フランスでの評価がそれなりにいいようですのできっとそういうことなんだろうと思います。
それに、アルノー・デプレシャン監督の傾向を知っているかどうかでも理解は大きく変わるのではないかと思います。特に「キング&クイーン」「クリスマス・ストーリー」にはヴェイヤールという名前が出てくるらしく、アルノー・デプレシャン監督の中にはなにか連続したテーマ、おそらく家族だとは思いますがそうしたものがある映画なんだと思います。
忖度の国の住人が見ると…
映画は、いきなり誰が誰かわからないままに矢継ぎ早にあれこれコトを起こしまくります。
ある部屋のドアの前で数人の男たちが小声で話をしています。なんでそんなにドアにくっついて話しているのだろうと不思議だったのですが、そのアパートメントの住人の通夜でたくさん人がいる状態でした。そこに男がやってきます。それを見たルイ(メルヴィル・プポー)はいきなり男に掴みかかり、あれこれ罵り、部屋から追い出します。外に出ますとそこにはアリス(マリオン・コティヤール)が悲しげな表情を浮かべて立っています。ルイは、アリスにも掴みかからんばかりの勢いで追い返します。
男はアリスの夫ボルクマンということです。ルイの息子6歳(だったか…)が亡くなり、その通夜に姉夫婦のアリスとボルクマンが弔問に来たというシーンです。もちろん、そうしたことは後になってわかることで、見ている時は、え?! 一体何?! 状態です。
変わって劇場の楽屋、アリスが苦悶の表情を浮かべています。マネージャーかスタッフが出番ですと呼びに来ますが、アリスは今日は出られない、弟がまた私を侮辱する本を出したと怒りつつすっかりめげています。
そして5年後、老夫婦が車を運転しています。前方からコントロールを失った車(道路が凍っているのか…?)が走ってきて木に衝突します。夫は妻に救急車を呼ぶように言い、衝突した車に駆け寄り運転席の女性に話しかけています。そこへやはりコントロールを失ったトラックが突っ込んできます。
このシーンも結構奇妙です。妻は携帯を持ったまま突っ立っていますし、夫は助け出そうとするわけではなく、女性の手を握り安らぎを与えようとしています。なんだか宗教的儀式のようで奇妙なシーンです。と言うよりも、あざといという方が正解かも知れません。
それに衝突した女性とアリスの父親の会話も思わせぶりです。会話の質からいけば、この女性は映画の中でそれなりに重要な役割にも思えます。実際、その後でアリス(じゃなかったかも…)やルイはその女性の名はなんと言うのかとか、あえてその女性のことに触れています。でも、その後映画には一切関わりはありません。
まあそういうことをするアルノー・デプレシャン監督ということでしょう。
とにかく、そのころアリスは舞台でジェイムズ・ジョイスの『The Dead』(らしい…)を演じています。老夫婦はアリスの両親であり、娘の舞台を見ようと劇場に向かっていたということです。
さらにシーン変わって、この人誰?という男が登場し、山間に車で入り、そして馬に乗り換えて人里離れた山小屋に向かいます。そこではルイが妻フォニアと隠遁生活を送っています。男はズウィというルイの友人で、後にわかりますが、精神科医であり、アリスが抗うつ剤の処方を頼みに行く医師ということです。
見ているときにはなかなか全体がつかめず、広がりのある人間関係なのかと思っていましたが、終わってみれば何のことはないとても狭い範囲の一族郎党の話でしかないということです。
ということで、ルイも両親の病院に駆けつけ、ついに姉アリスと弟ルイの長年のいがみ合いに決着つけるときが来たという映画です。
相応の理由がなくとも憎しみは生まれる…
で観客は、これほど姉と弟が憎しみ合うのはいったいなぜなんだろうとわくわくしながら100分間を過ごすことになります。
でも答えはありません。
これが子どもであれば、そのわけは好きなお菓子を相手が食べてしまったということかも知れませんし、あるいは思春期であれば、大切にしている物や人を相手にけなされたということなのかも知れません。
映画がその答えにそれ相応のものを出してこない限り、その程度のことと言っているということになります。つまり、どれほどの憎しみが生まれようともその発端はとても些細なことでしかないということであり、それを飛躍させて考えれば、戦争、過去に起き、今も起きている戦争もそうしたものかも知れません。
結局、アリスとルイは両親の死を機に対面で会うこととし、そしてわずかは一言二言話すだけでその憎しみは愛に変わるのです。
この世のすべてがこのようにいけばいいと思う映画ではあります。もちろん、それは結果だけの話であり、その過程については、忖度の国の住人にはこんな過剰な人間関係は耐えられそうにありません。
ということで、その他いろいろ気になることはあるのですが、それらすべて、作り込んではみたものの回収できずに終わってしまったものにしか思えず、語ってもあまり意味はなさそうです。